白雪姫プロジェクトは「誰もが思いを持っていて、回復する可能性がある」ということが当たり前になっていく世界をめざします

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映画「僕のうしろに道はできる〜奇跡が奇跡でなくなる日に向かって〜」と山元加津子さんのメルマガから学べること

宮ぷーとかっこちゃんを心から応援する会
快調 佐藤とよ子
福快調 佐藤茂雄
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病気や交通事故などで脳に重い損傷を負った遷延性意識障害(いわゆる植物状態)の患者数は、宮城県内で968人に上ることが判明し、その結果を基に遷延性意識障害の全国患者数は5万5千人近くになると推計されました(『生きている「植物状態」を超えて』2012年河北新報社編集局編)。しかし、調査をした自治体は数えるほどで、実態はほとんどつかめておらず、実際にはその何倍もの患者数であると推定されています。

この映画は、ある日突然脳幹出血で倒れ、一生植物状態で体も麻痺して二度と動くようにはならないと宣告された宮田俊也さんの回復の道のりを追った作品です。宮田俊也さんの元同僚(元特別支援学校教諭)の山元加津子さんは、子ども達と接した30年間の教員経験から、どんなに障がいが重くても意識がある可能性高いこと、適切なリハビリで劇的に回復していくことを確信し、宮田俊也さんのリハビリを2時間毎日続けてきました。宮田俊也さんは現在も気管カニューレ、胃瘻挿入中で、自力体交不可、要全面介助の状態ではありますが、意思伝達装置(レッツチャット)を使って自分の思いを伝えています。

発病から5年4ヶ月、宮田俊也さんの強い希望で平成26年6月30日に退院し一人暮らしを始めました。昼はデイケア、夕方は山元加津子さんや友人によるリハビリと介護、まだまだたくさんの支援を受けながらの生活ですが、宮田俊也さんは確実にうしろに続く方たちのために、新たな道を歩み続けています。

宮城県内でも約1,000人の方が、全国では約5万5千人の方が、意思伝達の可能性を閉ざされ、体の自由を失ったまま生きていることが考えられます。ぜひこの映画を通して、山元加津子さんの活動を通して、遷延性意識障害という状態からでも意識があり回復の可能性があるということ、回復する方法があるということを、一人でも多くの方たちに知っていただきたいと願わずにはいらせません。

誰もが宮田俊也さんと同じような状況になる可能性があります。万が一不幸にもそのような状況に置かれた場合、自分だけでなくこの情報を知っている方が一人でも周りにいれば、回復する方法、支援の方法を探すことができ、希望につながるのではないかと思うのです。山元加津子さんが繰り返し話しているように、知った者には伝える責任があります。皆さま、どうぞこの情報を一人でも多くの方にお伝え願いたいと思います。どうぞよろしくお願いいたします。

山元加津子さん(愛称:かっこちゃん)について

1957年金沢市生まれ。富山大学理学部卒業。元石川県特別支援学校教諭。作家(著書31冊)。画家。教員を勤めながら、主婦、母親、作家業もこなし、平成26年3月に退職。平成21年2月に元同僚である宮田俊也さんが倒れてから毎日病院に通い、毎日2時間のリハビリを続け、その様子を「宮ぷーこころの架け橋ぷろじぇくと」というメルマガで毎日配信し続けている。(H26.8.27現在、第1848号。)隔週土日は講演活動で全国を回り、病気や障がいにも意味があり、みんな大切な存在であること、植物状態と言われる人たちにも思いがあり、その思いを伝える方法があることを伝え続けている。

2007(H19)年に完成した映画「1/4の奇跡〜本当のことだから〜」、映画「宇宙の約束~いのちが紡ぐ愛の詩~」は山元さんの活動を追ったドキュメンタリー作品で、現在までに1,000ヵ所以上、国内外14ヵ国以上で、自主上映会が開催されている。

2012(H24)年4月1日、仲間の協力を得てホームページ「白雪姫プロジェクト-植物状態と言われる人の回復サイト-」を立ち上げ、植物状態と言われる人たちの意思伝達の方法や、リハビリの方法、介護の方法などの情報を発信し、誰でもいつでも情報が得られるようにしている。HP「たんぽぽの仲間たち」、HP「いちじくりん」、HP「おはなしだいすき」も配信中。

宮田俊也さん(愛称:宮ぷー)について

1967年金沢市生まれ。元石川県特別支援学校教諭。7年間も山元加津子さんの講演活動を陰ながら支えてきた元同僚。

2009(H21)年2月20日、42歳で突然脳幹出血で倒れ、意識も戻らず、万が一助かっても一生植物状態で、二度と身体を動かすことも話すこともできないと宣告を受ける。看病できる家族は出産したばかりの妹さんしかおらず、山元さんが仕事帰りに毎日病院に通うことを約束する。今では意思伝達装置(レッツチャット)を使ってコミュニケーションがとれるようになり、2014(H26)年6月30日(発症後5年4ヶ月経過)に退院し一人暮らしを開始する(気管カニューレ、胃瘻は現在も挿入中)。(H26.7.15~H26.8.14検査入院)

『満月をきれいと僕は言えるぞ』(宮田俊也、山元加津子共著)は、宮田さんが倒れた直後からの回復経過が綴られており、どんな人でも必ず思いを持っており誰もが伝えたい気持ちを持っているということ、また、その回復方法や意思伝達の機器などもたくさん紹介されている。HP「宮ぷーレッツチャットで、今日もおはなし」でも情報配信中。

廃用症候群とは(ホームページ「白雪姫プロジェクト」より)

-「寝たきり」というものは、なっていくものではなくて、「寝かせたまま」にしていることで作られたもの-

人間の身体的・精神的機能は使わないと衰えて行くことが知られています。健康な人であっても、安静で寝たままの生活を送っていると、筋力はどんどん低下し、さまざまな症状が現れてきます。

これまでは、病気の人は寝かせておかないといけないし、安静が大切であるというような常識がありました。けれど、これはアメリカなどでは早いうちから、起こしていくことが大切だということは、言われてきたのです。もちろん、反対意見はたくさんあったと思います。唾液を誤嚥したり、あるいは、お年寄りの骨粗鬆症の方の骨折などのリスクも確かにあります。しかし、かなり長い間、寝たきりであっても、起こしてゆくことにより改善していく人が多くあって、今では、寝かしたままにしておくと廃用症候群という状態になるのだということが、広まってきました。実は、わたしたちの体は、常に重力の刺激に抗して体を支えています。このことが私たちの体には、とても大切なことなのです。筋力を維持するだけでなく、関節を動かさせ、骨に刺激を与えて丈夫にしているのです。もうひとつ言われていることは、頭の重みがしっかりと背骨にかかるようにすることの大切さです。座位をとっただけで、何日かの間に、意識障害が改善したという例はいくつも報告されています。

起きていると、足が低い位置になり、頭は高い位置になります。そのことが、心臓を活発に活動させて血液を送り出すことにつながります。また、胸郭が動きやすくなり、肺にもより多くの空気がはいることになります。また、脳幹は体の重心を感じることで活発になると言われています。さらには、座ることでバランスを取ろうとすることが、脳幹の働きには重要になってきます。脳幹は生きる部分での大本ですから、内臓をきちんと動かすことや、手や足に刺激を送る上でもとても重要なものなのです。よく例にあげられるは、無重力状態にいる宇宙飛行士の話です。宇宙空間という無重力の状態の中で過ごすと、たとえ1週間程度でも、重力のある地球にもどると、歩くどころか、立つことすらできなくなっています。宇宙飛行士が絶え間なく運動を続けるのはそのためです。

寝た状態が長く続くと、重力などの刺激を受けなくなって、筋力が低下し、関節は固まり、骨がもろくなり、精神的活動も低下し、嚥下などにも障害が起こってきます。つまり、筋力低下、筋萎縮、関節拘縮、骨そしょう症、心肺機能低下、起立性低血圧、精神的活動の低下(認知症の進行)、じょくそう、尿路感染、うっ血性肺炎などさまざまな病気を引き起こすことになるのです。そのようなことを考えてみると、「寝たきり」というものは、なっていくものではなくて、「寝かせたまま」にしていることで作られたものだということがわかってきます。

そういう意味でも、できるだけ、頭の重みをしっかり背骨に載せるようにして、車いすなどで座るということはとても大切なことです。関節が固まらないように、関節可動域の訓練を行っても、寝たきりにしておけば、関節は固まってきます。自分の足で踏ん張って筋力を使わないと、関節は働かないのです。車椅子に座れば、膝や、股関節、足首が直角に曲がります。振動によって、関節に力が働き、足首の尖足の予防にもなります。また、寝たままで拘縮された肘も重力で自然と伸ばされていきます。その他にも、車椅子に乗ると、背筋力がついたり、首の筋力も使うことになります。移動することで、精神にも大きな刺激となっていき、車いすは乗るだけでもとても有効なリハビリと言えると思います。

皆さまにお願いしたいこと

.メルマガ「宮ぷーこころの架橋ぷろじぇくと」に登録し読者になってください。 山元加津子さんは、宮田俊也さんが意識を取り戻したとき、意識がなかった頃の様子を知りたいに違いないと思い、毎日「宮ぷー日記」をつけ、翌日、宮田俊也さんの目を覗き込み、耳に近づけながらその日記を読むということを繰り返していました。レッツチャット(意思伝達装置)という機械を使い 9 カ月ぶりに思いを伝えることができるようになった宮田俊也さんは、「僕の思いをたくさんの人に知ってほしい。それは僕の生きる証だから」と、その日記を多くの人に読んでもらいたいと希望しました。それを山元加津子さんのホームページで読者の方に相談したところ、「星野ひとつ」さんという方が申し出て、2009(H21)年8月24日からメルマガとして毎朝配信されることになりました。このメルマガが感動を呼び、読者の感想や体験談も紹介され、単なる「宮ぷー日記」だけに留まらず、喜びの連鎖が起こり、感動が感動を呼び、素晴らしい希望のメルマガ、情報発信のメルマガになっています。情報満載、感動のメルマガですので、ぜひご登録ください。

この感動のメルマガを抜粋したものが『ありがとうの花-魔法のメルマガは朝8時に届く』(山元加津子著)として出版されています。ぜひご一読ください。

メルマガ登録方法:

①パソコンから・・・「宮ぷーこころの架橋ぷろじぇくと」のページから登録する。
http://www005.upp.so-net.ne.jp/kakko/miyapupuro/kokorokakehasi.html

②携帯から・・・
a0001012961@mobile.mag2.com に空メールを送る。

.ホームページ「白雪姫プロジェクト-植物状態と言われる人の回復サイト-」のことを周りの方にぜひお伝えください。 植物状態と言われる人たちの意思伝達の方法や、リハビリの方法、介護の方法などの情報満載のホームページです。誰もが、身内やお知り合いの方でこれを必要とするときが来る可能性があります。必要なときに、必要な方にすぐ情報が届くよう、ぜひ周りの方にこの「白雪姫プロジェクト」のことをお知らせください。また、ホームページを活用できない方には、書籍『僕のうしろに道はできる』(山元加津子編著)をご紹介ください。介護法、口腔ケアの方法などのDVDが付いており、意思伝達方法として活用できる「おはなしノート」の冊子(切り離して使用可)も付いています。

ホームページ「白雪姫プロジェクト-植物状態と言われる人の回復サイト-」:
http://www.shirayukihime-project.net/

ホームページ「おはなしだいすきーあなたの想いが知りたいのです」:
http://ohanashi-daisuki.com/ohanashi/index.html

※こちらは会話補助、コミュニケーション補助、意思伝達など気持ちを伝えるためのホームページです。宮田俊也さんの入院中に役に立ったグッズや本、介助法ユーチューブも紹介されていますので、こちらもご活用ください。

介助法ユーチューブ
http://ohanashi-daisuki.com/ohanashi/youtube/index.html
①支えてても立ってられない人の移乗法
②支えてても立ってられない人の移乗法(解説)
③支えてても立ってられない人の移乗法(解説)
④抱え上げる場合の移乗法(離れた場所や高低差がある場合の移乗)
⑤かっこちゃんの簡単介護術・寝ている人を楽に起き上げる方法

.映画「僕のうしろに道はできる」のことを周りの方にぜひお伝えください。 この映画は全国で自主上映されています。NPO法人ハートオブミラクルのホームページで上映日をお知らせしていますので、お近くの方にぜひお勧めください。あるいは上映会を開催することもできますので、この映画を広めることにもご協力をお願い致します。

ホームページ「NPO法人ハートオブミラクル」:
http://www.heartofmiracle.net/index.html

回復の事例

ホームページ「白雪姫プロジェクト」および山元加津子さんに出会うことによってめざましい回復をされている方たちの紹介(一部)

(メルマガ「宮ぷーこころの架橋ぷろじぇくと」より)

1.平成 16 年(当時 14 歳)に遷延性意識障害となった順子ちゃんが 6 年後(H22)に山元加津子さんと繋がり想いを伝えられるようになった事例(映画に登場)
・・メルマガ第483号(H22.12.2),メルマガ第1323号(H25.3.21)
14歳(H16)で遷延性意識障害となった順子ちゃんは、東京新聞に掲載された宮田俊也さんと山元加津子さんの記事を父親が見つけ、山元加津子さんに連絡をする。山元加津子さんのアドバイスにより意思疎通ができるようになり、現在はレッツチャットを使用して思いを伝えている。

2.平成 22 年(当時小 5)に交通事故で遷延性意識障害となった壮汰君が 3 年後(H25)に山元加津子さんと繋がり想いを伝えられるようになった事例
・・・メルマガ第1285号(H25.2.11),メルマガ第1323号(H25.3.21),メルマガ第1358号(H25.4.25),メルマガ第1370号(H25.5.7),メルマガ第1504号(H25.9.17)
壮汰君が交通事故(H22.8月)で意識障害となってから3年後のH25.2月に、HP「白雪姫プロジェクト」を父親が見つけ、山元加津子さんに連絡をする。その後、国学院大学柴田保之教授を紹介してもらい、柴田保之先生の通訳によって壮汰君の想いを初めて知ることができた。現在、壮太君は瞬きでの会話や筆談での意思疎通ができるよう練習中。

3.平成 22 年(当時 50 歳代)脳幹出血で遷延性意識障害となった西嶋清美さんが 3年後(H25)に山元加津子さんと繋がり想いを伝えられるようになった事例
・・・メルマガ第1370号(H25.5.7),メルマガ第1642号(H26.2.2),メルマガ第1648号(H26.2.8)
H23.2月西嶋清美さんは脳幹出血で倒れ遷延性意識障害となる。回復方法を探していた清美さんの夫は 3年後(H25.2月)にHP「白雪姫プロジェクト」を見つけ、山元加津子さんに連絡を開始。山元加津子さんの講演を聞いたり、宮田俊也さんへの山元加津子さんのリハビリを見学するために金沢まで出向いたりして、清美さんへの積極的リハビリを開始。その後、国学院大学柴田保之教授を紹介してもらい、柴田保之先生の通訳によって清美さんの想いを3年3ヶ月ぶりに初めて知ることができた。現在も夫による積極的リハビリを継続しており、瞬きでの会話や筆談での意思疎通の方法を練習中。また、山元加津子さんの勧めにより清美さんの回復経過をブログで配信開始。そのブログは感動を呼んでいる。

4.平成 24 年(当時 22 歳)過労で倒れ遷延性意識障害となった R さんが 1 年後(H25)に山元加津子さんと繋がり想いを伝えられるようになった事例
・・・メルマガ第1405号(H25.6.11),メルマガ第1407号(H25.6.13)
22歳(H24)のRさんは過激な勤務の疲れから倒れ心肺停止、低酸素脳症による遷延性意識障害となる。1年後(H25)、Rさんの母親が知人から書籍「僕のうしろに道はできる」をプレゼントされ、映画「僕のうしろに道はできる」を観に行く。そこで山元加津子さんの応援をしている「体当たり白雪姫」の守本さん(優さん)に出会い、守本さん(優さん)によってRさんの想いを初めて筆談で読み取ることができ、現在も意思疎通の方法を練習中。

5.平成 25 年 2 月(19 歳)多発性外傷、脳挫傷で遷延性意識障害となった男性が 4ヶ月後(H25.6 月)に山元加津子さんと繋がり想いを伝えられるようになった事例
・・・メルマガ第1411号(H25.6.17)
19歳(H25)の男性が多発外傷、脳挫傷により遷延性意識障害となる。4か月後(H26.6月)、両親がHP「白雪姫プロジェクト」を見つけ山元加津子さんに連絡。両親の積極的なリハビリを開始し現在は気管切開も閉じることができ、発語ができるようになっている。

6.平成 23 年(当時 36 歳)脳幹出血で遷延性意識障害となった男性が 2 年後(H25)に山元加津子さんと繋がり想いを伝えられるようになった事例
・・・メルマガ第1415号(H25.6.21)
36歳(H23)の男性(1児の父親)が脳出血の手術後に遷延性意識障害となる。2年後(H25.6月)、山元加津子さんの応援隊から「白雪姫プロジェクト」を教えられ、体当たり白雪隊の優さんに繋がり、筆談で初めて想いを伝えることができた。

7.平成 14 年、北海道大学 2 年生の部活中に心臓発作で倒れ遷延性意識障害となった中島基樹(32 歳)さんが 12 年後(H25)に山元加津子さんと繋がり想いを伝えられるようになりテレビで紹介された事例
・・・メルマガ第1427号(H25.7.3)

8.8 歳のときに交通事故にあって、臓器移植の意思確認までされたなおちゃんが山元加津子さんと 4 ヶ月前に繋がり想いを伝えられるようになった事例
・・・メルマガ第1469号(H25.8.13)
8歳(H26)のなおちゃんが交通事故で遷延性意識障害となり、母親がHP「白雪姫プロジェクト」を見つけ発傷3ヶ月後(H26.5月)山元加津子さんに連絡。スイッチとそれに繋がる音声発生装置などを紹介してもらう。現在は首から上だけしか動かせないが、瞬きや開口、発声のある返事で、学校の先生とも会話ができるようになっている。

9.平成 26 年脳出血で遷延性意識障害となった男性が 2 ヶ月後(H27)に山元加津子さんと繋がり想いを伝えられるようになった事例(天使のようなお掃除のおばちゃん)
・・メルマガ第1625号(H26.1.16)
H26.11月脳出血で遷延性意識障害となった男性の妻が、2ヶ月後に病院で働いているお掃除のおばさんからHP「白雪姫プロジェクト」を教えてもらい、返事ができるようになった。

10.平成 24 年遷延性意識障害となった M さんが山元加津子さんを経て体当たり白雪隊の優さんに繋がり指談で想いを伝えられるようになった事例
・・・メルマガ第1791号(H26.7.1),メルマガ第1794号(H26.7.4)
H24遷延性意識障害となった男性の妻が、2年後(H26.6月)映画「僕のうしろに道はできる」を観て山元加津子さんに連絡。体当たり白雪隊の優さんを紹介してもらい、優さんによってMさんの想いを初めて筆談、指談で知ることができた。

11.平成 17 年遷延性意識障害となったのぼるさんが平成 24 年(7 年後)に山元加津子さんを経て柴田保之先生に繋がり筆談で想いを伝えられるようになった事例
・・・メルマガ第1793号(H26.7.3),メルマガ第1795号(H26.7.5)
低酸素脳症で遷延性意識障害となった山田のぼるさんの妻が7年後(H24)に山元加津子さんのメルマガを見つけ読み続ける。9年目(H26)に山元加津子さんにメールを出し、国学院大学柴田保之教授を紹介してもらい、筆談によって想いを伝えられるようになった。

回復報告 (メルマガ「宮ぷーこころの架橋ぷろじぇくと」より抜粋)

  1. 映画に登場した順子ちゃんのお父さんのメール
  2. 3度目の人生を歩んでいると言っている壮太くんのお父さんのメール
  3. 白雪姫プロジェクトに出会い 3 年 3 ヶ月ぶりに想いを伝えた清美さん
  4. 西嶋貴丸さんのブロク「夢の雫~白雪姫プロジェクト~」より
  5. 過労により倒れた22歳のR君の初めての筆談報告
  6. 19歳の男性のお母様からの回復報告
  7. 38歳の男性(父親)の初めての筆談報告
  8. 大学2年の部活中に倒れ12年後に想いを伝えられた中島吾郎さん
  9. 交通事故にあったなおちゃんが白雪姫プロジェクトに出会って回復した報告
  10. 天使のようなお掃除のおばちゃんによって返事ができた男性
  11. 体当たり白雪隊の優さんによって筆談ができたMさん
  12. 9年目に柴田保之教授によって筆談ができた山田のぼるさん

映画に登場した順子ちゃんのお父さんのメール①

【第 483 号宮ぷーこころの架橋ぷろじぇくと 2010年12月2日】(抜粋)

昨日メールをくださった順子ちゃんのお父さんと何度もメールのやりとりをさせていただきました。

山元さん、僕は深い憤りと、やるせなさと、そして、それでも、大きな希望と、何をどうしていいかわからないとまどいの中にいます。山元さんの言われる通りでした。娘の名前を呼び、順子に「さあ、指を動かそう、父さんに指を動かすところを見せてくれないか」と声をかけてみました。今も心が震えます。順子が僕の呼び掛けに応じて、細く可愛い指を動かしたのです。目の前に起きていることに、喜びと、深い後悔の思いが広がりました。娘を抱きしめて、謝り続けています。「指を動かして見せて」ただそれだけのことを、僕たちは気が付きもせずしてこなかった。ただ、「指を動かしてごらん」と声をかけるだけのことを。
順子は、6年という年月を、どんな思いでいたのでしょう。医者が言いました。順子は遅延性意識障害だと。物を見えたり、聞こえたり、考えたりはできると。植物状態とはまた違いますが、同じですと。私たちは何が違って、何が同じなのかを聞こうともしませんでした。順子は、そばにいる親にも、何も分かってもらえずに、その優しさがゆえに、あきらめ、私たちを大きな愛で許し続けてくれたのだと思います。順子はこれまでも、表情こそ変えませんが、時折、大きな目からは涙が流れていました。順子の涙の意味がわからず、目が痛いのだろうか、苦しいのだろうかと娘の涙を理解していたけれど、それはおそらくは、自分の思いを知ろうとせずにいる悲しみの涙だったでしょう。あるいは、あきらめ、そして、焦燥、絶望の涙だったかもしれません。
僕自身に責任があるはずなのに、どこかにその責任を転嫁したい思いが抑えられません。なぜ、誰も教えてくれなかったのか?なぜ、娘は6年ものあいだ、私たちに合図を送り続け、助けを求め続けていただろうに、それが徒労に終わっていたのだろうかと、誰かを責めたくなる。山元さん、6年はあまりに長いです。中学生だった順子が、成人しました。友達は大学へ通い、仕事についた子もいます。けれど、順子は静かに時をすごしていました。それが僕たちのできる精いっぱいだと思い込んでいました。しかし、山元さん、言い訳にしか聞こえないかもしれませんが、僕たちは順子を愛してきました。でも、愛しているだけでは、わからなかったのです。
僕たちは、今まで一日中話しかけてきました。それなのに、娘からの返答としての動作を求めることをしてきませんでした。山元さんは順子のそばにいたわけではないのに、娘が声かけで指を動かす可能性のあることを信じ、助言をしてくれましたね。山元さん、それが山元さんの言う、意思を伝える方法を探すことなのでしょうか?でも、これからです。僕たちには光が差してきました。東京新聞は、実は愛読をしているわけではありません。販売店が置いていってくれたのです。そこに、神のご意思を感じます。かっこちゃんが(これからはそう呼ばせていただきます)書いていたように、僕は神を信じようと思います。

・・・・・・・・・私は声をあげて、泣きたくて泣きたくて、ならないです。お父様の思い、順子ちゃんの思いを思うと、泣けるのです。私はどうしても、嫌なのです。ただ知らないというだけのために、ただ、それだけのために、何年も気持ちを伝えられずにいる方がおられる…そのことが、どうしても嫌なのです。今、お父様は順子ちゃんと、さらに深い思いを知るための方法を探しておられます。必ずその方法は見つかると思います。もし、メルマガを読んでくださっている方が、意思伝達の方法があるとわかっていたとしても、ある日突然、けがや病気などで、気持ちが伝えられなくなったとしても、周りの人が意思を聞きだす方法を知らなかったら、倒れた本人はどうすることもできないのです。いくら、「あかさたな」とスキャンをしてほしいと願っても、何度も瞬きをしても、指を動かしても受け取る方が知っていなければ、伝えることはできないのです。

人ごとでなく、自分のこととして、みんなが受け止めていけば、もっともっと広まっていくはずと思っています。今、作っていただいている本(宮田俊也・山元加津子著「満月を僕はきれいといえるぞ」)は、意思伝達の方法などもいっぱい書いた本です。その本でもいい、ホームページでもいい、どんな方法でもいいから、知ってほしいです。みんなに知ってほしいです。

かつこ

映画に登場した順子ちゃんのお父さんのメール②

【第 1323 号宮ぷーこころの架橋ぷろじぇくと 2013年3月21日】(抜粋) 順子の父です。「僕のうしろに道はできる」の上映の大成功。おめでとうございます。東京で映画も見せていただきました。涙を止めることができませんでした。私の娘、順子は、中学生のときに、遷延性意識障害と診断され、一生、意識がもどることはないということでした。しかし、6年経ったころ、宮田さんと山元さんの記事を読み、山元さんにメールをしたことから、娘や私たちの人生が変わりました。娘は今、レッツチャットを使い、私たちに思いを伝えます。また、立つことにも挑戦し、口から物を食べることもわずかですができるようになっています。もし、山元さんに出会えていなかったら、おそらく、娘の思いにも気がつかないまま、今も毎日をすごしていたと思います。今の幸せはなかったと思います。映画にも私どもを載せていただきありがとうございます。映画は、私たちの希望の光です。よし、さらに頑張ろうとの思いを強くしました。私たちだけでなく、これからもどうぞ多くの方に希望の光を届け続けてください。心からお祝い申し上げます。順子の父。

3度目の人生を歩んでいると言っている壮太くんのお父さんのメール①

【第 1285 号宮ぷーこころの架橋ぷろじぇくと 2013年2月11日】(抜粋) 今日はうれしいお話しをさせてください。白雪姫プロジェクトのホームページからメールをくださったそうちゃんのお父さんからのメールをいくつか並べて紹介させてください。

・・・・

山元加津子様
前略突然のメールご送付をお許しください。3年前の夏に交通事故にあい負傷した息子(13
歳)の回復のためにもっとできることはないだろうかとインターネットで情報収集をして
いたところ、宮ぷーさんの心の架け橋プロジェクトに出会いました。宮ぷーさんの頑張り、
山元加津子さんの思いに触れ、感動いたしました。数々の動画の中で宮ぷーさんが頑張っておられる姿を拝見して、息子の姿とだぶり、涙が止まりませんでした。
息子のそうは急性期病院の医師から「いつ死んでもおかしくない状態」と伝えられましたが、幸いにも一命をとりとめ、今は自宅で家族とともに暮らしています。絶対無理と言われていた経口摂取が少しずつできるようになり、地元の養護学校に通うようにもなりました。息子は自分の意思で体を動かすことができず、しゃべることもできません。でも、私は息子が将来必ず自分の意思で人生を切り開いていくようになるまでに回復することを今まで一度も疑ったことはありません。その日のために、私は自分の生涯をかけて息子の回復の為にできるすべてのことをやりたいと考えています。毎日毎日がかけがえのない息子と共に生きる大切な時間です。

・・・・ 白雪姫プロジェクト拝見しました。それから昨日届いた山元加津子さん編著「僕のうしろに道はできる」を拝読いたしました。何度も泣きました。宮ぷーさんと山元加津子さん、無脳症と言われているお子さん、ユリちゃんとお母さん、さっちゃんとおじいちゃん、かりんくらぶのかんなさん、まーくんとお母さん、宮ぷーさんと同じ病院にいらっしゃるお父さんとお母さん、皆さんが心から愛しい。ただただ愛しくて何度も何度も泣きました。そしてみんなの幸せを祈りました。

私は息子の内なる声を聞くことに最大限の努力をしていたのか?息子は私や家族に話したいことがたくさんあるという認識を持っていたか?息子と意思疎通を図ることに心のどこかに諦めが無かったか?息子の声が聞きたい。息子の思いを聞きたい。息子に私の気持ちを伝えて理解してもらいたい。それは何にも代えがたい私の心からの願いなのに、そのための努力を私はしてこなかったのではないか?息子が私に伝えたいことがたくさんあるということを認識することから始めようと思います。今まで通り息子にたくさん語りかけると同時に、それに対する息子の内なる声を聞くことを大切にしたいと思います。長い時間がかかってもいつか必ず息子と意思疎通ができることを信じて、1日1日を大切に息子の体と心にしっかり寄り添って生きていきたいと思います。

・・・・

柴田保之先生のページ拝見拝読しました。
「僕のうしろに道はできる」での柴田先生と宮ぷーさんとの出会いの記述は衝撃的でした。
息子も柴田先生を介して気持ちを伝えてくれるだろうか、そう考えると胸がドキドキして
きました。無論、宮ぷーさんと息子の脳損傷範囲は異なるので、今すぐには気持ちを伝えてくれるかどうかはわかりませんが、是非柴田先生に息子に会っていただきたい思いを強く持っています。次回のきんこんの会に息子と共に出席したいと思います。

・・・・ 今日柴田先生に会っていただきました。息子が紡ぎ出す言葉を柴田先生が読み取ってくれました。今の私の気持ちをどう表現したら良いのか、言葉になりません。

「自分の気持ちが言えなくて困っていました。人間と見られないことが多くてとても困っていたけれどやっと認めてもらえました。わずかな力でもわかるのですね。おどろきました。人間としての願いは、またいつの日か話せる日がくることだったのでわんわんぼくも泣き出したいぐらいです(※原文ひらがな)」
息子の思いを聞いて、私が息子にかける言葉は「ごめんね」だけでした。こんなにも強い思いを持っていたのに、今まで気づいてあげられなくてごめんね。
息子は私の問いかけに対して○×の筆談で答えてくれました。「今日の天気は晴れです
か?」⇒力強い○でした。疑いなく自分の意思を持った○でした。
「字はがんばったら書けそうです」と息子が答えてくれました。これから毎日息子と筆談できる可能性を追い求めたいと思います。山元さん、今日は私にとって人生最良の日です。同時に人生最大の覚悟を持った日でもあります。私は必ず息子とコミュニケーションをとる手段を確立したいと思います。今日という日を迎えられたのは山元加津子さんのおかげです。本当にありがとうございます。来月も柴田先生に会っていただける機会をいただきました。またご報告させていただきます。

・・・・

3度目の人生を歩んでいると言っている壮太くんのお父さんのメール②

【第 1323 号宮ぷーこころの架橋ぷろじぇくと 2013年3月21日】(抜粋) 交通事故で体を動かすこともしゃべることもできなくなってしまった息子を何としても回復させたい思いの中、2か月前に白雪姫プロジェクトのサイトに出会いました。宮ぷーさんの頑張り、それを支える山元加津子さんのお気持ちに感動し、山元加津子さんにメールを送らせていただきました。山元加津子さんはすぐに返事をくださって、その10日後に息子は柴田先生に出会い、「ずっと誰かぼくの言葉を聞いてくれないかと待っていました(※原文ひらがな)」と私に告げたのです。息子への愛しい思い、偶然に出会えた人たちへの感謝、いろんな思いが胸に交錯して、私は自分の体と心を支えることができませんでした。

山元加津子さんや柴田先生との出会いは、息子と私の進むべき道の方向を大きく変えてくれました。遠く向こうに見え始めたものを目指して、時折うしろにできた確かな道をふり返りながら、息子と共に一歩づつ前へ進んでいきたいと思います。山元加津子さん、宮ぷーさん、『僕のうしろに道はできる』の完成を心よりお祝い申し上げます。この映画がたくさんの人たちの心に温かい希望のともしびをもたらしてくれることを信じております。
壮汰の父親より

3度目の人生を歩んでいると言っている壮太くんのお父さんのメール③

【第 1358 号宮ぷーこころの架橋ぷろじぇくと 2013年4月25日】(抜粋)

山元加津子様
こんにちは。そうの父親です。今月15日に國學院大学で柴田先生に会っていただきました。息子はこの日もたくさんの思いを伝えてくれました。以下、柴田先生が息子の言葉を通訳してくださった内容の一部です。
「よい望みが生まれてきました。それは私にもわがままかもしれないけれどぶらりとよい旅に出たいという気持ちが沸いてきたことです。よい旅とはたくさんの人と巡りあう旅です。びんに手紙を入れて流れついた話のように旅でいろいろな人に出会ってぼくの経験を語りたいです。もうすこしでぼくも自分のこの障害になった身体をきちんと受け入れられそうです。だから悩んでいる人にもしかしたら勇気を与えられるかもしれません。なまいきかもしれませんがそれが今の生きる希望です。だからまるい人生をつくれそうな気がしてきました。人間はほんとうにすごい生き物ですね。人間のすばらしさをまさかこんな事故を通して知れるとは思いませんでした。(※原文ひらがな)」息子に生きる希望を与えてくださった柴田先生、そして柴田先生にお引合せくださった山元加津子さんになんと感謝を申し上げたらよいのかわかりません。
当日は柴田先生に見ていただきながら、私が介助して書く訓練も行いました。今までで一番上手に「○」と数字の「2」を書くことができました。当初はなかなか息子の意思を感じることが難しかったのですが、最近は息子がペンに力を加えようとする意志を感じることができる日も多くなってきました。20日には「きんこんの会」に出席させて頂きました。

(※「きんこんの会」は障害を持つ当事者の方々が集まり、通訳してもらって話し合う場です。1回/2ヶ月開催。)

冒頭に柴田先生から4/28に横浜で上映される「僕のうしろに道はできる」のご紹介があり、その後参加当事者一人一人が柴田先生ら通訳者を通して、自分の思いを語ってくれました。周囲からは言葉がないと見なされてきた(今もそのように見なされている)人たちが溢れるほどの言葉を語り、それを聞いている人たちは皆それは至極当然のこととして一人一人に温かいまなざしと言葉をかけて惜しみない拍手を贈る、こんなにも素晴らしい会があったことに驚き、そして参加できたことに心より感謝いたしました。
当事者のご両親やヘルパーさんが通訳をされている方がいらっしゃったこと、通訳の仕方も様々で、当事者が介助者の掌に指文字で言葉を書く方法、あかさたな表を使う方法、当事者が紙に書くのを介助する方法等を実際に拝見することができたことは、今後私自身が息子と意思疎通を図る目標に対して大きな励みとなりました。息子はきんこんの会で柴田先生を通じて、以下のことを伝えてくれました。
・自分は今3度目の人生を歩み始めたこと。1度目は健常者だった時の人生、2度目は事故にあってから言葉がないと思われてきた期間の人生、そして3度目は柴田先生に出会え
て言葉があることを理解してもらえてからの人生。
・柴田先生と出会えてから自分の頭の中がクリアになってきたこと。
・自分も今の自分を受け入れて立派な障害者になりたいこと。
周囲に「言葉がある」ことを理解してもらえたことが、息子にとってどれだけ嬉しかったかということをあらためて認識いたしました。息子と私たち家族は柴田先生と山元加津子さんから大きな希望と喜びを頂戴しました。この希望と喜びを、今も言葉がないと思われている人たちやそのご家族にも抱いていただくために、私ができることをこれからしっかりと考えていきたいと思います。

3度目の人生を歩んでいると言っている壮太くんのお父さんのメール④

【第 1370 号宮ぷーこころの架橋ぷろじぇくと 2013年5月7日】(抜粋)

山元加津子様
こんにちは。そうの父親です。先日(※4/28横浜での山元さんの講演会)はありがとうございました。山元さんにお会いできてとても嬉しかった。息子の目もキラキラと輝いていました。勇者のメダルありがとうございます。受傷時の苦痛に耐えて生き抜いて、障害を負った体
でこれから前向きに生きていこうとする息子だからこそ、山元加津子さんは勇者のメダルをプレゼントしてくれたのだと思います。私たち家族はこれからも小さな勇者の心と体にいつも寄り添っていきたいと思います。
「僕のうしろに道はできる」とても素晴らしい映画でした。大きな苦しみを乗り越えて、今を一生懸命に生きている宮ぷーさんの姿は息子の過去と今そのものでした。レッツチャットで意思疎通をはかるまでに回復した宮ぷーさん、本当に素晴らしいと思います。宮ぷーさんの頑張りと山元加津子さんをはじめとする周囲の方々の思いが日々の回復を生んでおり、そして宮ぷーさんはこれからもっともっと回復されるのだと思います。いつか宮ぷーさんに息子と共にお会いしたい。その日を楽しみに私も日々を息子と共に頑張っていきたいと思います。
柴田先生との出会いにより、息子には状況の認識と溢れるほどの思いがあることを知りました。その思いを伝える術を息子はまだ習得できていないわけですが、「息子が自分の意思で動かすことができる体の一部分」を探すことの大切さを、映画を拝見して痛切に感じました。また、現在は自宅で筆談の練習を重ねていますが、手指の拘縮を解除することができれば、筆談ももっともっとレベルが上がってくるのではないかとも感じました(宮ぷーさんは手足等の関節がとても柔らかいですね。山元加津子さんが急性期からずっと拘縮予防に大変な努力をされたのだろうと感じました)。息子が自分の思いを伝える手段を見つけるために、試行錯誤しながら頑張っていきたいと思います。山元加津子さんからもご助言いただける機会があればとても嬉しいです。
山元加津子さんのメルマガに息子のことを書いていただいたり、講演会で息子や私をご紹介していただいたおかげで、講演会前後にたくさんの人たちが息子のそばに来て声をかけてくださいました。息子を始め私たち家族は本当に幸せ者です。またお会いできる機会があれば嬉しく思います。ありがとうございました。

・・・・わたしもそうちゃんのご家族とああ、お会いできた、ずっとお会いしたかった方とお会いできたというような気持ちでした。ありがとうございます。かつこ

白雪姫プロジェクトに出会い3年3ヶ月ぶりに想いを伝えた清美さん①

【第 1370 号宮ぷーこころの架橋ぷろじぇくと 2013年5月7日】(抜粋) 先日優さん(※守本優さん。「体当たり白雪姫」と名乗り、山元さんを応援している一人)が、西嶋さん(※西嶋清美さん)のところにいらっしゃったときのことを、ブログ(※「情報ブログ-あなたと話せる日のために-」)に書いてくださっていました。すごく参考にさせていただけることがいっぱいあるなあと思いました。

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「感動のコラボレーション」(※守本優さんのブログ2013.5.1より)

実は今日は日舞のお稽古日だったのですが、柴田先生から西嶋さんのところに行くと連絡
があったので、ご一緒させていただくためにお稽古は休みにしました。病院に行くのは夕方からですが、その時間が一番お弟子さんが来る時間なのです。みなさんには振替日を用意して、本日は「筆談に向けての万全体制!」と相成ったわけです。
昼間は12月刊行に向けての本の執筆を頑張りました!当時の日記を読み返す作業が、実は結構大変なのです。気持ちがぐい~~~んと落ちたりします。でも!!書くと決めたから頑張ります!!で、夕方西嶋さんの病院へ夫と出向きました。柴田先生は少し遅れて見えるそうですので、きよみさんに先にお会いして、お話したり手のマッサージをしていました。その時に私が良平(※守本良平君:守本優さんのご子息。2004年白血病を発症。治療途中で意識障害となり回復は見込めないと診断されるも、優さん家族の献身的リハビリにより退院することができる。しかし3度目の白血病再発により2010年20歳で他界。)に毎日やっていたリハビリが突然蘇っ
てきたのです。「これは左手の親指、これは人差し指~」と、今触れている指を説明していくのです。「頭のなかにイメージして、はい、じゃあ右手の親指~」右手を取って「動かし
てみましょう。イメージするの。動かそうとしなくていいから、頭のなかで命令して。親指動け!ってきよみさんがボスになって命令するの」
その直後に、左手がすごく大きく動いたのです!握ろうとするような動きを何回もされてました。「あ、きよみ右と左間違えたね」とご主人が笑わせておられました。でも、あきらかに「動け!」と命じたのだと思います。そして、今回のような動かし方は初めてだったそうです。左手のほうが動きやすそうだったので左手の親指に命じる練習もしました。微かにですが、確かに動くのですよ!!その時に柴田先生が到着されました。柴田先生のなさった凄いことは西嶋さんのブログに細かく書かれています(※下記参照)。きよみさんの、ものすごい量の言葉も!!「夢の雫」もう感動の嵐でした!!きよみさんは、先生に「この方法は怪しまれるからあまりやらないほうがいい」なんて冗談まで伝えてくれたのです。きよみさんの笑顔も何回も私は確認できました。
先生はPCできよみさんの言葉を打ち込みながら、涙と鼻水でぐちゃぐちゃになっておられて、それがまた私には衝撃的な感動でした。3年以上ぶりに奥様の言葉を聞いた西嶋さんは、もうこらえきれず泣きだしておられましたが、実は私も夫もボロボロでした~西嶋さんは、「妻が絶望の中にいると思っていたので、本心が聞けて自分自身も心が軽くなった」と仰っておられました。本当にそうですよね!!毎日毎日笑顔で介護してても、希望を捨てずに前向きでいても、恐怖や寂寥感は半端ない。私自身もその気持は良くわかりますから。きよみさんは「わたしは幸せものです」と何回も仰っておられました。ご主人を心配もしておられました。
その後は筆談にも挑戦。先生と私で力を合わせてやってみました。これも西嶋さんのブログに書いてありますので読んでくださいね。そして光栄なことに筆談練習は、私とやりたいと仰って頂けました。なので、時間を作って彼女のもとへ行こうと思っています。先生から習った筆談ですので、今の自分のやり方が間違っていなかったというチェックも出来ました。柴田先生のやりかたは決して「心」を読んでいるのではありません。あくまでも「言葉」を発するための筋肉の動きを読んでおられるのです。だからこそ、真実だと私は思っています。予測変換も口調も言い回しも先生のものですが、それはあたり前のことだと思います。目の前で観ていて、心を読んでいるのではなく、言葉を読んでいるからなのだとはっきりわかりました。
夫は感動と興奮で、家に帰るまで「すごかった」しか言いませんでした(笑)夢のような感動のコラボレーションでした!!

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宮ぷーも左手を動かそうとすると、右手も一緒に動いたりします。おそらくは、情報を伝える上で少し混戦のようなことが起きているのだと思います。でも、きっとそれも、繰り返すことで、太くなっていくシナプスと、そうでないシナプスがあって、それはきっと消えて行くのだと思います。

かつこ

西嶋貴丸さんのブロク「夢の雫~白雪姫プロジェクト~」より

1.「幸せの基準」 (ブログ「夢の雫~白雪姫プロジェクト~」2013.5.2より転載)

考えてみたことがありますか?

3年間誰とも会話せず、自分の中だけで考え続けてきたことがあるのですが、それは一生誰にも伝えることが出来ないと思っていました。ところが2013年5月1日18時、一生不可能だとあきらめていたその言葉を引き出す人が目の前に表れたのです。「はじめまして、柴田といいます」とニコニコしながら話をはじめて、あいうえおのPCパネルを見せながら、機能の説明をします。すごい興味があったのでしょう。妻の目は横目になりながらも、PCのディスプレイ画面をしっかりと捉えています。脳幹出血の患者は、目の上下は出来ますが、横には普通動きません。あんな目を見たのは初めてでした。これは凄いことの起こる前兆かもしれないと思いました。

なんだか凄い事を起こすような人には思えない、とても温厚な柴田先生は、妻の昔からの友達が久しぶりに遊びに来たとでもいうような感じで、普通、妻のような障害者と会うのは、気を遣うものでしょうが全く緊張感がないというか(笑)そんな、スムーズな二人の出会いでした。僕は、妻の昔の友人が遊びにきたところに立ち会ってこんな現場を目撃しちゃったという、そんな気持ちになりました。この不思議な光景を見ながら、夢見心地で文章を書きはじめてみました。目の前に展開された事実が凄すぎて、自分の感情を加えると、意味不明の文章になるので、ここは単純に目撃したことをなるべくフラットに伝えるように、書いてみようと思います。

写真のコメント(※下記写真参照)から、すべては始まりました。柴田先生は、妻の右手をにぎりながら、PCにつながるスイッチを操作していきます。妻の微妙な筋肉の動きを察知し、あかさたなスキャンで、一文字づつ言葉を綴り始めました。ひらがながどんどん一文字づつ打たれていきます。一文字づつの音が言葉になり、ぼくの涙へと変換されていきました。

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信じられませんが本当なのですね。残念ながら一人では何も出来なくなったけど、すべて理解できていたので、これで伝えられましたね。小さい住まいですが、ここが今の私の「平和」な住まいです。ここには最高の「しあわせ」があります。私はとてもしあわせ者です。何ももう望むものはありませんが、なんとかして感謝の気持ちを伝えたかったので嬉しいです。小さい「しあわせ」かもしれませんが、世界中の誰よりもしあわせです。塵も積もれば山となると言いますが、人間の「しあわせ」って、そういう毎日の繰り返しなのだと言う事を、つくづく実感しています。そう悪い生活ではありませんよ。なに不自由なく、そんなに気持ちも沈みませんよ。あなたの方が心配でしたよ。私よりも。でもこれでほっとしたわ。なかなか言えなかった事だったから、言えてだいぶ楽になりました。守本さんもありがとうございます。わざわざ筆談の練習に来て下さって。できそうな気がしていますから、少しやりませんか?

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一文字づつ打たれていくひらがなを読みながら、中盤からは全員(僕、優さん夫妻、柴田先生)4人とも涙をボロボロ流しながら、先生は涙をふきふき、スイッチを押して行きました。僕はこんなに美しい文字をみたことがありません。そしてこんなに美しい心の持ち主と結婚出来たことを心から感謝しました。今読み直しても、もうボロボロです。

この後、筆談へ移ります。(筆談文字はすべてひらがなです。)これは、写真にとって来ていないので、うろ覚えですが、、、、(※2013.5.6No.2のブログにビデオの記録からの全文が紹介されています。)

妻:ふしぎです
妻:うれしいです
妻:なぜかけるの

柴田先生:えっとですね。手首から先は動かなくなっていますが、肩から腕全体が、重みのように、縦か横へ行こうとしている構えがわかるのです。あと、筆を上げて、次の所に持っていくのは、直感です(全文ではなく要約です)

妻:きせき

妻:せんせいこんなやさしいひとがこのよのなかにいるのでしょうね

柴田先生:それはですね。ちょっとね、今までの経験から言うと、僕は子供たちといっぱい会って来たのですが、そういう子供たちが、こういうことをこっちに開発させてくれるのです

妻:しょうがいのあるこどもたちですか

柴田先生:そうですね(※以下省略)

筆談といっても、これはかなり経験をつまなければなりませんが、人間は文字を書く動物ですから、書こうと思った時に、筋肉が反応して、それを先生が感じて、文字にして行くのですが、これは、練習すれば、<誰にでも>出来る可能性があるようです。他にも、たくさん、書きましたが、あと覚えているのは「奇跡」という言葉です。この「奇跡」は、妻にとっての「奇跡」です。自分の「言葉」を外に伝えてくれる人がいきなり表れたこと、つまり柴田先生との出会いが妻にとっての「奇跡」だったのだろうと思います。このあと、柴田先生が特別なやり方で、妻の言葉を読み取り始めた。妻は柴田先生のやり方がなぜそんなにスムーズに自分の中の言葉が読めるのか?を不思議に思い、質問しはじめました。

妻:「何故、わかるのですか?」

先生:「これは、最初は一文字一文字、あかさたなスキャンで読み取っていったのが、長い時間を使って進化して行って、このスピードまで来ちゃったのだけど、これはその積み重ねで出来るようになったので、説明することが難しいですね」

妻:「先生のこのやり方はまるでテレパシーみたいだから、あまりやらない方がいいかもしれない」

一同爆笑

先生:「そうですね、僕もそう思う事がよくあります」

そんなやりとりの中、僕はどうしても、息子たちへのメッセージが欲しくなった。

僕:「清美、息子たちへ伝えたいことあるでしょう?まず基輝に言って。」

妻:「もとき(長男)に一番言いたい事は、良くみんなの言う事を聞いて、みんなから色々教わりなさいということですが、もう子供ではないから、色々親が言うのは良くないかもしれないけれど、私の気持ちは昔から同じですから、また言っていると思うかもしれないけど、やはりそれがずっと気になっているので、よろしくお願いします。以上です。」

僕:「了解、で、悠生には?」

妻:「ゆうきには、笑い話になるかもしれないけれど、あなたのとても良いところは、あなたしか分かっていないと言うことなので、あなたが一番自分が素敵だと思う所をのばすのが一番と私は思っていますが、私にもよくわからないけど、あなたは何となく、それが分かっているような気がするので、ぜひ自分の信じた道を行くのが一番だと思うので、どうぞ頑張って下さい。私にはそれが何なのか良く分からないけれど、どうもあなたには分かっているような気がするから、ぜひ頑張って下さいね。以上です。」

(以下省略・・・ブログ参照)

2.「幸せの結晶」 (ブログ「夢の雫~白雪姫プロジェクト~」2013.5.5より抜粋) 僕は先生の来る数日前から妻に「柴田先生という、言葉を引き出してくれる名人がくるから、自分の中で、言いたい事をしっかりと考えておいてね!」と何度も言っておきました。だから、妻の言葉の出だしが「信じられませんが本当のことなのですね?」・・・から始まったのは、妻が僕の言葉をしっかり理解していたということを証明する衝撃的な言葉でした。僕は何度も何度もこの妻の言葉を繰り返し読み返しています。読む度に、涙が止まらなくなります。彼女はいつも僕のことを心配してくれていました。毎日どんな思いで僕のことを見ていたのだろう?と今考えてみると、妻は僕が乗り越えていない壁をとっくに乗り越えていて、子供を眺めるようにハラハラしていたのだろう。気持ちを伝えられたことは妻にとってもホッとしたことだったでしょう。

かなり以前から、すべてを冷静に見つめて、自分の状況を把握し、その中に「しあわせ」さえも見つけ出していました。それも「小さなしあわせですが世界中の誰よりしあわせです」と豪語しています。事前に考えていた台詞でしょう。すごい女と結婚したものだと思います。

何でこのような詩的な表現が出来るようになったかを考えてしまいます。とても少ない言葉数の中にインパクトがあります。<塵も積もれば山となる、人間のしあわせは毎日の積み重ねだと実感している>・・・これも、本当に実感していないと、出てこないフレーズでしょう。きっと僕が会社を辞めて、毎日、リハビリやら特訓やらをジャンジャンやらかすわけですから、それを面白がってくれているようです。昔、子供が2人になったとたんに、テレビ局系列のとてもいい会社にいたのですが、もっと仕事の幅を広げたいというだけで、次の仕事も決めずにポンと会社を辞めてしまったことがあります。その時も、「あーあ、この人は何を言ってみても無駄だな」と、それについて一言も言及しませんでした。子供二人をつれて危ない橋を渡る僕を笑って眺めていました。しかし、当然その中でも心配するわけです。今回もきっとそんな感じだったのでしょう。この妻の文字を一文字づつ読んだ日から僕の心は“泣き笑い”した変な顔になったままです(笑)

実はこの3年間、僕の方がずっと不安だったことがあります。それは妻は「絶望」の中で生きているのではないか?という不安でした。僕なりにはいつも明るい顔で、とにかく元気づけに行き、絶対に一人だけになんかさせないということを、会いにいくことや、歌を作る事で理解してもらいたいと思っていました。しかし、それでも僕の不安は拭えませんでした。仕事をしていても、何をやっていても、心の奥底にそんな不安、、、というより“恐怖”と呼んだほうがいいと思うけど、そんな感覚をいつも抱えて生きて来ました。

因幡晃さん(※西嶋さんは因幡さんの元マネージャー)の歌「ベッドサイド」は、妻が倒れた時の僕の気持ちを素直に妻に届けるための歌でした。白井貴子さんに歌ってもらった「夢の雫」(※YouTubeで視聴可能)を作ったことの動機は、妻が感じるであろう「絶望」を、僕は一緒に歩くのだという宣言をすることで、暗闇の孤独から救い出すつもりで書いたものでした。次男が歌った「僕たちのルール」は、“あきらめないこと”をテーマに、やり続けることをお互いに約束しようと作った歌です。いつも僕は必死だったのですが、それは自分の中の“恐怖”を相手に独り相撲をしていたようなもので、妻は、これらの楽曲、歌を聞けた事を、病気になったからこそ味わうことが出来た「しあわせ」と位置づけていたのです。すでに自分の中での「絶望」を、、最悪の状態を正面から受け入れた上で、既に次のステップへ進んでいて「しあわせ」まで手にいれていました。本当にびっくりしました。そして、それを知った瞬間に僕の中の“恐怖”は消えました。それどころではないのです、僕が“恐怖”に囚われている間に、とっくに妻は先を歩いていて置いて行かれていたわけで、これからは小走りで追いつかなくてはなりません。こういう事実を知る事が出来て、はじめて僕は精神的に安定することが出来たと思います。妻は腹を据えて人生を見つめ、哲学を導き出しているのに対して、僕は自分の稚拙さをはずかしく感じますが、今後はこれで血圧も安定してくると思います(笑)

”言葉”、“文字”という伝達ツールがこの世に存在していて本当に良かったと心から思います。白雪姫プロジェクトを知り、ブログを書き始めて、かっこちゃんと宮ぷーへ会いに行き、守本さんご夫婦と知り合い、さらにPCを含めたテクノロジー、柴田先生のような研究者、、、、信じられないことの繋がりの連続により、3年3ヶ月ぶりに、妻の心の言葉を知る事が出来ました。

妻は運動機能をなくし、遷延性意識障害(植物状態)と呼ばれる人間となり、このことがこの全ての人たちとの繋がりを作る事となりました。妻はそれを<人間の交差点に自分が立っている>というような表現をしていました。植物状態になり、それがきっかけで、人と初めて知り合う。それが、柴田先生であり、守本さんご夫妻だった。表現が面白いのは、本当にそう思っているからでしょう。妻の言葉はこの3年で非常に洗練された印象を受けます。全ての運動機能を奪われてしまった中で、人間とは何か?を考え、心の底からの「感謝」を感じ「しあわせ」を見つけました。柴田先生には冗談さえも、伝えていました。

言葉に出来ない感情さえも、きっと自分の中で言葉に変換してみたり、その言葉の感触は自分の感じている感覚としっくり行く表現か?など、様々な作業が昼も、眠れない夜も、常に行われていたのではないかと思います。そんな中で「しあわせ」にたどり着いたのでしょう。これは、ある意味では人類はいつだってすぐに「しあわせ」を手に入れる事が出来ることの証明ではないでしょうか。僕らはいつも都合の悪い事は他人のせいだと言い訳をします。しかし、すべては自分の中にあることだと、妻は悟ったのでしょう。仏教の「唯識」もハワイの「ホ・オポノポノ」もこれについては、同一見解のようです。

不幸も幸福も、すべては自分の中にある。その「しあわせ」の結晶がこの美しいひらがな文字の集合体です。妻からこのような哲学を学ぶ日が来るとは思いませんでした。このひらがなが、一文字づつ打ち綴られて行った瞬間を、僕は一生忘れないでしょう。

白雪姫プロジェクトに出会い3年3ヶ月ぶりに想いを伝えた清美さん②

【第 1642 号宮ぷーこころの架橋ぷろじぇくと 2014年2月2日】(抜粋) 今回のきんこんの会にはたくさんの方が参加されました。夢の雫の西嶋さんの奥様も西嶋さんと一緒に参加されました。その模様です。

<引用ここから>・・・・・・

「しあわせの法則」(ブログ「夢の雫~白雪姫プロジェクト~」2014.1.25より)

朝、病院につくと、妻は気合いの入った目をしていた。やっぱりな。今週の眠り姫週間は、今日という日に照準をあわせ、しっかりと妻なりにコンディションを調整していたのだろう。

「調子はどう?きんこんの会、行けるかい?」

<うん、うん>と二回首を縦にうごかし、頷いた。12時30分には出発したいので、今日はいつもより早くお昼の経管栄養がはじまっている。12時に処置をして、置き替えをして、ちょっと早いけど、12:20分に出発することになった。今日の行き先は、田園都市線のたまプラーザ駅そばの、国学院大学だ。土曜日は混んでいることが多いけど、今日は予想より順調だ。現地へむかう途中の道が、近くなるにつれて、思い出が溢れ出していることがとなりにいて、はっきりと感じた。後部座席からフロントガラスの外の景色を見ている顔が、明らかにそう感じさせる表情へと変化していった。

僕らは20数年前、たまプラーザの近くの団地に住んでいて、そのあとに鷺沼のマンションに移って、この近辺に20年ほど住んでいた。息子たちとよく遊びに行った、卓球&ビリヤード場の前を通過し、たまプラーザの駅へと向う。奴らが道ばたで泣きわめいて動かなくなるといった、お決まりの日々を、たまプラーザ東急の前で、何度経験したことだろうか(笑)そのうちの一人、次男は今日は運転をしてくれている。後部座席から、次男の運転する姿をみながら、フロントガラスの先に見えるそんな風景をオーバーラップさせる。最高のドライブとなった。

国学院に到着したのが13:40。予想より20分早い到着だ。410教室に到着すると、妻の親友のまやちんは先に到着していた。そのあとすぐに、一緒の団地に住んでいた、長屋仲間のみっちゃんが登場した。妻にとっては、最高の親友たちだ。それから、とどめは長男夫婦と孫である。そんなみんなに見守られながら、妻の初参加きんこんの会はスタートした。

この内容は、きんこんの会の記録が後日アップされるだろうから、詳細は割愛する。しかし、毎回おもうのだけど、この会は本当に素晴らしい。柴田先生と、この会を支えてくださっている様々なスタッフに心からのエールとともに感謝をいたします。この会の特徴は、みなさんご存知だと思いますが、障がい者である当事者の発言の場であるということです。柴田先生は、一通訳として、進行内容にはいっさい言葉をはさみません。議事進行の司会者も、障がい者である当事者が行い、柴田先生はその指示により、あっちこっちに走り回りながら、息をあげながら、通訳だけに集中しています。

「あー、そうか!!」・・・僕は今日気づきました。きんこんの会は、僕自身は今日で5回目の参加ですが、こんな簡単なことに今まで気がつかなかった。障がい者というのは、いつも受け身で生きているしかないという、社会構造になっているのです。しかしここに来ると、能動的である自分を選択できる。この選択肢は、一般社会にはないのです。この柴田先生がいる、きんこんの会には、その選択肢があります。簡単に言えば、、、誰もが自分の人生の主人公になれるのです。自分の人生の主人公は自分・・・あたりまえです。

しかし、とてもへんな話しですが、現代社会の中で生活している障がい者たちは<自分の人生>であるにもかかわらず<主人公>になれずに<わき役>で生きていかざるを得ないという状況に直面しています。何と言うことでしょう。僕はこの事にまったく今まで気がつかなかった。千葉の施設での事件についても、ぼくらより深い洞察力をもち、ぼくらよりもっと深くその状況を考えているのが、障がいをもっている当事者たちでした。これについては、きんこんの会の今日の記録を読んでいただければ、わかると思いますので、ぜひ後日読んでみてください。

後半にさしかかって、司会者より指名があり、妻が少しだけ話しをする番がきた。これまでの話しの進行に聞き入っていた妻は、まず、障がい者である当事者の立場、考えについて、健康なときには考えたことがなかったが、自分が当事者となり、初めて様々なことを理解できるようになったという話しからはじめた。それと、倒れるまで、十分しあわせだったこと、そして今もしあわせであること。それと息子たちに、人生における教訓として、人(きっと、友人、つきあいのあるまわりの人)を大切にして生きて行きなさいということを話していた。

司会の方は、僕ら夫婦をみて、結婚というのがどういうことか、障がい者となった場合の夫婦関係とはどういったものかということも話しをしてほしいということだったので、それについても話しをはじめた。他人である夫が、自分が元気だったころより、ずっと優しくなったということを、みなの前で暴露(笑)事実であるから仕方ない。妻は、倒れたことにより、捨てられることはないだろうとは思っていたけど、他人である自分に何故、今もこんなに優しくしてくれるか?不思議におもいながらも、僕が音楽制作のディレクターの仕事をしていたことや、僕が詩をかいて妻のことを歌った「夢の雫」という歌を白井貴子さんが歌っていることや、最近の旦那は何故か私のことが生き甲斐になっているらしいなどという、ちょっとした自慢話を披露していた(笑)

僕が妻のことを書いた詞は、ほかにもあって「ベッドサイド」という詩が妻が倒れた日の夜中にできたものだった。それは、因幡晃さんが作曲してくださり「まん丸の蒼い月」という35周年記念アルバムの中に収められています。このように、妻もここでは、自分の人生の主人公として、発言を楽しんでいたようだ。気持ちは言葉です。その”言葉”をもっているのに、そのことを理解できていない未熟な社会があります。当事者が声をあげているのに、それを無視してしまっている社会があるのです。自分自身の人生なのに、主人公になれずに傍へ退かされてしまうのです。

きんこんの会は、そんな当事者たちが自分の人生をとりもどす創造の入り口です。宇宙のはじまりのようなものです。最後のほうに話しをされた方は、新潟から来ていましたが、きんこんの会を新潟で「雪どけの会」というネーミングで立ち上げたいと話しをされていました。それは、やはり自分の人生の主人公は自分であるということを、とりもどすための会なのだろうと思いました。僕らは幸せなことに、僕は僕の、妻は妻の人生を生きていると実感できました。ここ、きんこんの会にくると、それをはっきりと体感することができるのです。この実感こそ

<しあわせの法則>だと気がついた、今日の「きんこんの会」でした。柴田先生、そしてこの会に参加していたみなさま、ありがとうございました。

<引用ここまで>・・・・・・

仙台のしげちゃんが、文字起こしをしてくださいました。

<引用ここから>・・・・・・

西嶋さん:私は男の声で大丈夫ですよ。いま一瞬代わらなくてはと思ったと思いますが、私はこれで大丈夫です。私はこの先生に5月頃に会って、いきなりすらすらと通訳させられて驚いたというか、私は、自分は十分に幸せな人生を生きてきて、この状態になったので、旦那が昔以上に私を愛してくれるこの状態に満足していればいいと思っていたので、別に強い思いで話したいと思っていたわけではないし、今でも今日の話をうかがっていると、やはり私は幸せな人生を十分に生きて今があると思うので、私は発言さえしなくていいように思っていました。

なぜなら本当に十分にいい人生を生きてこれたので、特別なこの状態になっても、まさか旦那は私を置いて逃げるとは思わなかったけれど、私のことを前以上に大事にしてくれるとは思わなかったので、置いて行かれなければいいとぐらいに思っていたら、最近は、うちの亭主は、私のことが生きがいみたいになっちゃって、本当になんで他人がこんなふうにまでなれるのか不思議で、不思議でしかたないので、さきほどの司会者の方の質問にはうまく答えることができません。でもこれが人間の不思議なところで、私がこの状態になって一番びっくりしたのは、私のような状態になってもそうとうたくさんの人が、私のことを大事にしてくれたことです。

私もさきほど、帰られたのですか、くりはらさんが言っていたように、元気なときには障害者のことなど、これっぽっちも理解できていなかった人間ですが、いったんこういう状態になってみると、自分は障害に関係ないのに、障害者のことにこんなにも一生懸命になる人がいるのが分かって驚くばかりでしたし、この先生だって、初めて私に会ったときから、こんな状態を見ても、悲しい顔ひとつせずに、にこにこと私のベッドに近づいてきたので、私にはそれが驚きで、私の親友たちは、私がもう何もわからなくなったと思っていたから、私のベッドに来ると、みんなハンカチを握りしめて、おいおい泣きだしてしまうのですが、私としてみれば、私をそういうふうに愛してくれていたことにとても感謝の念が湧くのですが、私はちゃんとここに理解できているということが伝えられなくて、私は普通にしていると、言いたいのになかなかうまく言えなくて困っていました。

ところが、この先生はそんな顔ひとつせずに、ハンカチは使っていましたが、それは私が感動的な話をすると、この先生はぽたぽたと涙をベッドのうえに落としていましたが、(笑)それ以外は、私のことをにこにこと、まるで私の昔の友達であるかのように話しかけてきたので、本当になんでこんな人たちが生きているのか、私にはよくわからなかったし、今日も一度、この会に出てみたいと思っていたけれど、こんなにたくさんの人が、私たちのような状態にある人間のことを、きちんと理解しようとしているのには驚くばかりです。そういう意味では、人の世の中の不思議さがよけいにわかるようになったし、私のような人間でも、人はやはり、人を大切にしなくてはいけないということを、心の底からわかったので、いま息子たちに一番教えていることは、あなたたち、ちゃんと人を大切にしなさいということなので、私のような人間でも、この状態で得るものがあったというのは、本当に不思議な感覚です。

あまりしゃべりすぎても申し訳ないので、以上で終わらせていただきたいと思いますが、私の夫は、なんだか昔は、けっこう羽振りのよいディレクターみたいなことをしていたので、私のホームページを開くと、けっこう有名な歌手が私のことを歌にしているので、一度聴いてみるといいと思います。夫がどこまで私を一生懸命愛してくれたか、そこにはあるそうなので、みんなそれを見て、おいおい泣いていると思うので、夢の雫というブログというのですか、そのへんで探すと有名な歌手が・・・白井貴子という有名な歌手が歌っているので、ぜひ聴いてあげてください。別に宣伝というよりは、こんなふうに夫は妻を愛するものなのよという、ちょっと私の得意げな話です。

みなさん、結婚には縁遠いとおっしゃいましたが、べつに結婚だけが人生じゃないけど、こんな状態になったときは、結婚していたのはとてもよかったけれど、私の友達にも一人暮らしをしている人がいるし、結婚はどっちでもいいというくらいに考えておかないと、結婚できないことが幸せじゃないみたいに考えることが大間違いで、私の友達はみんな、あんた不幸ね結婚しちゃってと言っている仲間も多かったので、そのへんはご理解、よろしくお願いします。(笑)(拍手)

<引用ここまで>・・・・・・

西嶋さんの奥様はなんてユーモアのある方なのでしょう。そして、西嶋さんのブログと合わせて読ませていただくと、西嶋さんの奥様は、今も奥様らしく生きておられるんだなあと、思うし、なんて素敵なご夫婦だろうと思います。私はいつも西嶋さんのブログを読ませていただきながら、病院のお父さんとお母さんを思います。お父さんも毎日いらっしゃっては、そして毎日ノートをつけておられます。愛でいっぱいのノートです。なんとか病院のお母さんともお話ができたらなあと思うのに、私はまだ、ようやくお母さんの手が少しだけ動くのを感じることしかできません。もっと練習をしますね。かつこ

白雪姫プロジェクトに出会い3年3ヶ月ぶりに想いを伝えた清美さん③

【第 1648 号宮ぷーこころの架橋ぷろじぇくと 2014年2月8日】(抜粋)

<引用ここから>・・・・・・

「よーいドン!」(ブログ「夢の雫~白雪姫プロジェクト~」2014.2.3より)

ここのところ、暖かい日がつづいている。お散歩の絶交のチャンスだ。しかし、ウィークディは病院にくるのが夕方だから、お散歩の時間には遅すぎる。処置をして、すぐ夕飯となるから、テレビタイムとした。サラちゃんのドキュメントをとってきて見せている。あの子は可愛い。ジャンプにとりくむ真剣な姿勢は素晴らしい。この姿勢はきっと妻にも通じるものがあるはずだ。障害と向き合うということは、色々なことにトライしていかないとならないはずだ。僕らにはわからないけど、身体の中にいる妻は、いつだって努力しているはずだと思う。きっとサラちゃんのことが気に入るはずだ。

昨日は、ゆっくりと散歩を楽しんだ。公園で日向ぼっこしながら、久しぶりにお優さんの本を朗読した。いつも、時間があいちゃうから、最初のほうからになり「あれー、ここ読むの4回目だよなー」とか言いながら、読み進めていく。妻は滑舌の悪い朗読でも、本の内容をしっかり聞き取ろうと真剣に聞いてくれている。そして僕はまた同じ場所で声がつまり、しばらく中断する。「ばっかじゃないの?同じところで、なんで止まるの?はやく先に進めてよ!もー、だらしないんだから。」っていう声が聞こえた。「いやいや、目にゴミがはいっただけさ」と臭い芝居をうち、つぎへとすすめる。これはウソ。

しかし、良平くんのような人ってどうやったらそんな人が生まれるのかなぁと、びっくりしながら読み進め、結局、また同じ当たりで公園は日陰になり、タイムアウトとなった。ふーむ。これでは、一生かかっても読み終わらない。どうしたものか・・・

「ばっかじゃないの・・ばっかばっかあほ」と心にチクリとこだまする。

自分の苦しみを、他人の苦しみの尺度とし、その経験を将来の薬剤師への道しるべとする。どうして、あの年齢でこんな発想をすることが出来たのだろう?きっと、何度も生まれて修行をつんで、今回はこれを家族とともに経験すると決めて生まれてきたにちがいがない。こうやって、人はみな永遠に成長していくのだろうなどと思いながら朗読をした。お優さんの文章はとても読みやすい。すーっと気持ちがこちらの心に入ってくるといった文章だ。だから妻も、滑舌のわるい朗読でも我慢出来るのだろう。

とにかく、言葉=気持ちがわかることが、どれだけ大切かということは、きんこんの会へいくたびに思います。それは、患者本人だけでなく、家族にとっても、たいへん大きな意味があります。わからないでいると、かってに間違った判断を廻りがすることがあるわけです。僕であれば、妻は絶望の中で生きているのではないか?などと思い、それが自分自身を苦しめます。これは負のスパイラルのようなもので、ろくなことがありません。

ところが、昨年5月に柴田先生が笑いながら入って来た時には、妻は初対面なのに、冗談を言っていました。初対面で会うなり、面白い人だと言うのです。涙する先生を、少しからかったりしながら、なんともそんなに心に余裕のある、懐のふかい人間になっていたことを知ったときには、僕も泣いていましたが、その涙の中には、心配しすぎていたことから解放された喜びがありました。

それから、少しづつ、このつまらなそうな鉄仮面みたいな無表情の中に、豊かな感性と、感情がのびのびと広がっているのだとわかりました。詩を書きはじめた作品の成長度もすごかった。そろそろ、もう次の詩がたくさん妻の中にはあるのだろうと思いますが、これは、忘れないように妻の心にしまっておいてもらって、次のチャンスをゆっくり待ちたいと思います。

29年目1日目の今日は、夕方の処置にギリギリ滑り込みセーフ。これは、あとは回数を重ねないとだめだ。僕が下手くその間は、ハードな体操の時間となり、上手になったらもっとハードな訓練を別のプログラムを開発していこう。とはいっても僕は優しいので、かっこちゃんほどのスパルタではない(笑)宮ぷーのハーレムへ伺ってから、たったの9ヶ月で、もうお出かけは4回行った。

人と人との出会いは、思いもしない人生の扉を開けてくれる。僕はかっこちゃんの講演会、たった2時間で「座る」ことの大切さを知り、そのひと月後に一日で座り方を教えてもらって、そこから半年で、想像もしていなかったお出かけを始めたのだ。

よーいどん!結婚29年目がスタートした。さてさて、次のステップはいったいどこから何がやってくるのだろう?人生ってやっぱり面白い。

<引用ここまで>・・・・・・

なんて素敵なご夫婦でしょう。そしてうれしいことは、言葉としては奥様は使っておられなくても、でも間違いなく会話をしながらおられるのが素敵です。かつこ

過労により倒れた22歳のR君の初めての筆談報告①

【第 1405 号宮ぷーこころの架橋ぷろじぇくと 2013年6月11日】(抜粋)

「おかあさんありがとう」

(※守本優さんのブログ「情報ブログ-あなたと話せる日のために-」2013.6.8より) 先日、西新宿で上映会が有りました。僕のうしろに道はできる上映後は、監督の靖子さんの講演があって、その時に私も少しお話させて頂きました。その日にいらしていたあるご夫婦とお話しました。彼らのご長男R君は良平と同じ歳ですが、1年前に過激な勤務の疲れから倒れて心肺停止。その時間が長かったために低酸素脳症となり、遷延性意識障害で闘病中とのこと。良平に重なる話が多く、人事とは思えませんでした。なんとか息子さんの思いを知る方法を探したい、回復する方法を探したいと一生懸命なお二人。連絡を頂いて、昨日R君に会いに夫と二人で病院に行って来ました。R君はお部屋で一人で寝ておられましたが、お父様と入って行くと、体が大きく反っていてお父様がびっくりして体勢を直してケアをされ、落ち着いた所でお声をかけさせて頂きました。目を覗きこんで自己紹介をしましたらしっかりと私を見て、口も動かして笑顔になって!「お待ちしていました」と言われた気がしました。夫が自己紹介しても同じように笑顔になって下さいました。御両親共に美男美女ですから、R君もすごくハンサム!!そう伝えると、照れるような笑みを浮かべて下さいました~

お父様にお聞きして、体を起こすことが可能とわかったので、できるだけベッドをギャッチアップしてもらい、頭をしっかり前を向くような位置にして、目を見ながら、一生懸命に話しかけました。思いがあることを分かっていること、伝えたい気持ちをなんとか表に出す方法を探しましょうということ、必ず回復するから大丈夫、一緒に回復の方法を探そう、お父さんお母さんも必死に探しまわってくれてるよと、そういう話を、彼はじっと目を見て聞き入って、そして反応を返してくれます。絶対に理解してるのだと確信して『瞬き』の練習です。イエスの時にギュッと目を閉じることが上手に出来ます!!8割以上は確実に返事が出来る状態です。

それから今度は腕や手指をマッサージして拘縮を解き、少しやわらかくなったところでペンを持ってもらい、筆談を試してみました。「今日書けなくても大丈夫。楽な気持ちでやってみようね」と言いながら始めたのですが、すぐに手に意思を感じ、書き始めてくれたのです!最初に書いた言葉は「もどる」でした。そして次は「かえりたい」お母様が、「おうちに帰りたいのね?」と涙声で聞くと、少し体に力が入ってしまって、次に書いた文字は「しあわせ」なんて優しい青年なのでしょう!お母様に悲しい思いをさせたくないという気持ちがひしひしと伝わって来ました。こんなにすぐに書けるようになるとは思わなかったので、早速お母様にもやって頂けるように練習しましょう!と、お母様にお教えしてやっていただくと…「おかあさんありがとう」
この時実はソーシャルワーカーの方がいらしてて、私達がやることをずっと見学していらしたのですが、とても驚かれて「お父さんもぜひ」と。なのでお父様にもお教えしてやって頂きました。すると、さっきよりもっとスピードもアップして綺麗な字で「ありがとう」と!!お父様もお母様もこらえきれずに泣いておられて…私もこみ上げる熱いものでいっぱいに満たされて…感謝の言葉、伝えたかったんだね!自分で書いた文字を見てR君はそれはそれは穏やかな優しい表情になっていました。
お父様は「書こうとしている文字がわかりますね!」と本当に嬉しそうに仰っておられました。これからはお二人でドンドン練習するとも。
ああ、なんて嬉しいことでしょう!!!R君は体を起こして、そして筆談をした後は拘縮していた腕がダランと降りてすごく柔らかくなっていました!!このことをブログに書いてもいい?メルマガの皆さんに知らせてもいい?とご本人に聞くと、瞬きギュッとして、いいよと応えて下さいました~~!
「きっとR君のことを聞いて、勇気を貰える人いっぱいいると思うの。ありがとう!」と言うと、またじっと目を見て、ぎゅっと瞬き!なんて嬉しい!なんて優しい!!
名残惜しかったけれどまた絶対に来るからねと約束して夕食注入前に失礼しました。夫は、白雪姫プロジェクトの勇者のメダルをR君にプレゼントしていました。やっぱり白雪姫プロジェクトはドンドン広めなくては!R君にお会いして、また改めてそう
思いました。

・・・・・・

そして、Rくんのお母様からもメールをいただいています。

・・・・
このメールのお返事はかっこちゃんに届くのかよくわからずメールしてます。かっこちゃん初めまして。わたしは優さんのブログに登場したRくんの母です。優さんのブログにある通り今は筆談により少しずつですがコミュニケーションがとれるようになってきました。この優さんとの出会いも僕の後ろに道は出来るの本を知り合いの方にいただいたことがきっかけでした。それで映画のことも調べて本当にこのタイミングで行ってなかったら守本さんご夫妻にも会うこともなかったと思ったら本当に神様だと思いました!!是非是非宮プーとかっこちゃんに会いに行きたいです!!
・・・・

本当になんてうれしいことでしょう。そして、私は自分も関わっていながら、こんなふうに思うのはおかしいかなと思いながら、やっぱり、白雪姫プロジェクトはすごい。携わってくださってるみなさんがすごい。「僕のうしろに道はできる」の映画はすごい。本当に最高だと思うし、大切だと思います。今も知らないというだけで思いを伝えられない方がたくさんおられる。広めてくださる方がいて、白雪姫プロジェクトに連絡をくださったり、柴田先生や優さんや、松尾さんや二宮さんや、そして、多くの白雪隊のみなさんにも会ってくださって、その日のうちに、思いを伝えられるようになった方も何人もおられます。やっぱりローラー大作戦で、みなさんにお伝えしていきたいと心から思いました。どうぞみなさん、映画を観て欲しいと、白雪姫プロジェクトを知ってほしいと今一度お伝え願います。

かつこ

過労により倒れた22歳のR君の初めての筆談報告②

【第 1407 号宮ぷーこころの架橋ぷろじぇくと 2013年6月13日】(抜粋)

Rくんのお母さんEMIさんからです。

・・・・ みなさまの暖かいコメント、かっこちゃんのお言葉本当に勇気もらってます。ありがとうございます!僕のうしろに道は出来るの映画を見るまでは実は病院に行くのが辛くて辛くて仕方ありませんでした。もちろん息子は絶対治ると思ってました。でも心のどこかで何も変化の無い息子のことを見るのが辛かったのです。マッサージをしてあげてもすぐ元に戻ってしまうし、足を曲げ伸ばししてたらゴキっと音がしてまさか折れてないよな?とか思いながら本当に暗闇を手を伸ばしてゆっくり一歩ずつ歩いて行く、そんな感じの毎日でした。

でも映画を見て、守本さんご夫妻にお会いして筆談まで出来るようになりすべてにおいて未来は明るく感謝の気持ちでいっぱいです。これもかっこちゃんや宮ぷーや映画を作ってくださった皆様、出演された皆様、この映画を新宿で上映してくださった皆様、携わってくださった皆様のおかげです。コメントをくださる皆様、すべての方々に感謝の気持ちでいっぱいです。本当にありがとうございます。わたしもこのことをもっともっと沢山の人に知っていただきたいと思います。すべての皆様の未来は明るくあるべきだと願っています。Emi

・・・・

本当にうれしいメールです。ありがとうございます。かつこ

19歳の男性のお母様からの回復報告

【第 1411 号宮ぷーこころの架橋ぷろじぇくと 2013年6月17日】(抜粋) こんにちは、初めてメールさせていただきます。私は、多発外傷、脳挫傷により、遷延性意識障害となった19歳の息子の母です。今年、2月20日に受傷しました。手足等、7か所の骨折。頭は、左前頭葉、右頭頂葉挫傷、その他、水頭症あり、左視神経官骨折、細かい挫傷は多々。受傷後は、ICUに約1か月、人工呼吸器、気管切開、経鼻栄養。開眼はしているものの、ただ天井を見ているようなだけ。その後、人工呼吸器が外れ、2か月が経過し、開眼はしていても、追視もなく、体のどこもほとんど動かさず、全介助にて体位変換してもらうのみ。医師からは、反応も追視もなく、このまま回復の見込みは考えにくい、というような話をされました。

その頃、白雪姫プロジェクトを知りました。主人も私も、このプロジェクトを知って、絶対大丈夫だ!という確信を持ちました。そこからの、特に主人の気合は確固たるものでした。経鼻栄養も、気管切開も、早く外したい。口から一滴の水も入れてやれないことが辛くてしょうがない。とにかくまず、経鼻栄養を、胃ろうにしてもらうこととしました。そうすれば、嚥下しやすいだろうと。そして、胃ろうにしてからは、とにかく口にものを入れたいから、とにかく嚥下の検査してほしいと頼みました。
主治医からは、窒息覚悟、と言われましたが。そんなに言うならやってみてもいいと。すると、嚥下検査に合格し、ゼリー状のもの食べていいと。3か月ぶりに食べ物を口にした時の、笑顔にならない笑顔のような表情を浮かべて、本当にうれしかったです。その後、大した痰も出てなく、耳鼻科Drより、気管切開も閉じていいよと。
5月中旬にここまできました。しかし、体の筋肉はすっかり衰え、右手を動かせる程度。首も座らず、起こすときは頸椎のカラーをつけるよう指示されました。カラーつければ座
っていいと許可が出たので、とにかく起こすことに集中し、端坐位や車椅子の時間をとるようにしました。
そうして、1か月が過ぎ・・・すると、先週から、突然、活動が活発になりました。手足をよく動かせるようになり、1週間前に、肘を上げられるようになり、今までは介助してやっていた食事の、スプーンの上に食べ物をのせてやると、自分で口へ持って行って食べました!!これには、誰も驚きました。そして毎日動きが大きくなり、ベット柵引っ張るから危険と、看護師さんに言われたり・・そして、今日は、初めて、発語しました!!
あ、い、う、え、おこちらの言うとおり、真似して言いました!いま受傷から4か月。ベテラン医師も看護師も、誰もが絶対回復困難と思っていました。白雪姫プロジェクに出会わなかったら、医療の言われるままに寝かせきりだったと思います。このプロジェクトのおかげで、私たち親は希望を失うことはありませんでした。本当に感謝しています。これから、子供のさらなる回復にがんばりながら、このプロジェクトの力になれるようなことが出来たらいいなと思っています。
・・・・

すごくすごくうれしくて、そして、よく白雪姫プロジェクトをみてくださったなあと感謝の思いでいっぱいになりました。きっともっともっと回復されますね。心から応援しています。ああうれしい。そして、一緒にがんばっていきたいです。

かつこ

38歳の男性(父親)の初めての筆談報告

【第 1415 号宮ぷーこころの架橋ぷろじぇくと 2013年6月21日】(抜粋) 体当たり白雪姫のお優さんとあやちゃんたちは、本当になんて素晴らしいのでしょう。もう嬉しくて、涙がとまりません。私もがんばらなくちゃと勇気をいただきます。お優さんのブログ「あなたと話せる日のために」から・・・・・・

「意識って何?」

(※守本優さんのブログ「情報ブログ-あなたと話せる日のために-」2013.6.17より転載) 私の仲間(ぴょん吉さんと言います)からの紹介で、ご主人が脳出血で倒れたという方に会って来ました。ぴょん吉さんは先日その方に初めてお会いして、その日のうちにご主人のことを知り、彼女に白雪姫プロジェクトのことを伝えて、さらに私に繋いで下さいました。

早速連絡をとりあって、最速の今日をお約束。アヤヤ(※守本優さんの長女)とKANA君(※アヤヤさんの長男)も一緒に伺って来ました。
11時過ぎに病院に到着。先ずは奥様とお話をさせて頂きました。お二人ともまだお若い
ご夫婦で、お子さんは二年生。二年前に倒れたご主人は現在38歳です。脳出血の重症な状態で、お医者様からは「手術をして助かっても一生植物状態になる」と言われ、手術をするかしないかを決めて欲しいと。
もちろん奥様は命を助けてくださいと手術を選択しました。それから2年、「意識の回復はない」と言われています。赤ちゃんのような何もわからない状態になるのだと。私たちは白雪姫プロジェクトのことをお話して、「僕のうしろに道はできる」の本をお見せしてお話
ノートも差し上げました。必ず回復すること、一人でも「全部わかってることわかってるよ」と真剣に思って、回復するからね!そのために頑張ろうと、言ってくれる存在があることでご主人は変われるからと、絶対にあきらめてはダメだとお話させて頂きました。
今まで一人で頑張ってきた奥様。奥様のお母様がとても協力してくださっているけれど、相談できる人もなく、回復する望みもあるのか無いのか全く誰とも不安を打ち明けることも出来ずにどんなに辛かったでしょう。病室に行ってご主人にお会いしました。え????と、先ずびっくりしました。私が今までお会いした方々の中で「一番意識がはっきりしておられる」と感じたからです。自己紹介もしっかり目を見て聞いてくださって、うっすらと微笑みも浮かべてくださいます。アヤヤが自己紹介しても同じように反応してくださって、更にKANA君を見せると、破顔とも言える笑顔!そして左手をシッカリ伸ばしてKANA君の手を握り、頭にも手を伸ばして撫でようとしてくださる!アヤヤと私が息子さんの写真を見て「息子さんですか?かわいい~~!!」と二人で同時に言うと、また大きな笑顔になって「はは」と声も出されて!意識の回復はない?完全に意識回復してるではないですか!こういう時にいつも医学で言う「意識」ってなんだろう???と不思議な気持ちになるのです。
奥様に話したように、時間をかければ必ず回復できるからあきらめないで一緒に進みましょう!と話すと涙が・・・・そこから筆談です。左手がしっかり動くのでペンを握ってもらうとちゃんと持てる!そして◯と×の練習をしてから数字の練習。おやまあ!完璧です!!×は斜線一本ではなくちゃんと交差させてくれました!「好きな数字は?」と聞くと「5」と書いて下さいました。「お名前は?」の質問にもきっちりと答えて、奥様はただただ驚きの声!そこで、これは行ける!と奥様にバトンタッチ。この方はほとんど自力で筆談ができているのです。お手伝いはほんとに少し手を添えているだけ。
そうしましたら、奥様の名前とお子さんの名前を書いてさらに「ありがとう」と!!アヤヤはお子さんともすっかり仲良しになって、パパが字を書いてくれたりパパの病室が賑やかな笑いに満たされていたのがとっても嬉しかったと言って下さいました。なるべく体を起こすこと、背中を開放すること、首をシッカリ立ててあげる事などをご本人の前でお話して、また目を見て「意志を伝えられるよう色々やりましょう」という話をしていたらまた目が真っ赤になって涙を流されて・・・こんな瞬間に医師でもない私が立ち会わせて頂けて本当に本当にありがたいと思いました。

・・・・・・私が白雪姫プロジェクトをどうしても始めたいと決意させてもらったのも、知らないというだけで気持ちを伝えられないままに、時間を過ごしておられる方がたくさんいることを知ったからでした。その方の数は数えることがおそらくはむずかしいほどだと思います。この方も、すでに、思いを伝えるための準備は体の中でずいぶんしっかりできておられたのでしょうね。それでも、周りの方が知らなければ、伝えることはできません。お優さん、あやちゃんありがとう。かなちゃんありがとう。ありがとうございます。思いが伝えられるようになると、他の部分の回復の様子も変わってこられる方が多いようにも思うのです。本当に言葉にならないほどのうれしさです。かつこ

大学2年の部活中に倒れ12年後に想いを伝えられた中島吾郎さん

【第 1427 号宮ぷーこころの架橋ぷろじぇくと 2013年7月3日】(抜粋)

昨日もお知らせさせていただいた動画とそしてもうひとつ動画があります。

重い意識障害の男性が意思表示、介護の現実(約16分)
http://youtu.be/yDu6i1wtsFc
遷延性意識障害とその介護の現状(約17分)
http://youtu.be/Y8kX5DytXdE

私はこの動画を見ながら涙がとまりませんでした。その理由はひとつではなくて、いっぱいっぱいあるのです。もちろん、動画に出ておられる中島さんや、それから吾朗くんが長く思いをつたえられなかったけれど、今、伝えられるようになったということがまず一番に本当にうれしくて、泣けてしかたがありませんでした。

けれど、もうひとつ考えたことがありました。とても重い障がいを持っておられる方に思いがあるんだと気がついておられる方はこれまでもたくさんおられました。奇跡の詩人と言われた日木流奈ちゃん、それから、片倉信夫先生の自閉症のお子さんとの取り組みのぺんぺん字、最近では野田首相の所信表明の大越桂さん。動画がユーチューブにアップされると、ものすごく大きな反響がありました。けれどもその反響は、素晴らしいことだとか、みんなが思いを持っているから伝えて行こうというような反響ではなくて、むしろ逆でした。ここに書かせていただくのも怖いような中傷もいっぱいあり、ご本人だけでなく、ご家族や関わられた方が本当に傷つきました。そして、傷ついただけでなく、他にも思いを伝えようとしていた方の方法が、すっかりたたれてしまうほどのつらいつらいことがあったのです。いよいよ信じていただける日がきた、みんなが想いを伝えられる日が来たんだと涙が止まりませんでした。悲しいことをくり返してはならないと私は思います。それで、私思うのです。ぜひ、ユーチューブに、みなさんがうれしいコメントを入れていただけたらなあと思うのです。もちろん、みなさんに見ていただきたいのはもちろんです。そして、もしコメントも書こうと思ってくださる方がおられたらすごくすごくうれしいです。ユーチューブにコメントをするときは、自分のアカウントを持たなければなりません。メールアドレスを入力したり、パスワードの設定もいります。よくわからなかったり、どうしてもおっくうになってしまう場合もありますもの。だから、無理はなさらないでくださいね。そしてつけ加えだけど、この動画にはみなさんの大好きなひろじちゃんが出ておられます。わあ、動いてる。きゃー、ひろじちゃんだとミーハーな私です。ぜひご覧ください。

かつこ

交通事故にあったなおちゃんが白雪姫プロジェクトに出会って回復した報告

【第 1469 号宮ぷーこころの架橋ぷろじぇくと 2013年8月13日】(抜粋)

8歳のときに交通事故にあって、臓器移植の意思の確認まで聞かれたというなおちゃんのお母さんからのメールを載せさせてほしいとお願いしました。うれしくて、メールをいただくたびに涙がにじみます。

・・・・

かっこさん、こんばんわ。なおの母です。今ごろは、アフリカの空の下ですね。今日、スイッチとそれに繋がる音声発生装置を貸してもらいました。日中一時支援のお部屋でもいっしょにやってみました。呼び掛けに応じて口を開けたり左側を向いたりしてスイッチをオンにしました。そのたびに、どこから聞こえるの?って、顔をしていました。あと、目の動きを見られる透明な五十音表の見本をもらって作り方も教えてもらって、ラミネート板までもらいました。とても親切にしていただきました。
かっこさんのおかげです。家でもひらがなカードやくだもの乗り物数字カードなどを買って見せています。少しでも脳の記憶部分に働きかけが出来ればと、家族中が一生懸命です。日中一時支援に通うようになってなおはとても笑顔が増えました。家中、みんなが喜んでいます。ほんとうにありがとうございました。

・・・・

かっこさん、こんばんわ。アフリカ旅行からお帰りなさい。あんなに長い文章を毎日書かれて大変でしたね。でも、日本にいても旅行の様子が目に浮かぶようでした。なおも今日でB型通園に通い始めてひと月が過ぎました。この1ヶ月目に見えるような変化がどんどん出て来ました。7月中は私もいっしょに通っていましたが8月からは、1日ひとりで通園で過ごしています。先生方もみなさん親切で一生懸命で安心して預けています。お友達の名前も覚えて名前を言うと目でその子がどこにいるか追うようになったそうです。
ひらがなカードや色形大きさなどのカードも開口で質問に答えることが出来るようになりました。もちろん、給食もおやつもモリモリ食べています。お昼はできるだけ口から食べるようになって経管栄養も減らすことができました。前は家族としか出来なかった瞬きや開口発声のある返事もどの先生ともできるようになりました。でも、まだ自分の意志で動かせるのは首から上だけなので次はジャンケンの出来る手を目指しています。ほんとうにこんな日が来るなんて夢のようです。白雪姫プロジェクトを知って思い切ってかっこさんにメールしてほんとうに良かったです。
ほんの2~3ヶ月前のなおとは別人になりました。暗かった家の中もグンと明るくなりました。外に出ることを進めてくださっていつも励ましてくださって感謝しています。ありがとうございました。なおから見れば家族全員が教育ママ状態です(笑)

・・・・

かっこさん、こんばんわ。いつも励ましてくださってありがとうございます。いつでも背中を押してくださってありがとうございます。かっこさんから良かったね素敵だね
と、言われると私間違ってないよねって、ホッとします。いつもこれで良いのか?もっといい方法あるんじゃないか?私間違ってないのかな?って、毎日、手探りでした。
周りの誰にも経験のない状態で誰にも相談できなくてずっと隠れるように過ごして来ましたがかっこさんに出会って背中を押してもらってここまで来れました。白雪姫プロジェクトに、かっこさんに、出会ってからのこの4カ月なおも変わりましたが私た
ち家族も大きく変わりました。ほんとうにありがとうございます。メルマガの件O.K.です。同じように苦しんでおられる方々に少しでも励ましになれますように。

・・・・

なおちゃんのお母さんは、何度も私にお礼を言ってくださっていますが、私は何もしていないのです。みんななおちゃんとご家族の頑張りが、今、支援の先生と出会われて、みんなの一生懸命が、花を咲かせ、実を実らせているのだなあと思うのです。なおちゃんは、夏祭り?のおばけやしきで満面の笑みで笑って、先生方がうれしくて泣いたというお話も伺いました。みんなの力ってなんて素敵なのでしょう。家族が喜び、みんなが喜ぶ。それはどんなに大きな力になることでしょうね。宮ぷーもそうです。フェイスブックやメールでたくさんのコメントをいただくことは、ものすごく大きな力になっていると思うのです。本当にありがとうございます。なおちゃん、もっともっと思いを伝えられるようになる、これは間違いのないことだと思います。深い思いを私も聞きたいです。かつこ

天使のようなお掃除のおばちゃんによって返事ができた男性

【第 1625 号宮ぷーこころの架橋ぷろじぇくと 2014年1月16日】(抜粋)

とてもうれしいメールをいただきました。

(メールここから)・・・・はじめまして。今日はどうしてもかっこちゃんにお礼を言いたくてメールをさせてもらいました。主人が脳出血のために倒れたのは11月17日でした。ドクターからは、残念ながら、意識が戻ることはまずないと言われました。「一生このままですか?」とさらに重ねて家族で尋ねたところ、「はい、そのつもりで、今後どのようにしていくか決めてください」と。私たちは、どうしてよいかもわからずに、主人の枕元で泣き続ける日々が続きました。今思ってもどん底の日々。
そんなときに、病室の掃除のおばちゃんが、主人の顔をのぞいては、毎日話しかけてくれました。「何もわからないようになってしまって」と私が言ったときに、おばちゃんが言ってくれた言葉は「奥さん、それは違うよ。ご主人は聞こえていますよ。わかっていますよ。伝える方法がわからないだけやから」でした。私は涙が止まらなくて、私が「ドクターがあきらめてください。意識は戻らないと言われたのです」と話すと、おばちゃんは「先生には立場があるから、言えないかもしれないけど、おばちゃんはわかってるよ。」そしておばちゃんは、「携帯を持っている」と私に尋ね、「今すぐ白雪姫プロジェクトという言葉調べて」と言いました。あまりのおばちゃんの迫力に、私は、おばちゃんの言葉のままに、白雪姫プロジェクトを検索しました。おばちゃんは「そこに意識を取り戻す方法が書いてあるからね。ほら、斜め向かいの人は、誰にもわからんかもしれんけど、私が毎朝、掃除に来たよというと、必ず返事するよ。ちょっと来てみて」そして、おばちゃんが話しかけると、本当におばちゃんを目で追い、返事をしているように見え、ものすごく感動しました。それからかっこちゃんの本も読み、メルマガも読ませていただいて、私自身も主人が必ずわかっているし、回復するという明るい気持ちがわいてきました。リハビリもはじめました。
私も気がついたことがたくさんあります。看護師さん、介護士さん、みなさん、家族には話しかけるけれど、本人には話しかけないし、家族がいなければ、職員同士の話をしています。掃除のおばちゃんは、いつも本人に話しかけている。おばちゃんはすごい人です。私は今は「おばちゃん、おばちゃん」と呼んで頼りにして何でも教えてもらっています。おばちゃんは本人の目を見るのが大切だと教えてくれました。本当にすごい人です。そして、12月の終わり、主人に私が話しかけると返事をしてくれるようになり、びっくりして、他の部屋の掃除をしているおばちゃんに報告に行きました。おばちゃんは涙を流して喜んでくれて、私たち抱き合って泣きました。おばちゃんのおかげというと、おばちゃんは「私は、自分ができることをしているだけ」と言いました。
主人は日ごとにしっかりと返事をしてくれるようになっています。かっこちゃんにお礼を言いたくてメールをしたいと考えていたのですが、おばちゃんが、「出してみたらいいよ」と言うし、たくさんのメールが届いているだろうから、ご迷惑かもと思いましたが。長いメールをすみません。読んでくださってありがとうございます。おばちゃんは、毎日いろいろな病室で、患者さんに話しかけています。私も4人部屋なので,他の患者さんにおばちゃんのように話しかけるようにしています。主人の未来をあきらめません。必ず宮ぷーのように回復して行きます。かっこちゃんがんばってください。私たちにとって、おばちゃんとかっこちゃんの出会いは、誰よりも大切です。
(メールここまで)・・・・

今朝読ませていただいて、さっそくお返事を出させていただいて、それから、メルマガに載せさせてくださいとお願いをしたら、ぜひ載せてくださいと言ってくださいました。お掃除のおばちゃん、本当にすごい方ですね。私も泣きながら読ませていただいて、心からおばちゃんに感謝したいです。そして、おばちゃんの「私は自分のできることをしているだけ」という言葉。これはすごく大切なことだなあとも思いました。そして私もすごくはげましていただきました。ありがとうございます。それから、ご主人と一緒に頑張っておられるメールをくださった方にも心からお礼を言います。一緒にがんばっていきたいです。

いったん、星野さんにメルマガの配信をお願いして送ったのに、また追加を書いています。あれから、お掃除のおばちゃんのことをずっと考えています。誰も、意識があるということに気がついてもらえない方にとって、思いがあるんだと信じて、毎朝来て、話しかけてくれるおばちゃんの存在はどんなに大きいことでしょう。誰も、気がついてくれないと思っているのに、おばちゃんは、今日もベッドのところに来て、きっと話しかけてくれる。明日はお返事をしよう。きっとしようとそう思えるのじゃないかと思うと涙が出ます。おばちゃんは天使みたいに思えるでしょうね。

ナイチンゲールのお話も思い出しました。おばちゃんのお話をうかがって、たくさんの方のお力をお借りしながらも、毎日、白雪姫プロジェクトや、メルマガを続けてこれてよかったなあと涙が出ます。これからもまたがんばりたいと、また新たに決意をします。きっとおばちゃんに伝えてくださった方もおられたのだと思います。みなさんがいてくださるから、毎日があります。本当にありがとうございます。そしてみなさんどうぞよろしくおねがいします。

かつこ

体当たり白雪隊の優さんによって筆談ができたMさん①

【第 1791 号宮ぷーこころの架橋ぷろじぇくと 2014年7月1日】(抜粋)

今日は体当たりのお優さんのブログからです。

<引用ここから>・・・・・
6月26日(木)早起きして身支度を整えます。今日はこれから大阪に向かうのです。大阪シアターセブンで上映された僕道を観て、かっこちゃんに問い合わせをしてくださったY子さん。ご主人が2年ほど前に倒れて意識障害となり、孤軍奮闘で頑張ってこられた方でした。かっこちゃんから私に「優さん行ける?」と連絡があって私からご連絡したところ、是非に!とお答えいただき、今日の訪問になったのです。

東京駅で気になっていた駅弁発見!!「牛肉ど真ん中」というすごいネーミングのガッツリお肉なお弁当。早速購入してお昼のお楽しみに。朝ごはんは明太子のおにぎりを買って食べました。近頃中央線が不安定だったため1時間前に東京駅に到着するよう早めに出てきたのでした。新幹線の旅は快適でした。先日夫が新しいノートパソコンを買ってくれて、それを使いやすく、婿君がセットアップしてくれました。車内でパソコンを開いて、今作っている企画書をほぼ完成させました。あとは帰りの新幹線だな。新大阪から何回か電車を乗り継いで目的地へ。お迎えに来てくださったY子さんと初めまして~~病院にはすぐに到着しました。

いつものようにじっくりと自己紹介。当事者のMさんはしっかり目を開けて私の話をじっくり聞いておられます。ベッドをできる限りギャッチアップして活動開始。固くなった部分をほぐすことから始めました。ベッドサイドリハビリの説明をしてからいよいよ筆談を始めます。両手を試してみましたが、やはり右かな~○×、1,2,3は書けました。次にひらがなです。が・・・弱弱しいながら文字を書こうとMさんがなさっておられるのを感じたのでペンを支えていると、3文字のひらがなを繰り返して書かれておられるのがわかりました。3回目に判読できたのですが、それはお嬢さんのお名前だったようです。Y子さんもびっくりしておられました。
筆談を進めているうちにMさんのお父様がいらして、私がしていることをご覧になっておられましたが、ご子息に意識や意思があることをまだ信じられないようで病室を出たり入ったりしておられました。「これ、本人が書いてるんですか?」信じられなくて当たり前ですよね。でも「はい、そうなんですよ」としか答えられません。だって本人の言葉なのですから。
「ママありがとう」「ごめんねおとう」「おこらんで」「わかってもらえてうれしい」「あなたはすごい」などなど、だんだんに筆が乗ってくる感じです。この方の動きはとても
微細なので読み取りもすごい集中しないと難しいのですが、ペン先が確実に動いていることが確認できます。

その後も「あきらめなくてよいのですね」「ひとふでならかきやすい」「ちからがはいら
ない」などたくさん書いて下さいました。
Y子さんが「パパ、もう一人子供おるやろ」とおっしゃると、じ~~~っとY子さんを見つめています。「忘れちゃった?名前も出てこない?」どうやらもう一人男の子がおられるそうなのです。
「じゃあ、奥さんとの筆談練習で、息子さんの名前を思い出す訓練してくださいね」と、そんな話になりました。そろそろ終わりにしようかというあたりから今度は指談に変えて
みました。指先は曲がっていて難しかったので、人差し指の関節を使わせていただきました。
「こうこうのさき」と書かれた後でまた3文字書かれたのですが、なんとそれが息子さんの名前でした!!私には意味が分からなかったので読み上げたのですがY子さんが「息子の名前です!!」
えええ~~~!私もびっくりでした。名前や誕生日などはなかなか出てこないのが当たり前のようになっていたのですが、この方の場合は名前の引き出しはちゃんと開いていたのですね。
その後に書かれたのは「すきなことさせて」でした。これもMさんがいつも仰っていたことだそうです。「子供たちには好きなことさせたい」と。
そしてY子さんには「じぶんのこともきをつかって」と。この辺からY子さんは涙がこらえられず「パパ、覚えてくれてたのね」ととても嬉しそうでした。よかった~~~~病院を後にして、二人で夕飯に行きました。今日初めてお会いしたのに、もうすっかり打ち解けて「串カツにしよう~~~」と大はしゃぎ(笑)お昼がお肉だったので野菜の串揚げ定食にしました。
Y子さんにごちそうになってしまいました。いや~~~美味しかった~~~~二人で語りに語って有意義な時間になりました。
ホテルに送っていただいたので部屋によってもらって、端座位のやり方、車いすへの移乗など力のいらない介護法も練習しました。お部屋が和室だったので、座卓を使ってやりました(汗)久しぶりだったので、最初は私が「あれれ?」となりましたが、すぐに思い出して伝授することができました。明日も朝から病院に伺います!ぐっすり眠るぞ~~~~~
<引用ここまで>・・・・・・

優さんが、奥さんと一緒のときに電話をくださいました。本当にうれしそうでした。優さんすごいなあ。本当にすごいです。そして、いつもいつもがんばるぞーって言ってくださいます。

かつこ

体当たり白雪隊の優さんによって筆談ができたMさん②

【第 1794 号宮ぷーこころの架橋ぷろじぇくと 2014年7月4日】(抜粋)

優さんの日記の続きです。

<引用ここから>・・・・・・大阪その(2)
6月27日(金)朝の目覚めはすっきりです。ゆっくりと身支度を整えてから朝食へ。なんと洋食なのに味噌汁もあって嬉しいしっかり頂いてからお部屋でしばし寛いで約束の時間にロビーにおりました。
Y子さんはもうお迎えに来て下さっていて、二人で早速病院に向かいました。
Mさんはぐっすり眠っていらしたけれど、すぐに起きていただきました(笑)
まずはY子さんに筆談練習をしていただきます。Y子さんは昨日も練習をしました。
○×1.2.3はかけてひらがなも。Y子さんの誘導であ~おまでが書けたのです。
とはいえ、まだ角度や力の入れ具合がなかなか難しく、これからの練習が必要です。
なので先ずは○とバツが確実に書けるように二人で頑張ることにしていただきました。
実はこの病院のある場所は、体当たりのユミちゃんのご実家のそばということが昨日判明しました。ユミちゃんも指談ができるので、今度から帰省するときには来てくれると!なので定期的に成果確認と指導ができそう!
私が代わって筆談すると「ゆめをみましたこどもとこうえんにいましたおいしいごはんもありました」
そして「いつかいえにかえりたいのでそのためにがんばります」「みんなにはもうしわけないけど」と今日は昨日より字がはっきりしています。
それから今度はリハビリです。足を伸ばしたり顔のマッサージをしたり、手もしっかりマッサージすると柔らかくなりました。股関節も徐々に開くように膝を立てて運動。すると!右足が自力で動かせました。「外へ倒して~中へ倒して~」という私の声掛けに、小さい動きですが確実に応えて下さったのです。Y子さんも「パパ、動いてるで~~」色々やっているうちに私はどうしても「端座位」がやってみたくなってしまいました。Y子さんも同じ気持ちです。病院に確認する?と聞くと「やっても大丈夫です」とY子さん。たぶん何もおっしゃらないからと言うのです。内臓にも問題は何もなく、脳ももう治療はなく、今はただ意識障害の部分だけなので体を起こすことも反対されていないからギャッチアップも自由なのだと。ならやってしまいましょう!
ということでベッドを一番下まで下げて、しっかり安全を確認しながら「端座位」やりました!!案外すんなりとできちゃいました。お首も自力でしっかりとまっすぐ支えておられます。そして!表情がしっかりくっきり変わったかと思うと、唇の端をあげられて、笑顔になられたのです!!
Y子さんも「パパ、座れたね!よかったね~~!」と端座位をずっとしたかったのだと喜んでおられました。
お二人で並んで座るのも数年ぶりです。
一人ではまだ危ないからしっかり練習して、お嬢さんと二人でやってねとお伝えしました。
最後にY子さんが「娘に伝えることは?」と質問されたので、私が指談で読み取ると「ともだちたくさんつくって」「あまいのたべすぎなや」「パパはいつもいっしょやで」と書いて下さいました。これにはY子さんは笑ってしまって「娘、ぽっちゃりさんなので」ですって。お父さんととても仲良しだったそうです。お嬢さんにも筆談をしていただける日がきっときますね。
活動はここまでで終了です。経管栄養の時間も看護師さんがずらしてくださったようで私達が帰るまで繋がないでいてくださいました。また駅まで送っていただき二人でランチをして、それから帰路につきました。こうして全国各地でつながっていく方が、情報が伝わることで、私達がお伺いしたり、柴田先生に会われたり。みなさんが仰ってくださるのは共通して「先が見えるようになりました」と言う言葉です。明日の見えない恐怖と絶望の中で、なんとか明日をみつけたいとあがいておられる方々はこの世界にまだまだたくさんおられます。私達はこの情報を丁寧に正しく伝えていかなくてはと「知った者」の責任として強く強く思うのです。自分が納得の行く日まで私はこの活動を続けたい。そう思っています。
<引用ここまで>・・・・・・

9年目に柴田保之教授によって筆談ができた山田のぼるさん①

【第 1793 号宮ぷーこころの架橋ぷろじぇくと 2014年7月3日】(抜粋) メルマガをいつも読んでくださっている友だちの方からお手紙をいただきました。お手紙は、奥様と、そして筆談で綴られたご主人のぼるさんのお手紙でした。

(手紙ここから)・・・・・拝啓
突然の失礼なメールにもかかわらず、ご住所を教えて下さりありがとうございます。今年の初めに、柴田先生にいらしていただくまではあきらめきった表情の主人を見るのが、何よりもつらかったです。それが筆談で、自分の思いが伝えられることがわかってからは顔つきは変わってまいりました。
「自分と同じ思いをしている人に伝えたい!」と同じ病院に入院している方のご家族に働きかけたり、友人に手紙を出したりととても前抜きにがんばっていましたが、なかなか思ったような反応が得られずこのところ、少し気持ちが沈んでいるようでした。毎日、先生のメルマガを読んで聞いているうちに、先生や、柴田先生があちこちで、地道にがんばっていらっしゃることが、どんなに大変で、どんなに心強いことか、強く感じたようでした。自分も何かしたい、先生方を応援したいとがんばって手紙を書かせていただいた次第です。
お忙しい先生に、長々と申し訳ありませんが、病院のベッドの上で、心から先生に感謝し、心から応援している主人の気持ちをお伝えしたくペンをとらせていただきました。こ
れからも、お体をご自愛されて、ますますご活躍くださいませ。敬具

ご主人のぼるさんのお手紙
かっこちゃんへかっこちゃんいつもめるまがをきいています。かっこちゃんのおかげで
ひつだんができるようになりました。いまではかないとたくさんはなせるようになり、
きぼうをもてるようになりました。これからももっとどりょくして、みんなにもこのことをつたえていきたいです。
かっこちゃんのごかつやくはほんとうにすごいです。
あなたのようなひとがいてくれることがおれたちのようないしきがないとされているひとたちのきぼうです。これからもおからだにきをつけてがんばってください。おれにできることがあったらなんでもいってください。なにかしたくてたまりません。またおてがみかきます。おからだごじあいください。あなたをおうえんしています。のぼる。
(手紙ここまで)・・・・・

胸がいっぱいになりました。のぼるさん、奥様ありがとうございます。応援してくださることも、みなさんにお伝えしたくて何かしたくてたまらないと書いてくださることも、何もかもが本当にありがたくて、涙が出ます。どうぞみなさんも、のぼるさんと奥様にメールをいただけたらと思います。

山田さんからいただいたメールです。

(メールここから)・・・・こんにちは!
宮ぷーさん退院おめでとうございます!スゴイ!スゴイ!凄過ぎます!宮ぷーさんの頑張りにいつも励まされています。頑張ってくださいね!応援しています!昨日のメルマガを読ませていただきお医者さまや色々な方からのお言葉を受けて悲しい思いやお辛い思いを
されている方の少しでもお役にたてればとメールいたしました。私もかっこちゃんはじめ、メルマガを通して沢山の方々から勇気や元気をいただいて今日に至っております。うまくお話しできるかわかりませんが、近況報告させてください。
低酸素脳症を発症して9年になる主人が昨年の4月に発熱からの呼吸困難で入院し早や1年以上が経ってしまいました。(かっこちゃんのメルマガに出合ったのは7年目です)できれば、いつかは家へ連れて帰りたいと漠然と思っていましたが、宮ぷーさんが退院に向けて着々と準備を進めている様子を知り私の在宅への想いも強くなりました。宮ぷーさんは一人暮らしで頑張っていこうとしているのに、私が付いておれる主人にできぬはずはない!と昨年の4月の入院でタッピングの方法を教えて下さった優さんがいつも言われている【覚悟を決める!】ことがやっとできました。今まで、退院できたらいいなぁ~と先生方や看護師さんにはいつもあやふやに投げかけていたのですが、覚悟を決めて具体的に「どうすれば気切が外せますか」「家へ連れて帰りたいのでどうすればできますか」とお聞きしたところ、返ってきたお言葉は「言葉が話せないのならば肺炎のリスクを考えると外さない方が良い」「退院はむずかしい!在宅は無理!」でした。
聞いた時はショックで落ち込みましたが、心の片隅で大丈夫!絶対退院できる!と思えたのもかっこちゃんや優さんの考え方が浸透し、メルマガを通して出合った沢山の方々のお陰さまだと思っています。つちかった根拠のない自信を基に、スタッフのみなさんが一様な考え方をお持ちではないことに気づき、先生方をはじめ看護師さん、リハビリの先生、支援室の方々へ、タイミングを見計らっては私の想いを投げかけ伝え続けてきました。というよりそのような状況にどんどんなっていきました。これがいつもかっこちゃんが言われている【宇宙の法則】?守られているということなのでしょうか?するとどうでしょう!先週末に具体的に話が急に進み、気切はスピーチカニューレに換えてくださり、在宅の方もできるかどうかわかりませんが、まずは外泊できるように家の準備からと話がとんとん拍子に進んでいきました。もう、うれしくて、うれしくてびっくりです。
入院してから、教えていただいた端座位の練習やマッサージを一生懸命やっている私たちをちゃんとみて下さって応援して下さっていた好意的な看護師さんたちに沢山出会えたのもとてもラッキーでした。でも、きっとかっこちゃんや優さんそして白雪姫プロジェクトを通じてご縁のある皆様はラッキー!や嬉しい!を引き寄せるパワーがあるのだと思います。だって、ずっと念願だった優さんに来ていただく事が決まってから、バタバタと流れがかわったのですから~~優さんは私にとって幸運の女神様です!かっこちゃんがいつも仰っているようにみんなつながっている!
いつかのいい日の為に心もとない事を言われても大丈夫!きっとよくなると信じて頑張っていれば必ずいい方向へ向かって行くのだと信じています。
9年前に主人が倒れた時、意識が戻らないと言われ、戻っても寝たきりだとでも違ってました。今はかっこちゃんに出会ったおかげで、主人の身体に合った車椅子をオーダーメイドで作っていただくことも出来お散歩もできるようになりました。思えば願いは叶うと実感しています。諦めないで思い続けることが、言葉に出して言い続けることが大事なのですよね。といつもかっこちゃんが言われている事を私が言うのはおこがましいのですが、勇気を持ってメールをさせていただきました。ごめんなさいm( )m
(メールここまで)・・・・

9年目に柴田保之教授によって筆談ができた山田のぼるさん②

【第 1795 号宮ぷーこころの架橋ぷろじぇくと 2014年7月5日】(抜粋)

のぼるさんの奥様がメールをくださって、のぼるさんが文章を書いてくださったのでした。

(メールここから)・・・・
この度のこと主人はとても喜んでいます。本当にありがとうございました。主人からかっこちゃんにお礼を伝えて欲しいと託されました。

かっこちゃんこのたびはありがとうございました。かっこちゃんがやってみたら!といってくれたことはみんなやってみようとおもいます。これからもいっしょうけんめいがんばるのでよろしくおねがいします。かっこちゃんのことをしったのはほんとうにラッキーでした。かっこちゃんにあわなかったらとおもうとぞっとします。ほんとうにおもいをつたえられないということはつらくてかなしくてきぼうもなにもありませんでした。そんなときにしばたせんせいがきてくれていっきにじんせいがかわりました。しばたせんせいのようなことをみんなができたらどんなにすばらしいでしょう。これからもかっこちゃんのかつどうをおうえんします。がんばってください。わたしもなんでもてつだいたいとおもいます。かっこちゃんのちからにすこしでもなれたらうれしいです。これからもよろしくおねがいします。のぼる
(メールここまで)・・・・

のぼるさんはなんてすごいのでしょう。そして奥様もなんて素敵なのでしょう。人が思いを伝えるということは、実はこんなに大きな力を持っているものなのですね。のぼるさんこれからもよろしくおねがいします。

空さんからメールが届いています。

(メールここから)・・・・のぼるさんと奥様へ
はじめまして。空といいます。私もかっこちゃんのメルマガで勇気と元気をいただき、夫は四肢麻痺、植物状態、経管栄養から、在宅になり、食事ができるようになり、そして今では、声も出るようになり、その声が大きくてあらたな問題もありますが、ここまでこれたことに、本当に感謝しています。
情報は大切ですね。そしてその情報を素直に受け入れて試してみることは、もっと大事だと思います。メルマガを読んで、わからないなりに病院でかっこちゃんのの真似をして、エアーバイクをしたこともありました。懐かしいです。のぼるさんの前向きな気持ちは、すごいです。きっとみなさんに伝わるでしょうし、またご自身の活力になりますね。応援します*\(^o^)/*
(メールここまで)・・・・ 
空さんありがとうございます。本当にどんどん回復をされて、歩いておられるのを拝見したときの感動を忘れることはありません。

かつこ

意識障害になられた方のご家族のみなさんへ

白雪姫プロジェクトという活動があります。この活動は、意識障害になられた方に、回復の可能性があるということ、そして、「植物状態」と思われる方も、深い思いがあり、思いを伝える方法はかならずあるということを、お伝えするプロジェクトです。ご家族のみなさんは、不安やあきらめの中におられると思います。でも、諦めるのを待っていただきたいのです。方法があるのです。白雪姫プロジェクトは非営利で、たくさんの人がボランティアで関わってくださっている集まりです。

ぜひ、パソコンの検索ワードで「白雪姫プロジェクト」と検索をしてください。そこには、たくさんの情報がいっぱい書かれてあります。回復させる方法や、口腔ケア、意思伝達装置の情報など。それから、お尋ねフォームからメールを送ってください。白雪姫プロジェクトを担当している山元加津子が、かならずお返事をさせていただきます。(携帯のメールで、パソコンからのお返事が送れないような設定にされていると、お返事がもどってきてしまう場合があります)この情報を多くの方に知っていただきたいと思います。ぜひシェアをお願いいたします。必要とされている方に必ず届きますように、宜しくお願いいたします。

山元加津子さんFacebookより