宮ぷーと同じ病院の同じ階に、いつもお見かけするお父さんがおられます。毎日のように夜にお見かけするお父さんがどなたのところにこられているのかがわかったのは、2011年の10月のことでした。
そのときから少しずつ、お父さんとお母さんのことが日記のメルマガに登場するようになりました。お母さんは、宮ぷーと同じ脳幹出血をされて、2年以上たっておられます。
お父さんは「口を動かしたり、目を動かしたりしたのが、本人の合図やって、言われて初めて気にするようになったら、本当に返事しとったんやなと今はわかる。知らない人にも知らせてあげたい」「僕らのことを知らせてあげんなん(あげなくてはならない)」とおっしゃり、白雪姫プロジェクトにご協力してくださることになりました。
(※お父さんとお母さんは、かっこちゃんの実の父母ではなく、愛称としてそう呼んでいます。)
2012.11.9 追記
最近お父さんがよく口にされることです…「知らんかった。もし山元さんと出会っていなかったら、知らんままやった。女房に気持ちがあることも、それを伝えてくれていることも、何も知らんままやった」「それを知った今はぜんぜん前とは違う。そうやろう。わしが来ていることを、女房が楽しみにしてくれている。そりゃあ張り合いというものが違うやろ。一緒に頑張って生きていこうとそう今は思えるからね」
お父さんとお母さん動画
最新インタビュー映像(2012/4/9 19:30ごろ撮影)
お父さんからお母さんへ。(2012年2月撮影)
お母さんの体を起こすようになったころです。
お父さん手書きの日記(お父さんが見せてくださいました)
メルマガ「宮ぷーこころの架橋ぷろじぇくと」より(2011/10~2012/3)
2011年10月某日
先日まさおちゃんと宮ぷーと私でロビーにいました。そこに、お父さんが、お母さんの車椅子を押して、お孫さんがそばにおられました。そのお父さんは毎日お仕事が終わられてから、病院にこられているのを私は知っていました。お母さんの御姿を拝見したのは初めてでした。お孫さんが言いました。「おばあちゃんどうしておきないの?」お父さんは「おばあちゃんは起きないのじゃなくて、意識がないんや」そして、お孫さんが、ぴょんとおばあちゃんのところへ近づかれたときに、おばあちゃんはびくっと体を動かされました。「おー、今動いたな。おばあちゃん、びっくりしたんかな?」お父さんはそう言われました。
私はこんにちは、いつもお見かけしますとお声をかけました。「いま、お母さん、お孫さんが近づかれてうれしかったのでしょうか?」と言うと。「いや、びっくりしたのかな? 確かに動いたね。とにかくいつか意識が戻るって信じるしかないからね」とお父さんが言われて、まさおちゃんは「いっぱいお声をかけてあげてください」と言っていました。私は何もそのとき、それ以上言えなくて、でも、そうだ、「満月をきれいと僕は言えるぞ」(三五館)の本を、もらっていただけるか聞いてみようと思いました。お父さんのように、毎日病院へ来ている方はたくさんおられます。けれど、どんなふうにしていけば、意識がはっきりしていくか、その方法があるということも、やはり、一般的ではないと思います。紙屋先生の方法や、それから、思いを伝えあえる方法を、やっぱり、いっぱいの方にしってもらいたいです。
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2012年1月17日
そんなことが10月にあったのに、私はそれから、何もできないでいたのです。エレベーターでご一緒にしたときに、その年配のお父さんが「はや、帰る時間や。毎日すぐに時間が経つわ」とおっしゃいました。「毎日ですか?」とお尋ねすると「わしのできることはそれしかできん。くれば顔がみれるもんな」と言われました。「本当にそうですね」と言うと「寝とる方が大変や」と言われて「わしが倒れたら、きっと同じことしてくれるやろ」と言われました。もう2年毎日かよっておられるそうです。わたしはどれくらいかと聴いてくださったので「やがて三年です」と言うと、「そうか、わしら、体、大事にしよう」と声をかけてくださいました。そして、車で同じ方向に走っていって、そして途中で手を振ってくださったのでした。私はこんどこそは、その方に、自分ができることがあったら、お伝えしようと思いました。必ずそうします。
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2012年1月21日
病院のお父さんには昨日、紙屋先生が出演されている20年前のDVD「きみのこえがききたい」と3年前の「私の声が聞こえますか?」をお渡しました。お父さんは「ちょっと見たぞー。古い方はなんか親しみわいて、明るいきもちになったわ。まだしばらくいいけ(かしてくださるか?)」とおっしゃいました。はい、まだまだ大丈夫ですとお話ししました。今度は「満月をきれいと僕は言えるぞ」をお渡ししようかと思います。明日は、細かいリハビリをいっぱいします。
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2012年2月2日
病院に、宮ぷーと同じ脳幹出血をされて、2年以上たっておられる方がおられます。倒れたのはお母さん、そして、お父さんが毎日来ておられて、私もときどきベッドにちょっとだけどお邪魔します。今日も行かせていただきました。このごろは、私が「山元です。今晩は」とお声をかけると、必ず口と目を動かしてくださいます。お父さんが「わかってるのかね」っておっしゃるので、「はい、絶対に全部わかっておられます」と言うと、お母さんはしきりに目や口や舌を動かされます。でも、まだ、今というときには動かないのです。だって、その練習をしておられないのですもの。でも、必ずできるようになります。私は今日、いっそう確信しました。
お母さんの病室にいるのは、ほんの数分です。もっといられればいいのだけど、でも、それでも、はっきりと、お母さんが、自分の思いを伝えようとし始めておられると感じます。どうしても、そんなときは涙が出ます。だって、出ます。お父さんは「そうやね、そうかな。そうだといいんだけど」とまだ不安な中におられると思うのです。でも「本読んだけど、宮田さんとおんなじだよ」ともおっしゃっていましたもの。大丈夫。必ずその日が来ます。あきらめなければだいじょうぶ。そう思います。
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2012年2月4日
昨日も病院のお友達のお父さんとお母さんのところに出かけました。お父さんは大きな声で、何度もいろんなお話をして話しかけておられるのが廊下からも聞こえました。右のまぶたも動いているのがわかりました。ただ、まぶたや口が尋ねていることに対して動いているのかはまだわかりませんが、あきらかに、話しかけているときに動かしておられる頻度が多いということです。宮ぷーもそんなころは、頭の中で考えていることが、なんとかわかりたい、どうにかして、その方法がないのだろうかと思いました。
本当に、植物状態と言われておられる方も高い確率で思いを持っておられるということです。そのことを忘れずに、そばにいられたら、きっときっと思いを伝え合う方法はみつかると思います。
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2012年2月14日
病院で毎日のようにお会いするお父さんが通っておられるお母さんは、目をずっと閉じておられることが多いです。日曜日にお孫さんが「おばあちゃんどうしていつも寝てるの?」と聞いておられたときに「寝てるんじゃなくて意識がないんや」とお父さんは言っておられました。お父さんは毎日毎日お母さんのところに出かけられて、お母さんに話しかけ、手足をやわらかくして、動かして、話しかけて、髪をとかし、顔や体を丁寧に拭いておられます。もし、宮ぷーが、今のように、私に思いを伝えてくれることがないままだったら、来ていることもわからないかもしれないと思うままだったら、私は宮ぷーのところに三年間毎日通うことができただろうか? と思うのです。いえ、していたかもしれません。わからないです。わからないけれど、できていなかったかもしれません。だから、お父さんとお母さんを見ていたら涙が出ます。私はお母さんを見ていたら、もっと起こしたり座ったりする時間を持てたら、もっと回復が早くなるのだろうか? と思うのです。今、植物状態と言われている方も、回復する可能性がいっぱいあるんだということが、もし常識になってきたらとそう思って、涙がとまらなくなります。お母さんは私の声がするたびに、このごろでは、口を動かそうとされます。右目も動かそうとされるよ。そんなご夫婦をみていたら、私はやっぱり、どうしてもどうしても、無理とか難しいという言葉で、今まであきらめてきたたくさんの方のことを考えちゃうのです。
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2012年2月22日
今日も病院に毎日来ておられるお父さんとお母さんのところに行きました。お父さんが「かっこさんが言うとおりやった」「日曜日から起してるけど、そのときには目をあけるしね」「話しかけたら、だんだん目があいてきて、ほら口動かして何かしゃべってる」「まず第一歩やわ」とお父さんは少し泣いておられるようでした。お母さんも脳幹出血。だから、まぶたをあげたいときにもあげる方法がわからないと思うのです。今日は右目のまぶたを私がそっとあげて、指を動かして「目で追ってください」とお願いしたら下に追ってくれました。ああうれしいです。
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2012年3月4日
いつもお会いするお父さんが、私に手をのばすようにして、「今日はすごかったぞ」っておっしゃいました。「目をずっと大きく開けとって、そして、頭を二回も動かした」って。私は宮ぷーがそんなふうにしてくれたときのことを思い出しました。あのときのうれしさ、ただ、泣けました。お父さんも泣いておられて、帰り際、ひろこちゃんと一緒のときに、ひろこちゃんも「よかったですね。おめでとうございます」と声をかけておられたら、お父さんは頭をかきながら、最高の笑顔で「たまにはこんなこともないとな、これからどうなるかわからんけど」とおっしゃって、また本当にうれしそうでした。「だいじょうぶだいじょうぶ。ぜったいにだいじょうぶ」と私たちも言いました。倒れてから二年間は少しの変化もなかったし、ずっとお母さんのことを平らに寝かしておられたのだそうです。「1月から、少しずつ起こすようになって、こんなふうになっていくんやもんな。違うなあ、起こすことはすごく大事なんやな」とお父さんが言われていて、私も、また、やっぱりわたし、頑張らなくちゃと思ったのです。
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2012年3月5日
今日も、病院のお父さんとおしゃべりをしました。二度目に会ったときは、ちょうど、宮ぷーもとてもお世話になっている介護士さんが、おられて「かつこさんに教えてもらって、写真を見せたら、すごくよく見てたって、お父さん言われててね」と言ってくださってました。そうなのです。今朝、お母さんのお部屋に行かせていただいたときに、写真を持ってきておられて、お母さんは、じーっとお孫さんのお顔を観ておられました。目で追うようにしておられました。お父さんが見せてくださった日記は、看護師さんに体温と酸素濃度を書いていただいていて、そこに、ご自分が日記を書いておられるのだけど、昨日の日記には、「目をばっちりとしっかりとあけてくれる。頭も二度動かしてびっくり。嬉しい。一歩前進」と書かれてありました。家に帰ってから、お父さんはこのノートをうつして、自分の思いなども書いておられるとのこと。記録というのはとても大切だなあと私も思います。振り返って、進歩していることに、すごく勇気をもらうから。宮ぷーがお夕飯をいれている間に、この日記を書いていたら、そのお父さんが、お部屋に呼びにきてくれて、大変大変という感じで「写真見せたら、目玉上とか下とか、追いかけるんや。こんな初めてや。呼びに行っていいかわからなんだけど、やっぱり山元さんに見てほしなって」と言われました。すごいすごい!!あわてて、私も走っていったら、お母さんは右目をあけて、そして、お孫さんの写真を追っておられました。お父さんはあまりに近くに写真を見せておられたので、これじゃあ、きっと見えないからと少し離して動かしたら、本当にしっかりと上にも下にも動かしておられました。そして、本当にしっかりと焦点があっていて、お父さんと二人で握手して、喜びあいました。涙も出ました。「ありがとう」ってお母さんにお礼を言ったら、お父さんもお母さんの名前を呼んで「ありがとう」と言っておられて、私はまた泣けました。
お父さんは、毎日来るのが楽しみや、こんなことになるんやな。起こすだけで、写真見せて、あ…知らんもんやから。知らんかったから。あ…こんなふうに、してくれて。あんやと、あんやと。写真、今日持ってきてよかった。よかったと言っておられて、私はうれしくてうれしくてなりません。もっともっと、もっともっと回復されますね。うれしいです。そして、たまたまお会いして、ほとんど目を閉じておられたお母さんがこんなふうに、目の前で変わっていかれることは、とってもうれしいけれど、今寝たままにおられる方で、起こしたり、話しかけたりし続けることで、回復されていくかたはどれほどたくさんおられることだろうと、また思いを強くしました。私は絶対に頑張ります。だって、お父さんが言っておられたよ。知らんかった。ああ、知らんかった。こんなこと知らんかったって。お母さんはお父さんがこれまでいろいろとされてこられたことで、意識が深いところから今あがってきたのかもしれないけれど、でも、もしかしたら、私がもっと早い時期にお声をかけていられたらと思ってしまうのです。そんなことを思うとやっぱり湧き上がるように声をあげて泣きたくなるよ。
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2012年3月15日
病院のお母さんが、宮ぷーの最初のときのように、「ね」という言葉のときに、目をぎゅっとつぶられます。この「ね」は知らず知らずに、私たちが相槌を打つ感じです。自分でしたいと思って、できているのではないのです。思わず、無意識にするという感じです。でも、もちろん、全部内容を理解しているから、宮ぷーは目をぎゅっとつぶっていたと思います。だから、病院におられるお母さんも、絶対にそれは間違いないです。お父さんも「ね」の返事の感じがわからないとおっしゃっていたのですが、抱くようにして、肩に手をまわして抱くようにして、顔を見つめて話してみてくださいますか?とお願いしたのですが、「ね」の感覚がわかるようになったよと言ってくださいました。それから、私は、きっとお母さんは、黒目の玉をあまり動かせないので、お父さんが動きながら話されると、顔を追うことはできないと思いました。それで、話しかけるときは、抱くようにして話すということのほかに、アイフォンを持って行って、お父さんにおしゃべりをしてもらいました。それをお母さんに観ていただこうと思ったのです。お父さんのおしゃべりは短いけれど、本当に心のこもったものでした。それで、私は家へ帰ってからもその動画を観ては泣いてしまうのです。「おかあさん、はやくよくなってください わたくしも 毎日リハビリで一生懸命です。少しでも意識が回復しますように がんばってください」だって、お父さんは本当に一生懸命なのです。
私が来るとお父さんの車はもうあります。私が帰るときも、お父さんの車がまだあるときもあります。お父さんは自営業なのだそうです。それで「無理させとったんやと思う」と言われます。月曜日は、病院のとこやさんが開業されます。それで、お父さんは「今日は床屋してもらおうと早くきたんや」とおっしゃっておられました。お父さんも日曜日にされたのか、髪の毛が短くなっていました。「みやたさんは散髪はどうしてるの?」とおっしゃったので、「私がバリカンでしています」と言ったら、「わしも昔はお母さんがしてくれとったんや」と言っておられました。本当に素敵なご夫婦で、涙がやっぱり止まりません。きっときっとだいじょうぶ。またお母さんと話しができる日が来ます。
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2012年3月17日
紙屋先生が勧めてくださった口腔ケア・リハビリの黒岩恭子先生のご本を、今日は病院におられるお父さんとお母さんのところに(お尋ねがありましたが、私の父と母という意味ではなくて、なんとお呼びしたらいいのかわからないのだけど、そう呼んでいます)持って行こうと思っていました。その黒岩恭子先生のご本には、モアブラシというのが出てきます。頭の先っちょにナイロン綿のようなものがついていて、痰などをくるめとるのにもとてもよいのです。先日歯医者さんの綿谷先生が「うちにもあるよ」って言ってくださったので、3本注文してあって、それが届いたら、一緒にお渡ししようと思っていました。そしたら、不思議なことに、今日、先生が来てくださって、モアブラシを3本持ってきてくださったのでした。綿谷先生は「明日コンサート何時に来るの? 出迎えてあげられると思うよ」と言ってくださいました。これはますます熱を出さないで、しっかりとコンサートに出かけたいのです。先生が帰られた後、病院におられるお父さんとお母さんのところに持って行きました。お父さんのお仕事用の大きなワゴン車がもう駐車場に停まっていたので、あ、お父さんはもう来ておられるんだなあとわかったのです。それで、持って行ったら、お母さんは目を開けておられました。そして、やっぱり「ね」と言うと、目をぎゅっとつぶられるのです。昨日は首を二回、手も動かしたなあとおっしゃっておられて、ああ、うれしいうれしいと思います。
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2012年3月18日
ひろこちゃんとまさおちゃんとで、病院のお父さんとお母さんのところに行ったよ。私は、宮ぷーが回復するっていう確信があって、でも、周り中が、回復しないだろうというような中にいたときに、すごくさびしいと思ったことがありました。絶対に大丈夫と言ってくれる仲間がいればいるほど元気になれると私は思います。
たった一人でも元気になれるけど、たくさんだったら、もっと元気になれる。お父さんは椅子で書きものをしておられました。それで、「宮田さんを応援してくれている仲間です」と紹介しました。そして、これからは、お母さんのことも、みんなで応援しますと言いました。お父さんは何度も何度も「よかったな。お母さん。こんなにみんな応援してくれとるよ。がんばらないかんよ」と大きな声で呼びかけておられて、お母さんも右目を開けたり、目をつぶったり口をあけたり、舌を動かしたりして、返事をしてくれていて、私はやっぱりこみあげてくるように涙が出るのでした。そして、仲間もやっぱり泣いていました。みんな、おんなじ。みんな、心が揺さぶられるのです。目の前の方がうれしいことがうれしいのです。
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2012年3月31日
それから、病院のお父さんとお母さんのところにもほんのちょっとの間だけど必ず行かせていただいています。何日か前に、お父さんに白雪姫プロジェクトの「廃用症候群」のページを印刷してお渡ししました。お父さんは「わ、またかつこさんから宿題でたわ。おかあさん、こりゃ大変大変」と笑いながら、しっかりと読んでくださって、昨日の夜行かせていただいたときには、「かっこさん、寝たままは怖いね。意識の問題もそうやけど、こりゃ怖いわ。知らなんだ。やっぱり人間は、夜寝て昼は起きてるようにできとるんやね。まあ、そんな長いことできんけど、15分でも20分でもせんとね。ほれでね。かっこさん、このあいだ、90度で座ってるときに、“10回口を動かして”と言うたら、5回は確実に動かしたからね」と本当にうれしそうでした。お母さんもなんだか微笑んでいるように見 えました。
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お母さんはこのあとも少しずつですが回復を続けておられます。その様子もまたメルマガで報告させてくださいね。 (メルマガの登録はこちらからできます)