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2014年 12月 13日 GO !!GO!白雪姫プロジェクトin金沢講演

2014年 12月 13日 GO !!GO!白雪姫プロジェクトin金沢講演

こんにちは、宮田俊也です。今日はありがとうございます。

五年半前に僕は脳幹出血で倒れ、一生意識も戻らずに、体も動かないまま、死ぬまでそのままと思われるような障がいをもちました。けれども、今、ステージに立ち、こうしてみなさんにあいさつをすることができます。絶望しそうになったときに、一番の勇気になったのは、仲間やたくさんの温かいみなさんの応援です。

今日はGO!GO!白雪姫プロジェクトというイベントです。介護法や指談やスイッチ製作といった講習会があります。どれもとても大切な技術です。もしスイッチがなかったら、レッツチャットがなかったら、今の僕はなかったと思い ますし、介護法がなければ、まだ多くの時間をベッドで過ごしていたことでしょう。

けれどどれも、まだまだ広まってはいないのです。多くの方に知ってもらうことで、ぼくのように、未来に光を見いだせる人が増えて行くに違いありません。今の僕は、まだまだ回復途中ですが、必ず僕らしく生きていけるようにがんばります。

僕たちのような仲間をどうかみなさんの応援や支援で、みんなが自分らしく、誇りを持って生きていけるように、どうかこれからもよろしくおねがいいたします。

今日は大阪白雪隊のみなさんが、共催ということで、たくさん来てくださっています。大阪白雪隊のみなさんは、関西で意識障害になられた方のご家族に、介護法などの技術を伝え、指談を使って思いを汲み取る方法を伝え、一人一人にあったスイッチの製作をしてくださっています。障がいを持った本人や家族は、絶望から救われましたとおっしゃるそうです。全国に、たくさんの白雪隊が誕生したら、どんなにうれしいことでしょう。それがぼくの夢のひとつです。

僕は、何も力になれませんが、回復を観ていただくことが、ぼくのできることだと思います。頑張ってリハビリに取り組んでいきます。僕のように、大きな障がいを持ちながら、生きることは、簡単ではありません。けれど、僕は一度も希望を失ったことはありません。

それは、かっこちゃんが、必ず頑張れば、回復していくと、そばで言い続けてくれたからです。そして、僕に深い思いがあることを、最初から知っていて、伝える方法を探し続けてくれたからです。僕は世界中にたくさんのかっこちゃんが誕生してくれたらと思っています。

僕は特別支援学校に、勤めていました。思いを伝えられずにいた子どもたちとも過ごしてきました。僕が今の体になって思うことは、子どもたちがなんと辛抱強く、僕といてくれたことだろうと、何度も思うのです。もっとできることはなかったとか、もっと思いをていねいにきいてあげたかったと思います。

今更ながら、子どもたちにわびたいです。そして、改めて子どもたちから、たくさんのことを教えてもらったことに、感謝したいです。僕の大好きな子どもたちのためにも、どうか、白雪姫プロジェクトを宜しくお願いいたします。

ここで、わたくしごとですが、皆さんの前で、僕の毎日を、ささえてくれているみなさんに、お礼を言わせてください。

訪問看護師さんやディケアや、ショートスティでお世話になっているみなさんには、何しろ、こうして、言葉を打つのに、時間がかかるため、してほしいことばかりを伝えて、他の話などもせずに、すみません。 とてもよくしていただいて、感謝しています。

妹には毎日洗濯や準備などありがとう。そして倒れる前までは、ずっと入院している母のことを二人でできたけれど、すっかり、任せっきりになってしまいました。すまないと思うし、すごく感謝しています。妹には、いつもしあわせでいてほしいと思っています。母のことだけでなく、にいちゃんのことまで背負わせてしまい、本当に申し訳ないです。少し肩の力を抜いて楽にしていてほしいな。

かっこちゃん、六年間も、毎日来てくれるのは、ほんとうに、強い人です。数え切れないくらい、お世話になっています。僕の一人暮らしの夢のために、大好きな子どもたちといる仕事までやめさせてしまったのではないかと思います。

心配なのは、熱があっても、辛くても、大丈夫と言って、僕のところに来ることです。もっと体を大切にしてほしいです。そんな中で、白雪姫プロジェクトを広めることに、一生懸命です。

それから、チーム宮ぷーのみなさん、リハビリや通院や、旅行など、忙しい仕事や家事があるのに、僕のために、いつもありがとうございます。人の心の優しさや信じられるということを教えてくれてありがとうございます。どうかずっとなかよくしてください。

それから、たくさんのみなさんに、心から感謝しています。この体になって、可哀想と思う人もいるかもしれませんが、僕はとても幸せです。今日はありがとうございました。

2014年 12月 13日 宮田俊也
GO !!GO!白雪姫プロジェクトin金沢
野々市市野々市交遊舎にて
Let'sチャットで講演

山元加津子さん(かっこちゃん)からのメッセージ

供たちから宮ぷーと慕われていた同僚の宮田俊也さんが脳幹出血で倒れたのは2009年の2月20日のことでした。宮ぷーは、その5年ほど前から方向音痴な私を講演会場所へ連れて行ってくれたり、パソコンを教えてくれたりと私の活動を支えづけてくれていました。

倒れた時の脳幹出血のCT画像。真ん中あたりが脳幹で、白い色の部分が出血。非常に重篤な状態だった。倒れた宮ぷーはとても重篤な状態で「一生植物状態で、一生四肢麻痺です」という診断でした。けれど、宮ぷーのそばにいることのできる家族は、当時赤ちゃんを生んだばかりの妹さんがおられただけでした。それで、私は宮ぷーと妹さんに、「毎日学校が終わったら病院に来るよ」と約束をしました。

特別支援学校で出会ったたくさんの子供たちが教えてくれたことは、人間は、そして特に脳はものすごい回復力を持っているということでした。そして、宮ぷーは全部聞こえているし、見えているし、わかっている。だから話かけ続け、目から、耳から手や足から口から刺激を入れ続け、体を起こし続けることで、必ずよい変化を得られるのだということでした。

(山元加津子)

宮田俊也さん(宮ぷー)からの決意表明

は宮田俊也といいます。特別支援学校の教員をしていました。

2009 年2 月、脳幹出血で倒れました。主治医の先生は脳幹出血によりもたらされる深刻な結果を、ありのままに同僚のかっこちゃんこと山元加津子さんに伝えました。 「先生、でも大丈夫です」かっこちゃんは主治医の先生になぜか、そう答えたそうです。

病院のスタッフの皆さんや周りの人のおかげで、僕は回復してきました。それでも意識が戻ることはないと言われていました。 しかし、かっこちゃんは僕に意識があることを信じて、二人で意思伝達の方法を模索する日々が続きました。そしてさまざまな意思伝達装置やスイッチの工夫などによって今では伝えたいことを伝えられる術を得ました。

そもそも人見知りで、他人と話をすることが得意ではなかったのですが、コミュニケーションの手段を失うことの恐ろしさを身をもって体験しました。意識があるのに、言葉を発することのできない僕はまるで透明人間で、身体の位置などの不具合を訴えたくても訴えられません。それ以上に自分自身がここにいるという存在を気付いてもらえないこと、他人に分かってもらえないことの孤独感と絶望感は相当なものでした。

今の僕の目標は、自在に動く身体に戻ることです。かっこちゃんの鬼のリハビリ(笑) のおかげで、日々元の身体を取り戻すための道を歩み続けています。 様々な経験とリハビリを通じて痛感したことは、自分が何を感じ、何を考えているかが、相手に「伝わる」ということの大切さです。

コミュニケーションがもうとれない、と思われている方でも、もしかしたら意識はあるかもしれません。 というよりも、自分の経験上、絶対気持ちはあるはずです。

どうぞ皆さん、ご家族や友人・知人の方で、意思の疎通ができないと思われている方がいらっしゃいましたら、語りかけてみてください。
そして、もし気持ちが通じたら、あらゆる手段、方法で意思をくみ取って下さい。

僕の事例は決して奇跡ではありません。

僕の事例は、当たり前の事実です。

僕の願いは、どんな状態であっても、すべての人が表現方法が違うだけであって、気持ちを持っているということを、みんなが当たり前に受け止めて、その意思をくみ取る手段をみんなが知っている世の中にすることです。一人でも多くの方が、気持ちを通じさせることが当たり前にできる日常が送れるようになることです。

僕も、そのためにこの白雪姫プロジェクト立ち上げメンバーとして日々活動してまいりますので応援をよろしくお願いします。

平成24年4 月 宮田俊也

宮ぷーの動画

「ありがとう」宮ぷードキュメンタリー映画予告編(第1弾)ver2.1

あいうえおのスキャン方法

「気持ちを伝えたい」宮ぷードキュメンタリー映画予告編(第2弾)ver1.3

「あきらめないで」宮ぷードキュメンタリー映画予告編(第3弾)ver1.0

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プロフィール

倒れる前のみやぷー1967年生まれ。福井大学を卒業後、教職に就く。特別支援学校に勤務中、山元加津子と知り合い、山元の活動を支援してきたが、2009年2月20日 脳幹出血で倒れる。当初は3時間の命、三日の命と言われるも、回復を信じてリハビリを行い、6ヶ月の後、動き出した指で、レッツチャットという意思伝達装置を使って、思いを伝え出す。現在も、病院に入院して、山元や、仲間とリハビリを続けている。著書に、共著で「満月をきれいと僕は言えるぞ」(三五館)がある。

2011年夏の写真

2011年夏宮ぷーの写真倒れた当時、「もう意識が戻ることはない」と医師から宣告を受けていたが、車いすに乗れるまで回復。



宮ぷーレッツチャットで今日もお話(ブログ)

2009年2月20日に脳幹出血で倒れた宮ぷーは、倒れてから6ヶ月後、レッツチャットによって気持ちを伝えられるようになりました。意思伝達装置、レッツチャットに心から感謝し、そして、レッツチャットを応援しています。
http://ameblo.jp/miyapu-ohanashi/

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「満月を僕はきれいと言えるぞ」(三五館)

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