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new 2013.2.21

つたえたい - 言葉を得た重度障害者たち - (上)


「石だった私 言葉で咲く」

身体をほとんど動かせない重度の障害がある人たちは、簡単な言葉でしか理解できないと考えられてきた。しかし周囲の手助けによって、伝える術を手に入れた人たちの活動から、豊かな内面の世界が明らかになりつつある。ときに切望の中で紡がれた言葉は、東日本大震災後を生きる非飛び地の心にも強く訴えかける。
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東日本大震災から7ヶ月を経た2011年10月28日。仙台市の大越桂(24)は通所施設から帰宅すると、野田佳彦首相(当時)の所信表明演説の録画に耳を傾けた。〈嬉しいなという度に/私の言葉は花になる/だから/あったらいいなの種をまこう/小さな小さな種だって/君と一緒に育てれば/大きな大きな花になる〉復興への決意を語る演説の締めくくりの場面。その詩は、自分の作品「花の冠」の引用だった。同市内の音楽家の依頼で書いた復興支援の歌。「怖い言葉を使わず、優しい言葉で小さい人も歌えるように」とつづった。「大切なところで読んでくれたんだなあとジーンとした」幼いころから音への感覚が鋭かった。819グラムの小さな体で生まれ、重い脳性まひで目もよく見えない。だが、子育てに戸惑う母紀子(51)も娘が絵本の中にリズム感がある音や、生活音に敏感だと感じていた。9歳のとき、嘔吐の発作をくり返す病気を併発。肺炎もくり返し、13歳で気管切開をした。わずかでも意思を示す手段だった声を失った。特別支援学校の先生の勧めで、直後から少し動く左手で、筆談の練習を始めた。入院先で、ペンを持つ手を母に支えてもらいながら、紙に字を書く。二人三脚の特訓。十分間かけて「かつら」と書くと疲れで吐いた。でも必死だった。みんなが話すことを分かっているのに、自分の言いたいことがたくさんあるのに、「石」になるのは悔しかった。〈海の底に眠る石は/じっと隠れて潜んでいる/海の深さに埋もれた闇に/じっと隠れてそのときを待つ〉(詩集より)一年間の練習で字を書けるようになった桂は、「つめ」と書いた後「ピンク」「みつこし」と続けた。「ピンクのマニキュアを買ってきて」。多くをベッドで過ごす自分に「生きている」と実感させてくれる爪。大好きなピンクでおしゃれをしたかった。〈おとめのつめはこころのいろ/つめのいろは せかいのいろ/つめのいろはいのちのいろ〉理文具に差し込む日差しの変化、帰宅した家族が持ち込む、ひんやりとした空気…。いつも全身をそばだてて感じ取る。身の周りの小さなことに、輝きを見いだし、それを詩にした瞬間、言葉は広い世界に飛びだつ。詩集になり、歌になり、多くの人と自分をつなぐ。「花の冠」は被災地のコンサートで歌われている。見知らぬ人を励ますことさえできると知った。〈ことばはうまれて/育って生きる/大切 に大事にやさしくすれば/みんなの心に種をまき/ちゃんと芽を出し実をつける〉「言葉は私を人にして、この美しい世界とつなげてくれた。相棒なのです」(敬称略)他の見出しに復興演説に自作詩引用 みんなの心に種を 写真についていた言葉 大越桂さんが母に向ける自然な笑顔は、周囲を優しい雰囲気にする=仙台市太白区で(写真はいずれも中嶋大撮影) 母・紀子さん(右)と指を使った筆談でコミュニケーションを取る大越桂さん

(2013年2月19日東京新聞)

2013年2月19日東京新聞

■東京新聞「つたえたい-言葉を得た重度障害者たち」
上)石だった私 言葉で咲く
中)言葉届き あふれ出た…
下)言葉 心で磨いた…