無限の可能性
人は皆、無限の可能性を持っていると言われていますが、多くの人はそれを知る機会が少ないようです。
僕は1974年から寝たきりの生活をしている人を起こすために、その人に合った椅子や車椅子を個別に作ってきました。この仕事を通して人間の可能性を垣間見ることができました。
例えば当時3歳のKくんです。水頭症でしたが手術がうまくいかず、結果的に頭囲が90センチを越えた寝たきりの子でした。看護師さんたちが三角マットを使って少しでも起こそうと取り組みを始めていました。僕はその施設の職員で、ひとりひとりに合った椅子を作るために東京の「でく工房」を離れて、リハビリテーションエンジニアとして勤務していました。
さっそく義肢装具士に相談し、その重い頭を支えるための特別の装具を製作してもらい、僕は頸にかかる余分な負担がないようにした椅子を作りました。少しずつ起こしていけるような構造にしました。
するとK君のお世話をするスタッフから、毎日のように「今日はここまで起こせたよ」と報告があり、ついに椅子に座って口から食事ができるようになり、その椅子に坐って散歩も行けるようになりました。当初、誰もそんなことができるようになるとは思ってもいなかったことです。
福祉用具の展示会では、こんなこともよくあります。特別に工夫されたバギーに子どもを乗せて押して来る母親に、「この車椅子に乗せてみませんか?」と声かけると、必ず「うちの子は手が全く使えませんので、車椅子は無理です!」と返ってきます。「ま、だまされたと思って、ちょっとだけ坐ってもらえますか」とダメ押しすると、半分くらいは怪訝そうな顔して、僕の言うことを聞いて協力してくれます。
すると不思議なことに、その使えないと言われていた手で小さな車椅子を動かせてしまうのです。最初は坐って下ろした手が車輪に触れたとたんに動いてしまうので、本人はビックリです。それを見ていた母親が、さらにビックリ。そして、すぐに何が起こったか理解でき、生まれて初めて自分の力で動けたという事実を体全体で表現してくれます。その子をその車椅子から降ろすのに母親は難儀します。
捜し物をするときに、そこにないんじゃないかなと思って探すと見つかりませんが、間違いなくそこにあるはずと思って捜すと見つかるという話と似てませんか(似てないか)?
光野有次
プロフィール
光野有次(みつのゆうじ)
1949年長崎県佐世保市生まれ。72年金沢美術工芸大学卒業後、日立製作所デザイン研究所に勤務。74年東京練馬区に「でく工房」を設立。83年重症心身障害児施設勤務。88年無限工房設立(現在;取締役会長)。2003年パンテーラ・ジャパン(株)設立(現在;顧問)。2011年(有)でく工房 取締役会長。
著書;『生きるための道具づくり』(晶文社)、『バリアフリーをつくる』(岩波新書)、『みんなでつくるバリアフリー』(岩波ジュニア新書)、共著『シーティンング入門』(中央法規出版)、共訳『からだにやさしい車椅子のすすめ』(三輪書店)など。
ブログ「光野有次の気分はバリアフリー」