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2013年10月5日~6日は、岐阜羽島のイベントの日でした。一年に一度のこの会は、小林さんが主催をしてくださいます。天野博物館のチャリティイベントで、今年は、阪根さんの他に、柴田先生ご夫妻、そして、「僕のうしろに道はできる」の映画に出ておられるサッカーのまーくんと栗原さんご夫妻、そして体当たりの優さんが講師となってきてくださって、本当に素晴らしい会でした。それから、もうひとり、小学校三年生のれのあちゃんもたくさんお話をしてくださいました。

♪1日目♪

朝6時半にチーム宮ぷーのかおりちゃんの車に乗って岐阜羽島に向かって出発。途中に、せいらから電話がありました。昨日の夜から頭が痛くて、吐いてしまって、歩けないほどというのです。せいらは偏頭痛があって、高校のときにも救急に夜中に病院に行ったこともあるのですが、2,3日みているのもつらいほど頭痛がするときがあるのです。めったになかったのだけど、10月から教育実習が始まって、毎日指導案も書かなくてはならなくて、緊張したり眠れなかった日が続いたからだと思います。旅の仲間のせっちゃんがせいらの近くに住んでおられて、連れてきて下さるということになっていたのです。わたしはせいらに会うのも楽しみだったり、柴田先生やみなさんのお話をせいらにも聞いてもらいたかったので、がっかりしたり、どれほど痛いのだろうとすごく心配になったりしました。でも、今日はせいらのところに行くわけにはいかないので。とても大切なイベントですもの。せいらも、大丈夫。行けないけど寝ているからとのことでした。

 9時過ぎに岐阜羽島に着いて、もうすでに着いておられた小林さんと合流して、新幹線の降り口でみなさんが来られるのを待ちました。今年は85名の方が参加くださって、新幹線が着くと、どんどん降りてきてくださいました。いつもいつも応援してくださっているみなさんが集まってきてくださるこの会。もうお会いするだけで涙が出そうになります。去年はひどい風邪をひいていたので、今年は大丈夫ねと皆さん、体のこともずいぶん心配をしてくださるのでした。そして、降りてきてくださった中に、ピンクの水玉の可愛い車いすに乗った小学三年生のれのあちゃん、中学三年生のとっても優しいお兄ちゃん、お母さん、おばあちゃんのご家族がおられました。きらきらしたれのあちゃんの目には、あふれるような思いを、今日は知ってもらえるのだろうかと言うようなそんな期待感でいっぱいのように私は思いました。

柴田先生が来られたらぜひ、思いを教えてもらいたいし、わたしもできるなら、れのあちゃんの思いを私も直接知りたいし、何よりご家族の方がその方法を会得することができられたらなあと、そしてそれが今回の二日間になるかもしれないと思うだけで、私はまた涙が出そうになって、期待に胸がふくらむのです。
今回もまた、チャリティに、手芸部のようこちゃんや二宮さんなどいろいろな方に作品を出品していただいてありがとうございました。天野博物館へのチャリティということで、みなさん、買ってくださいました。

 最初は阪根さんからの講演。ナスカの地上絵のお話で、実際にナスカの地面の写真。そして、線を引くとどうなるかとか、いろいろな楽しいお話を伺うことができました。そして私の番です。いつも、岐阜羽島ではいつもと違うお話を自由にさせていただいています。今回は、ダウン症のお子さんを迎えられたご家族のみなさんへという見出しのチラシを分けさせていただいて、そのお話をさせていただくことから始めました。そのチラシについては改めてご報告させてくださいね。そして、私がなぜ、生まれたときから、みんな大人が考えているようなことはみんな知っていて、わかっていると思っているのかと言うお話や、きっとそれが科学的にも脳のことを勉強していけばわかるのじゃないか、たとえばこんなしくみじゃないかみたいな突拍子もないことのようだけど、自由にお話させていただきました。

それから、お休み時間をはさんで、映画にでてこられるサッカー少年「くり」ことまーくんのお母さんの華ちゃんがお話をしてくださいました。パワーポイントを作ってきてくださって、してくださったお話は、「幸せ物語」まーくんが病気で倒れてから本当に大変な覚悟と日々を過ごされてきたけれど、決してあきらめないで前へ前へと進まれたご家族のこと、今も毎日続けられているからこそ、まーくんは、やがて、立ち、歩き、食べることができるようになっていかれました。私はまたやっぱり感動して泣けました。そしてすごく勇気をいただきました。宮ぷーだって、同じように前へ進んでいけるんだと思ったのです。必ず歩ける、必ず食べられると思ったのです。

 そのあとは、まーくんの講演会。柴田先生とお二人で登場されました。まーくんがいつも繰り返しおっしゃることは「みんなで幸せになっていこう」ということなのです。そして「僕はつらい方の役に立ちたい」ということ。ユーモアたっぷりにお話をしてくださったのですが、そのときに、すごく参考になることがいくつかありました。最初、華ちゃんがまーくんの指をとって書くという方法を、見てもらいたいとまーくんが言いました。なぜなら、それが一番多くの人ができるようになる簡単な方法だと僕は思うから。とそれが、その次の日に本当になったのですが、その方法を見せてくださいました。

けれどそれは、やはり、時間がかかってしまって、すらすらとお話ができるわけにはいきません。そこで「柴田先生に代わってください」ということを言われて、まーくんの講演会となりました。本当にすばらしい内容で、まーくんの男らしさ、まっすぐとした思い、お母さんお父さんへの愛に胸が熱くなりました。それから、まーくんの作詞作曲(これも、ドレミで柴田先生がくみとられたものです)の歌を柴田先生と、まーくんの音楽療法先生が、一緒にギターの演奏と歌で披露してくださいました。私は、柴田先生がギターを弾いてくださるといいなあとたくらんで持ってきちゃったのです。

 土曜日は、柴田先生が昔関わられて、そのあと残念ながら亡くなってしまわれたお子さんのお母さんが来てくださっていました。なんと当日の土曜日が、息子さんが亡くなられた13年目のその日だということでした。その当時、お母さんは息子さんの手が動くことに気が付かれ、そして、まーくんがさきほど教えてくれた、人差し指の先を持つ「指談」という方法をとって思いを伝え合っておられたそうです。でも、この方法は、養護学校でもご家族でもなかなか理解をしてもらえることではなかったとのこと。息子さんがかかれた素晴らしい絵も紹介くださいました。時間が来たので、ここでと柴田先生が言われたので、私はあせりました。どこでれのあちゃんのことをお願いしようかとドキドキしていたので、先生、れのあちゃんの思いを聞いてくださいとお願いして、れのあちゃんのご家族とれのあちゃんが前に出てきてくださいました。

 私はこのことを今書こうとして、もう涙があふれてきます。小さなまだ小学校三年生のれのあちゃんが、柴田先生の方法でお話をはじめました。中三のおにいちゃんがぼろぼろと涙をこぼして、その様子を見ておられました。おばあちゃんもお母さんも泣いておられました。れのあちゃんはお母さんが、きっと行けばお話を聞いてもらえるかもしれないと言ってくれていたけれど、こんなふうに、不思議な方法でお話ができることがとてもうれしいということ、私はずっとお話がしたかったですということ。お母さんもおばあちゃんも、おにいちゃんもみんなすごくすごく大切にしてくれていて、幸せだということ。そして、思いが通じて、ちょっとユーモアのあるようなことも言うと、一緒に笑うのです。本当に本当に可愛くてうれしくて、やっぱり会場中が泣きました。

 れのあちゃんは「ふつうは、私のことをみんな母や家族に聞くのに、この会場にいる人たちはみんな私に直接話しかけてくれます。それがとっても不思議だったけれど、この会場のみなさんなら、私が柴田先生の声で話していることを信じてくれると思います」ということも言われました。あらためて、本当にこの会場におられる方は、柴田先生の不思議な方法も、そして、お二人が思いをしっかり伝えておられることも、決してまやかしでもなんでもないことを、信じておられることが、本当に幸せだなあと思いました。

そして、お夕飯になりました。1階の会場で、楽しくお話をしました。みなさんのお近くでお話をうかがいながら、ご挨拶をして回っていたのですが、「僕のこれまでの概念がもうすっかり覆されました」「私も柴田先生みたいにお話が聞けるようになりたい」「どうしたら、私も思いが知れるのですか?」と話してくださいました。私はきっと明日、「指談」や思いをくみ取ることをすごく上手にされている体当たりの優さんが教えてくださるから一緒に練習をしましょうとお話をしました。

♪2日目♪

本当に岐阜羽島は予定がびっしりです。お夕飯後は、私と柴田先生との対談ということでしたが、どんなふうに対談をしたらいいかわからなくて、私が一方的に知りたいことを質問しました。たとえば、先生のお話の中には「僕はわからなかったけれど、家内がそのことに気が付いて、僕は違うと思ったのに、家内がそうじゃないかというからそうかなあと思ったら本当にそうだった」というふうに、奥様のななちゃんが何度も登場されます。柴田先生のお人柄もあって、そんなふうにおっしゃることもあるのだろうけれど、奥様は本当にすごいですねというような質問に、柴田先生は論理の人で、ななちゃんは直観の人なんだそうです。それで、どんなに考え抜いてきたことよりも、直観の方が正しかったということがあるということなのかもしれません。

それから、私もとても影響をうけた中島先生は柴田先生も本当に影響を受けられた方で、もっと中島先生のお話を伺いたいとお願いをしました。先生は、盲聾の方の教育に携われた人で、本当に多くの方に影響を与えられた素晴らしい先生。先生は心から、「子どもたちは本当にえらい、子どもたちはすごい」と思っておられたそうです。そして、昔から子どもたちと座位の姿勢、立位の姿勢をとることを大切にしてこられたのだそうです。そして、そんなあと、マー君とれのあちゃんに前に来ていただいて、ミニきんこんの会のように二人がお話をしてくださいました。その素晴らしいお話についても、本当は全文知っていただきたいけど、本当に今日は記憶の中だけでごめんなさい。

とても私にとって、印象的だったのが、マー君が、「かっこちゃんは、ありのままでいいと言いながら、やはり、毎日リハビリのものすごいメニューを続けている、そのことについてどう思うのか」という質問でした。そしてれのあちゃんも「私はありのままでいいので、リハビリで今の様子を変えていきたいというようには思わない」と最初言われていました。私は、マー君の講演の中にもじつは、マー君が私と同じような気持ちで答えてくれているのだけど、「前へ進んでいきたい。もっとこんなふうにしたいという夢を持っている自分があって、それがありのままの自分だ」ということを私も考えるのです。「その状態と何かできるようになった状態を比較して、どちらがいいとか、そんなことではない。ただ、前へ進みたい、できるようになることを増やしたいという思いをもっていて、それをかなえる方法がある。だから、がんばろうという思いをもっているなら、頑張りたい。それはありのままを生きていることになると思う」と私が言いました。

れのあちゃんが「私は少しかたくなになっていたかもしれません。そう聞くと、なにか私の中でもそんなにかたくなに考えなくてもいいんだと思えてきました」と言ってくださいました。もっともっと、いろんなお話をうかがえて、本当に素晴らしかったです。それから、椅子を輪の形にして、机の上に、みなさんが持ってきてくださったお酒や食べ物をおいて、みんなで楽しくいただきながら、話をしました。私はマー君やれのあちゃんととてもお話がしたかった。まーくんのそばにいたときに、優さんが来られて、華ちゃんに「お風呂にはいっておいで、私がいるから」とすすめてくださったのです。そして優さんが指談をはじめられました。ああ、チャンス。「わたしもしたい、マー君とおしゃべり。優さんマー君教えて」勇気を出して頼みました。

もちろんと教えてくださった方法について、詳しくあとで書きます。みなさんも練習してほしい方法なんです。そして、教えていただいて、マー君が最初はマー君のお名前を書いてくれて、そして、私の名前の「かっこ」と書いてくれたのがわかりました。そして、そのあと、わたしにおしゃべりがしたい様子だからと書いてくれたのは、私は「つ」だと思いました。こんなにも長い時間、どんなに疲れただろうと思っていて、私は疲れたと書いたのかなと思ったのです。でも、違っていました。最初は「つ」じゃなくて「う」だったのです。そして、その次に、マー君の指先が、まっすぐに下に伸びました。そして短い横棒。下へ下がってまた上へあがる。それは「れ」でした。マー君はそのあと、「し」「い」と書いてくれました。「うれしい」と。わたしはまたぼろぼろと泣けました。そんな私をマー君は優しく、包んでくれているようでした。

宴会は12時を過ぎても、何度も一次会を終わります。2次会を終わりますと小林さんが言われても、人数が減る気配はなく、ついに、小林さんの口からホタルノヒカリの歌が流れました。そして、お開きになりました。誰もがここにいたいという気持ちでいたのだと思います。かおりちゃんと同じ部屋にいろんなお話をしながら、楽しく眠りました。私は夜眠りながら、いっぱい指談の方法について考えていました。いっぱい眠りながら、ずっと考えていました。本当にすごいことが起きていると感じていました。

 朝ごはんのあと、優さんの講演会。体当たり白雪姫のこと。亡くなられた良平くんのこと。本当に素晴らしいお話でした。体当たり白雪姫で、お話をされたことは、おじいちゃん、おばあちゃんたちが、どんどん深い思いをされていること。そして、口にされている言葉と、書いておられることが違って、乱暴なことを言われても、書いておられることは愛がいっぱいで感謝がいっぱいだということ。それから、良平君が3度発病されても、決してあきらめることなく、思いを持っていることも最後まで信じて(信じてというより、わかって)進んでこられたということを話してくださいました。そして、指談の練習に入りました。優さんが教えてくださった方法に、私が感じたことも加えさせていただいて書きます。
この方法は、障がいをお持ちの方とだけでなくて、誰とでも練習ができることがすごいなあと思いました。そして、ああ、本当なんだと体験ができるということがすごいなあと思います。その方法です。  → 指でお話しする指談の練習の仕方

れのあちゃんが柴田先生に「どのくらいの人ができたのかな?」と聞いておられたので、みなさんにお尋ねしてみたら、その時点ではだいたい半分の方ができていました。でも、たぶん、手の力をいれすぎたりするとできないことにまだ注意を払っていなかった状態だと思います。その時点で、仙台のとよちゃんもしげちゃんも手をあげておられなかったので、練習をしてみました。とよちゃんは、指を挟んでもつときに、ぎゅっと力を入れておられて、私は動きを遮られているという感じがありました。でもそのあとにすぐに上手になられました。しげちゃんは、最初は強く手をあてすぎている感じで、動けなかったけれど、動けてそのあと、3と念じていたのだけど、しげちゃんは2だと思われて、手をぎゅっと右側にもっていかれちゃった感じがありました。みんなでそんなふうに練習することで、本当にみんなができるようになると思います。

そして、Aの人でも、簡単にわかりやすい人とそうでない人がいるらしいことを感じました。私はAの練習役にどうも最適?なようで、マー君のお父さんもほかの方もみんな「かっこちゃんわかりやすい」と言ってくださいました。夕方、金沢に帰ってから、練習したときに、わたしがBの役をして練習したら、ひろこちゃんは力を抜いてねと言っても、姿勢がよくて、そうだからか、あるいは、いつも本当にきちんとされているので、すべて内部をさらけ出すことをされないのか、わかりにくい感じがありました。よっこちゃんはとてもわかりやすかった。きっとされる側のなにか違いがあって、もちろんどちらがいいとか悪いとかではなくて、ここにこの方法の、科学的な何かが隠されているのだろうか?たとえば、脳波がそのときに、私などは(よっこちゃんはどうだかわからないので、ごめんね)本当にいつも力を入れることができないだらだら人間なので、しやすいのか、そこのところを知りたいです。

そして、みんなで練習をしているときに、私は、やはり、主宰をされていて、とてもお忙しいこともあってでしょうが、小林さんと阪根さんが練習をしてくださっていないのが、気になっていました。「不思議だけど本当なんだ」ということを体験できる機会だから、私はどうしても、一緒に進めてくださっている小林さんや阪根さんにこそ、知っていただきたい。やっていただきたいことだったのです。そこで、いじわるな私はお二人に前へ出てきてしていただこうと思いました。この一番の大切なことは、信じることだと思います。最初は信じられなくても、こういう方法があるんだと信じること。そして、「伝えたい」「知りたい」と願うこと。

阪根さんの手を優さんがとってくださって、阪根さんはやっぱり「え?どうして?どうして動くわけ?力いれてないのに?どうして?」とびっくりされました。やったー。大成功。このどうしてがとても大切ですね。そして、次に小林さんが隣に座られて、阪根さんの手をとっていただくようにお願いしました。小林さんはいつもみなさんの会場をわかせるのが得意で、本当にその天才なので、「嫌だなあ、どうしてもこのむさくるしい男の(もちろん冗談でおっしゃっていますが)手をとらなくちゃだめ?」「うわ、にぎるの?」なんておっしゃるので、私は、これはもう、第一段階の、「伝えたい」「知りたい」というところの準備が足らなくなってしまうのじゃないかなあと思いました。何度も、そういって笑わせておられたけど、私はもう、本当にできることなら、この会場の全員が、「できた」という感覚を持って帰っていただきたかったので、少し怒った声で「小林さん、この係は首です」なんていじわるなことを言いました。

でも、本当に小林さんにも、メルマガを読んでくださっているみなさんにも、真剣にこの練習をしてもらいたいです。そうしたら、不思議だけど、無意識の領域でつながれる感覚を知っていただけると思うからです。そして、柴田先生のされておられることも、子どもたちのお話も本当なんだと思えるし、たくさんの通訳をできる方が増えていくはずだから。だから、私はやっぱり真剣なのです。もちろん小林さんも阪根さんもわかってくださっているのでした。

みなさん本当に本当にありがとうございました。素晴らしい、何かの始まりを感じさせる二日間でした。

(山元加津子)