柴田保之先生「きんこんの会」2012年7月21日

2012年7月21日(土)

J.O君
それでは今日はいまここで僕が勝手に司会をすることに決まりましたので、今日は僕が司会をさせていただきますが、今日もたくさんの人がおいでなので、僕はまずみなさんの紹介をしていかなければいけないと思いますが、たくさんいらっしゃるので、ひとりずつというよりは、グループで来られている方がいらっしゃったら、ご一緒にお願いしたいと思いますのでよろしくお願いします。

今日は、僕の通訳は、司会のところはお母さんではなく、柴田先生にお願いして、もし僕に質問があったらその答えはお母さんにお願いします。いろいろ話すと長いので、説明しませんが、司会のところは僕が柴田先生を通して話したほうがうまくいくのでそれでよろしくお願いします。質問のときはお母さんと僕というのもややこしいところがあるのでお願いします。

ところで今日まず僕達のほうの紹介からしたいと思うのですが、今日は初めての方がいらっしゃっているので、初めての方からお願いしたいのですが、いま先生がなにかあるような気がしたんですが・・・

(柴田先生:あのね、最初に今日、記録をとってくださっている方がふたりいらっしゃっているので、そのことについていいですか話はあったので)、

そうですか、それではその話から先にやってしまいます。僕達はぜんぜん問題ないのですが、このなかには慎重な人もいると思うので、誰か私の顔を写さないでねという人がいたら、近くの~に合図を送ってほしいのですが、いまはまだむずかしいので、途中でもし話せる機会があったら言ってください。H.S君だけはいまもう意見があるので

H.S君
僕からひとこといいですか?

J.O君
どうぞ。

H.S君
僕はいまここに来ている人を知らないことがとても不安です。だから知らない人に映像を撮られるのは困るので僕とR.I君は撮らないでください。お願いします。

(S.M君の分も言って)

追加でS.M君も撮らないでください。イケメンですが、(笑)残念です。(笑)

J.O君
不思議ですが、あまりそのことに時間を割くのももったいないので、そろそろ先に進めていきたいと思いますが、そういうことなので映像は今の意見のままでよろしくお願いします。

それでは僕達のほうの紹介をしたいと思いますが、

お母さん、いま手はほっといてください。(二重に話すと話せると思うのですが、ごっちゃになると思うので)
そうです。ほんとうは話せるのですが、それはやめておきます。

僕の話はそれでいいのですが、まず僕からよろしくお願いします。

僕の名前はJ.Oで、今、町田市のわさびだ養育園というところに通っていますが、今隣にいるのが、僕の小学校時代の恩師の先生で、実はそのときはまだ学校の先生の試験が受かっていなかったので(爆笑)介助員でしたが、先生がこのボードを教えてくれたというか、この先生がこのボードを使えるようにしてくれたので、僕にとっては命の恩人みたいな先生です。

今は優しい小学校の先生になっていますが、まさか子供まで連れてくるとは思いませんでしたが、(笑)今日はその先生と一緒に来てるので併せて紹介させていただきました。こんなふうに併せていったほうがいいかと思ったので、よろしくお願いします。

それから僕の母は左にいるのですが、それから僕の後ろにいらっしゃるのが、僕のヘルパーさんですが、お母さんととても仲がいいので、今日は来てくださいましたが、僕達はいつもいっしょに行動することが多いので、今日は一緒に紹介させていただきます。

それでは、次の方よろしくお願いいたします。僕の右回りに行きたいと思うのですが、右側の人は初めての方だと思うので、よろしくお願いします。先生が通訳してください。

M.W君
僕の名前はM.Wです。先生とさっき話していたのですが、名前となると一段と難しくなるので、今はお母さんに聞いてもらいましたが、M.Wですが、今日は僕は朝早く家を立ってお母さんの車で新潟県からやって来ました。新潟県の中でも僕の家は山形県寄りなので、とても遠かったのですが、お母さんが今日は絶対に行くからと言っていたので、僕も少し疲れるなあと思いながら、面白そうなのでついてきましたが、こんなに大勢の人と会えるとは思わなかったので、とても感激しています。

僕の言葉をさっき、柴田先生に聞いてもらいましたが、このやり方は大勢の前ではむずかしいと言っていたのに、平気でやっているのですけれど、たしかにこの人数で話をするためには、このやり方でないといけないということなのですね。でもこういうふうにしてみんなで話ができるなんて、まるで夢のようですが、僕はまた来られるかどうかわからないけれど、今日はいっぱいいろんな人の意見を聞いて、僕の心の中にいっぱいためて帰りたいと思うのでよろしくお願いします。

隣にいるのは今日朝からずっと運転をしてきた母ですが、さっきお母さんと先生が話題にしていたみたいにお母さんももう孫がいるので、本当は僕はおじさんになる立場になってしまいましたが、まだ高校一年生ですのでよろしくお願いします。それでは僕とお母さんの自己紹介を終わります。次の方よろしくお願いします。

S.K君
僕はS.Kです。八王子盲学校の高等部三年生ですが、今日は僕はお父さんとお母さんと三人で来ましたが、学校の先生はまだ僕がこんなにしゃべれるとは知らないので、先生も学校では言わないことにしていますが、僕の学校では僕達のような重複の子ども達にも点字を教えることが盛んで、そのことで先生が毎月学校に来ているので、僕の学校はよく勉強している学校になりますが、僕もいろいろ教わっていて、例えば新潟の話も学校の授業で教わりましたが、他の学校はあまり勉強していないと聞いているので、学校に来るたび、僕は恵まれているのだなと思っていますが、自己紹介であまり話しすぎるといけないので、このくらいにしておきますが、母と父が後ろにいるはずですが、僕には見えないので、たぶんいるはずですが、(笑)お母さんとお父さんと三人で初めて来たのではなかったでしたか。(笑)お父さんが来るのは久しぶりですのでよろしくお願いします。

それでは、隣はY.Iさんだと思うのでよろしくお願いします。

Y.Iさん
そろそろ先生が疲れそうなので、ななえ先生とやります。

わたしはY.Iです。よろしくお願いします。いい会にしましょう。ビデオは写してください。(笑)

F.Cさん
私の名前はF.Cです。今日はお母さんとふたりで来ましたが、本当は学校の先生が来てくれるはずだったのですが、用事でこれなくなったのが残念ですが、私は今日はおおぜいの人が来るとは聞いていたけれど、まさかこんなに大勢だと思わなかったので、大変驚いていますが、やっぱり最近だいぶこの話が世の中に認められてきたのだなと思ってうれしいですが、私の学校の先生たちの中にはひとりだけすべて私が分かっていると信じてくれている先生がいますが、まだ他の先生は言葉はわかっているとは思ってくれますが、幼稚な考えしかないと思われているので、とてもくやしいですが、今日はお兄さんやお姉さんたちのすごい話が聞けるのでわくわくしています。すごいというのは私はまだ中学一年生なので、まだまだひよっこみたいな感じなので、その立場からしかものが言えませんが、お兄さんやお姉さんたちは社会に出ているので、私達よりもたくさんのことを見て聞いて知っているので、私はその話を聞くのがとても楽しみです。私はただ聞ければいいのでよろしくお願いします。それでは私の自己紹介をこれで終わります。

あと、ひとつ言いたいことは、私の学校は、さっきS.Kさんが言ったみたいに何も教えてもらえないのでくやしいです。私も新潟県がどこにあって、どういう町があるかとか知りたいので、本当は学校の先生にいまの話を聞いてもらいたかったなと思いました。以上です。

S.Tさん
それでは私が話をしますね。また今日も男の声ですか。ななえ先生はできないのですか。

(笑 (声をひっくりかえしたら(裏声で話したら)いいのでは))

こんにちは、今日は女性の声でうれしいわ。(笑)こんなやりかたあるとは思いませんでしたが、まさか私の手で文字を書くとは。書く人が表れるとは思いませんでした。思わず涙が出てきました。こんなに私達のことが信じられる方々が来たということですね。まさかここまで進歩していたとは思いませんでしたが、今日はまたいろいろ話をしましょう。以上です。

女の人のほうがやっぱりいいわ。(笑)

(柴田先生:あ、周りの人の紹介をお願いしたいんですが)

そうですね。私と一緒に来られたのは今日は、ヘルパーさんと松田さんです。松田さんは立場が不思議な人ですが、市役所の職員なのですが、市役所の職員なのに私達にボランティアで関わっているので、なんと説明していいかわかりません。ヘルパーでもないし、ただのボランティアでもないのですが、ただの市役所の職員ではなさそうなのですが、(笑)ただの市役所の職員です。(笑)

柴田先生:あ、ついでにあそこのふたりをここで紹介しちゃいます。ちょっと立って。かたまりで紹介します。

S.Tさん
あの人たちは私は知らないけれど、松田さんの友だちということにしましょう。松田さんの友だちのふたり、自分で名前を言ってください。

近藤さん
近藤ひなこです。町田市の障害者青年学級に10年くらいいて、~とも一緒に活動しています。松田さんとも一緒に飲んだりしています。

児玉さん
同じく町田の青年学級のこだまです。よろしくお願いします。

D.S君
僕の名前はD.Sですが、今回、二回目の参加になりますが、先生とは前に会っていたのですが、最近会えなかったので、ここに来て久しぶりに会えてよかったですが、こんなにすごい会になっているとは思わなかったので、僕はとても驚いていますが、今日はおおぜいの前でどれだけ話せるか心配ですが、今日もいろいろ話をしたいと思うし、あのあと家に帰ってからいろいろ考えたところがあって、変えたいことも出てきたので、そんなことも話したいと思います。この間の話は僕の一番大変な時期の話だと思ってください。僕は今日はあれからどんなふうに考えが変わったのかを話せたらいいいなと思っていますのでよろしくお願いします。

僕は今日はお母さんと来ましたが、お母さんは僕の大切なパートナーですが、いつも同じパートナーとばかりなので、僕もお母さんでなく、さっきのS.Tさんみたいにヘルパーやボランティアと来れるようになったらいいなと思いましたが、まだまだこれは先になりそうですが、そういうふうにして僕達は社会の中で自立していけるのだなといろいろ考えましたので、また後でその話も一緒にしたいと思いますのでよろしくお願いします。

それでは次の方に行ってください。

R.I君
ぼくはR.Iです。初めてお母さんに通訳をしてもらってます。お母さんはお父さんと仲良しです。よろしくお願いします。

R.I君のお母さん
えっと、一時間ほど前に(通訳を)できるようになりました。(拍手)

H.S君
僕はさきほど意見を言ったので省略します。H.Sです。今日はヘルパーのやざきさんとうちの両親とR.I君親子といっしょに来ました。僕はヘルパーさんと○×△で会話をしながら生活をしています。では次の方どうぞ。

S.M君のお母さん
S.Mです。母とは50音で、あかさたなって読み上げてもらって、まばたきをしてそれで選択をして言葉を綴っていっているんですが、指談もいま少し練習中で、なるべく私とは話さないでヘルパーさんとやりたいということで今これから話をします。よろしくお願いします。

T.K君
僕の名前は、T.Kですが、最初に先生と会ったのはついこの間のことなので、まだまだ僕も先生も初めてに近いのですが、こうして、まさかこんな大勢のひとの前で僕も話をすることになるとは思わなかったので、とても驚いていますが、このあいだから僕の担任の先生がいっしょうけんめい僕の気持ちを聞き取ろうとしてくれるようになったので、僕の学校生活はずいぶん変わりましたが、まだまだ先生以外の先生は意味がわからないようなので、こうして僕がこんな場所で話していることだって、驚くばかりだと思いますが、今日は大勢の先輩達の前で僕もいろいろ話を聞かせてほしいと思います。

僕はまだ小学生なので、いろいろなことを知りませんし、僕は地域の学校の特別支援学級に通っているので、養護学校という場所のことも知らないし、そういう意味ではいろいろ仲間のことを知らないのですが、その場合に地域で生きていくことの大切さは身をもって経験していますから、その話はできると思いますが、あとは先輩達の話を一生懸命聞かせていただいて、僕もこれからどうやって生きていったらいいのかということを、この場でいろいろ考えられたらいいと思うのでよろしくお願いします。

それにしても先生の話の速さにはきっと驚かれると思いますが、驚いているのは僕が一番です。僕は最初先生の家で先生に会ったのですが、そのときはすべてパソコンだったので、これよりもずっとゆっくりだったのですが、それでもすごい速さだったので驚いたのですが、こういうふうに話ができるのは、あのとき少ししか教えてもらえなかったので、まるで僕がそのまま話しているのと同じなので、これだったら僕はもう言葉の障害者ではないと、いまつくづく感じています。こうやって当たり前にしゃべれれば、僕もいつも学校の中でもほかの子ども達といっしょに勉強もできるし、いろいろ話すこともできるのだろうけど、今はまだこういうやり方が出来る人は限られているみたいなので、まだまだこれから先のことだと思いますが、僕はもしかしたら、みなさんよりずっと歳が若いので、皆さんの苦労のおかげでこんなふうなことになれているのかと思うと感謝の気持ちでいっぱいです。少し話が変わってしまったので、これで自己紹介を終わりにしたいと思います。

今日、僕はお母さんと担任の先生と来ていますのでよろしくお願いします。担任の先生はもりた先生といいますのでよろしくお願いします。僕のことを最初からわかってくれていたので、柴田先生が聞き取った文章を見せても全く驚かないどころか、やっと気持が聞けてよかったわと言ってくれた先生なので、珍しいみたいな気がしますが、僕もそういう先生にはあまり会ったことがないのでとても感激しましたが、今日はその先生と一緒に来れたのでとてもうれしかったです。

今日は僕は東松山市というところから来ました。東松山市というのは埼玉県の北の方の市になるのですが、近くに森林公園というのがあるので、それが有名ですが、僕の家はその近くにありますが、今日は電車をたくさん乗り継いできたので、僕もさすがに疲れましたが、今日はこの会に来るのがとても楽しみだったので、先生が無理をしないでも僕の方から行くよと言ってくれたのですが、今日は僕も来たいと思ったので来ました。よろしくお願いします。以上です。

T.O君
僕の名前はT.Oです。通訳は弟のさとしにやってもらっています。今日はあいにくの天気ですが、こんなにおおぜいの人たちが集まっていただいてとても驚いています。今日は実りのある会にできればいいなと思います。以上です。

J.O君
それでは話合いに参加していらっしゃる方に紹介していただきたいのですが、大勢いらっしゃるのでグループで話せる方はグループでお願いしたいのですが、たぶんお互いはお分かりだと思うのですが、どちらからお願いすればよろしいでしょうか。それではこの向かいの方々がもしかしたらグループではないかと思うので、R.Iさんの隣の人たちからお願いしてよろしいですか。先生もよく知らないぐらいかもしれないのでよろしくお願いします。

ハートオブミラクルの方々
映画1/4の奇跡と宇宙の約束という養護学校の山元加津子先生の映画を撮っていますハートオブミラクルの副代表の三浦といいます。今日で2回目、前回参加させてもらっています。そのなかで映画を応援してくださっているみなさんと一緒に来ました。うしろにいらっしゃいます車椅子のたなかさんもそうです。さっとお名前だけいいでしょうか。

J.O
よろしくお願いします。

伊達です。よろしくお願いします。

母の娘の三浦りかです。

小林です。よろしくお願いします。

今日撮影をしますなかむらといいます。よろしくお願いします。

仁科です。よろしくお願いします。

・・・です。

児玉と申します。よろしくお願いします。

田中と申します。よろしくお願いします。

J.O
ありがとうございました。真ん中の人はまた別に後でお願いしてよろしいでしょうか。(笑)
それでは次のグループの方お願いします。グループで来られている方はどちらになりますか。左側の方々お願いします。

佐藤
私は前回、仙台から参加した佐藤と申します。こちら5人ですが、共通点といえばキネシオロジーというものなんですが、一言では説明できないのですが、筋肉反射というのをツールにしてヒーリングをしたりとか、いろんなことができるのですけども、そういうことを仕事にしていらっしゃる方とか、勉強している方、そういう共通点があります。よろしくお願いします。それでは名前だけお願いします。

霧島です。よろしくお願いします。

りえです。よろしくお願いします。

佐藤です。よろしくお願いします。

よこうらと申します。よろしくお願いします。

あんまきと申します。在日韓国人三世です。よろしくお願いいたします。

J.O君
ありがとうございました。それではもうひとグループぐらいありますでしょうか。もし個人だったらそれぞれお願いしたいと思いますが・・・。なさそうですね。

僕の向かいのさきほどお座りになっていた(笑)方お願いします。

大塚さん
今日はひとりで来ました。山元加津子さんのメルマガで柴田先生のことを知りまして、先生のご本を読ませていただいて、参加しました。大塚と申します。よろしくお願いします。

J.O君
よろしくお願いします。柴田先生の本を読んでいる方がいたのだと思うとうれしいです。なぜなら僕も載っているからです。(笑)

というのは置いておいて、それでは次の方はたぶん・・・(僕ともう目線がたぶん一致している)そうです。R.I君の隣の女の方お願いします。

宮崎さん
宮崎ともこと申します。教員をしてたのですが退職しています。そのときに初めて柴田先生から教わって話がやっとできるようになったお嬢さんが、いま日赤のほうに入院されていて、おしゃべりボランティアでそのお嬢さんといま関わっておりまして、柴田先生から教わりながら、やっとちょっと会話が出来る楽しみをふたりで時間をとっています。ただそのお子さん~で出られないものですから、なかなかこういうところに来られなくて、また今日の話を届けようと思っています。よろしくお願いします。

あ、R.Iちゃんの担任です。昔です。

J.O君
後ろの方は・・・(うちのヘルパーです)H.Sさんのヘルパーさんです。それでは・・・僕のほうは手は閉じたので先生お願いします。(ちょっと今、目の方が疲れたって見渡せないと思うので、S.Mさんの隣の方お願いします)

みねいしさん
最初のあかさたなで、筋反射で、みなさんの声を聞き取りたいと思って一生懸命勉強しているみねいしと申します。みなさんの言葉を知ることで健常者といわれている人たちの生活も変わるんじゃないかと思って一生懸命がんばっています。よろしくお願いします。

H.Oさん
H.Oと言います。ちょっと失礼していました。私はここに何度か来たので、もうこの会には慣れてきましたが、これだけ大勢いるとついつい身体が動き出すことがあるので、それは気にしないでほしいと思いますが、私はこのなかでは数少ない歩ける子どもなので・・・子どもではなく大人なのですが、歩ける存在なので、私はみんなのかわりにいろいろできたらいいなと思うのですが、なかなかみんなのお手伝いはできませんが、こうして一緒に話合いに参加できるようになってよかったです。

なぜなら私達のように歩ける存在の方が、じつはまだこのことをあまり知らされていないからです。私達は知的障害があるということになっているので、誰も言葉は豊かにあるとは思ってくれません。少しぐらいなら言葉があると思われている人はたくさんいるのですが、少しぐらいと思われているだけで、普通に考えているとは思われていないので、かえって誤解されることが多いと思いますが、私はそういう世界をあまりにもたくさん見てきたので、私達に対する社会の目があまりにも冷たいので、気持ちがほとんど萎えかけていたところで、柴田先生たちに会えてとても元気が出ました。

なぜなら私達にもきちんとした心があるということを世の中の人がやっと分かり始めたということがわかってうれしかったからですが、まだまだこのことは私の周りの人たちには伝わりませんが、こうしていろいろな人がいろいろな話を聞いてこられるようになったのなら、世の中も少しずつ動き始めているんだなと思ってすごくうれしいですが、私の言葉よりもみんなの言葉の方が厚みがあると思うのは、私のコンプレックスなのでしょうか。私はついついそう思ってしまう自分が少し悲しいけれど、まだまだ私達のような障害のある人たちの方がそういうコンプレックスが大きいなということが一番~。たぶんまだこのことはあまり先生もいろいろなところでは言っていないと思うので、これからはそういうところにも私が発言していくことによって目を向けてもらわなくてはいけないと思っていますが、こうして話ができることさえ、他の人には信じられないことですね。

私が書いた文章を見ても、ほとんどの人は素敵ねとは言ってくれるけれど、本気で見てくれた人は誰もいません。そのぐらい私達は理解がされにくいのは、こうして身体が勝手に気持ちとは別に動いてしまうからです。そのことも誰も説明してくれた人はいなかったのですが、やっと柴田先生たちがこのことを説明してくれるようになったので、私達が誤解される原因が少しずつ明らかになってきました。そのことが言いたかったので、今日は自己紹介の場面だったのですが、言わせていただきましたが、そろそろみなさんの話合いの方が大事なので私の話は終わりにします。以上です。

あと今日はお父さんとお母さんと来ていますでよろしくお願いします。以上です。

いけだゆきこさん
いけだゆきこと申します。今日はひとりで来ました。私も山元加津子さんのメルマガで柴田先生のことを知り、先生の本を読んでとても感銘を受けてちょうどそのタイミングで4月1日に山元加津子さんの映画の上映会と講演会を企画していたので、先生の方で学ばれている学生さんにぜひ話を聞いてもらいたいなと思って、ずうずうしいかと思ったんですけども、先生にメールを突然出させていただいたのがご縁です。いま特別支援学校に通われている友だちのお子さんといっしょに柴田先生のところに通わせていただいていて、いずれ介助つきのコミュニケーションができるようになりたいなというふうに思っていますのでよろしくお願いします。

J.O君
ありがとうございます。また本の話が出てうれしいですが、その先生はすごい先生ですね。柴田先生よりも話がうまそうな気がしてきたのですが、(笑)今度聞いてみたいと思いますが・・・ここまでにしておいて、そのあたりに誰かいらっしゃるでしょうか。

なかむらさん
なかむらと申します。フリーランスで記者をしておりまして、今年の初めから柴田先生のところでいろいろ取材をさせていただいております。近いうちにノンフィクションの作品で本というかたちで出したいと考えていますので、ご協力よろしくお願いいたします。

J.O
ありがとうございます。なかむらさんには以前お会いしたけれども、本当に本になるなんて信じられない気がしますが、(先生苦笑)柴田先生と違って本にできる人が(笑)・・・おかしいですが、こうして柴田先生に話す前にわかってしまうのがおかしいですが、今も見破られてしまいましたが。

ほりかわさん
新潟から来ましたほりかわと申します。22、3年前に淑徳大学の学生だった頃に重複研?で勉強させていただいていた頃に柴田先生、ななえさんにお会いすることが出来て、新潟に帰ってからは本当にぽつっぽつっとなんですが、お会いする機会がありましたが、去年~の会のほうにしみずゆきこさんの同級生で紹介をいただいて~ありがとうございます。それでそのときにみなさんの言葉を間近に聞いて、すごくみなさんとりこになってしまいました。M.Wさん親子のパワーに引っ張られて、私はここに参加させていただいて皆さんの声をたくさん聞いて帰りたいなと思っています。よろしくお願いします。

J.O君
紹介をしていない方はいらっしゃらないでしょうか。

たけださん
町田から来ました、たけだと申します。よろしくお願いします。柴田先生の講演を公民館で聞きまして、本を読ませていただいて大変感銘を受けました。今日は松田さんに教えていただいて来ました。よろしくお願いします。うそうそ(笑)

松田
そうでしたっけ?(うそうそ)

J.O君
ありがとうございました。

たなかさんお願いします。僕達の先輩の話を聞きたいので。

たなかさん
私はこの会が素晴らしい会だと思って、今日の日を楽しみにしておりました。私は難病でして、言語障害もあるもんですから、なかなか言葉を発するのがむずかしいんですけど、こうして話し出すとトロッコみたいに一旦発すると話ができるんですよ。で、このあいだ柴田先生とお会いしたのは初めてです。ここで。初めてだったんです。これから先の障害者の中心はここですね。言葉をなくした人たちがこうして意思表示できるということが主体になっていくんじゃないかと思ってます。よろしくお願いします。

J.O君
ありがとうございます。力強い先輩がいるのでうれしいです。この会にも時々話せる先輩の障害者が来てくださって、僕達の闘いの話が聞けるのがとてもうれしいです。僕達はそういう闘いからみると、まだまだひよっこのような会なので、もっともっと力強く闘えるようにがんばりたいと思いますが、今日はありがとうございました。僕達はとても勇気づけられるので、大感激です・・・した・・・大感激でした。なぜ過去形かというと一旦はなしを切って、次に続けてほしいのです。(通訳の正確さの問題に行きたいから?)そうです。通訳が正確かどうか関係があるかと思ったので言いましたが、今みたいに細かいことも伝わっているので安心してください。

ところで今日の話題はさっきのH.Oさんの話がとても大きいかなと思います。
僕たちの仲間の中には、まだまだ話が理解されていない人がいるので、その問題について先に話してみたいと思いますが、僕もじつはそのことはよく分かります。なぜなら僕たちの心の言葉については、ほとんどの人は信じていなくて、僕たちの言いたいことは、こうしてすでに話として通じているのに、それを全く信じてくれないので、僕たちのことがまるで無視されているのがつらいんですが、それでもこうして集まれていればいいわけで、確かにじつはいままでは知的障害の学校に通う人の数の方が多いのに、こうして肢体不自由の学校に通う人の数の方がここでは多いのはまだまだ知的障害の養護学校にはこの話は届いていないからだと思いますが、そういうことも含めてこれから私たちのやらなければならないことはたくさんあると思いますが、H.Oさんのさっきの話について意見のある人はいませんか。例えばH.S君は近くにそういう話はころがっていませんか。

すいません、今日はざっくばらんな聞き方をするので、先生もそれにあわせて通訳してください。

H.S
柴田先生通訳をお願いします・・・(笑)(お母さんが通訳しようとして)

(柴田先生:近くの身近な話になるので)

そうです。お母さんに関係のある話なので僕が柴田先生を指名しました。

さきほどのH.Oさんの話はとてもよくわかる話で、僕たちのなかにも身体が勝手に動く人がけっこういるのですが、例えば、僕と今声が出ているT.Oさんがそうですが、勝手に身体が動いているということを理解してもらうまでは、僕は勝手にいろんなことをする分かっていない子供っていうことになっていたのですが、ようやく勝手に身体が動いているということを理解してもらえるようになったので、僕たちはようやくその説明がわかってもらえるようになったのですが、まだまだ知的障害の学校にはそのことが伝わっていないように思います。

たとえば僕の学校の新宿養護学校の近くにはいろいろな知的障害の子どもも通う学級がありましたが、その学級のなかにも僕たちと同じように言葉がある人がいると思ったのですが、そのことについて語る人は誰もいなくて、その子達は知的な障害があるのだから、しかたがないという言い方が相変わらず支配的で、僕はおかしいなと思っていたのですが、どうしてみんな体が動くのに自分の意思が表現できないのか不思議でしょうがなかったのですが、最近になって少しずつ体が動いているように見えて自由には使えていないということがわかってきて、なぜあの人たちが自分の気持ちを表現できないのかがわかってくるようになりましたが、まだまだこれからだと思うのは確かにこの場所にそういう人が来ていないからなのですが、柴田先生は町田の障害者青年学級では、そういう人ともう話をしていると言っていましたが、それは本当なのでしょうね。

そのことについて説明できる人はY.Iさんだと思うので、Y.Iさんの意見を聞いてもいいですか、J.O君。

(柴田先生:お母さん、ちょっと(J.O君の通訳をお願いして)いいですか)

J.O君
はい、Y.Iさんお願いします。(お母さんの通訳で)

H.S君
いま、先生があちらに行かなかったのは、僕がまだ話が残っているのがわかったからです。そのへんがすごいのですが、(そうなんです。残っているなと思って離れられなかったのです)

そうです。僕がある程度まだ意見を言ってからY.Iさんに振ろうと思っていたので、Y.Iさんに振る前に言いたいことがあったのは、Y.Iさんはたしか障害者青年学級に通っていると聞いたので、そのことが知りたかったですが、Y.Iさんも確か歩けるはずなので、ほんとうは車椅子の人ではなかったですよね。そのことを言っておきたかったのですが、こんなふうにある程度先に気持ちが伝わっているので、このやり方ができるというところがあります。けっしてテレパシーではなくて、雰囲気で伝わるところがあるのです。いま雰囲気でまだ僕がまだ話し足りないということが先生は感じ取ったので、J.O君のとろこに行かずに残って、お母さんに通訳をたのんだので、そういうことも起こっているということはぜひご理解ください。いまの「お」と「ご」をちゃんと聞き分けるところが、僕にも不思議でしょうがないのですが、「お」と「ご」で困っているのはわかったので、そういうふうにこの通訳は成り立っているので、それもいい例だったので付け加えさせていただきました。さっきのJ.O君の「す」と「た」の違いです。少し違うかもしれませんが、現在形と過去形の違いです。

それではY.Iさんにお願いします。J.O君、司会をとって申し訳ない。

Y.Iさん
私も女の人の声のほうがいいのに。速い方がいいのでしかたありませんね。先生とは最近先生の関係でなくなったのでとても楽しいですが、

私は障害青年学級というところに通い始めて、知的障害の方々とたくさん付き合うようになりました。知的障害のある人たちは、私よりも障害が軽い人が多いですが、けっこう口で話しているのに本当の気持を話していないことが多いです。なぜなら本当の気持を話したいときには通訳を呼びにいったりするからです。通訳が出来る人が最近青年学級では増えてきたので、わざわざ通訳を呼びに行く人がいたりします。特に柴田先生が来るとみんな柴田先生に通訳を頼むと言い始めるのですが、そうして聞かれた言葉は口で語られている言葉の何倍も豊かで複雑な言葉です。

それなのになぜ簡単な言葉しか言えないかは一番私がわかっています。私も前にも言いましたが、簡単な言葉は自由に話せるのですが、簡単な言葉の先になると頭の中が混乱して話せなくなったりしますし、そもそも話すのだけでも大変なので、うまく話せないでいたのですが、そのことの辛さはほとんど誰にも伝わりませんでした。なぜなら話しているからいいではないかということになるからです。話しているから確かにいいのですが、本当に言いたいことはまだまだたくさんあるのにという気持とそのことが伝わらないといつまでたっても幼稚園の子供みたいに扱われるので、それが辛かったですが、ようやく最近はそのことが青年学級のなかではわかってもらえているので、誰もみんな知的障害者だと思って接する人はいなくなりました。唯一の例外はそのことがわからないで来ている若干のボランティアの人ですが、その人たちの方が少数派なので、そのことはほとんど気にならなくなりました。

主流派になっている人たちは、なんとか通訳ができるようにと、みな一生懸命なので、毎回のように通訳する人が増えていったり、通訳の人の力量が上がっていたりしています。ここまで速くできる人はいないですが、そうとうに話せるので、話し合いがいつも深まっていきます。通訳がないと実は話合いはむずかしいです。なぜなら通訳がいないで話される言葉は、本当の気持よりもはるかに簡単な言葉だけなので、話が深まっていかないのですが、通訳が入ると本当の気持がどんどん語られるので難しい会話になっていきます。

そうすると私達のことを信じていない人は、どこかにいなくなってしまうことがあります。それはいたたまれなくなるからだと思いますが、そういう人たちはそういう人たちで仕方がないのですが、信じている人たちはむしろそういう話し合いをもっとしたいので、もっともっと通訳をしたくなるみたいですが、私達の間でも少し問題になるのは、通訳の人が偉そうになったら困るので、そのこととの関係の問題があるのですが、今日はあんまり関係はないのでそのくらいにしておきますが、通訳は通訳でしかないんだということを、よく柴田先生が言いますが、通訳が通訳を超えて、私達の気持ちをコントロールする役割にまわるようなことでもあったら大変だといつも思っていますが、青年学級では柴田先生たちがそのことに関してとても敏感なのでそうはならないと思いますが、いつかこの方法が広まっていけば、きっと通訳できる人が障害者のうえに立つような場面も出ると思うので、それが心配ですが、そのときはまた私達がものを言っていけばいいのだと思います。

そのくらいのことを恐がっているようでは先に進めないので、私は大丈夫だと思いますが、そういうぐあいに町田の青年学級では知的障害のある人と話をしています。知的障害のある人の話を聞くというのは、じつはむずかしいらしくて、私は手を触られるのはなんともないけれども、手を触られるのがいやな人もいるし、身体が勝手に動くのでいなくなってしまう人もいるし、そのうちに気持が高ぶって相手の人を突き飛ばしてしまう人も出てきますが、昔はその人たちの行動の意味がよくわからなかったようなのですが、最近はその人たちの行動が起こった後に理由を聞きにいくことができるので、いまのはなぜ人を突き飛ばしたのかとか、いまなぜ外に行ったのかとか、そういうことをすべて聞けるようになったので、私達も安心してその人たちの話が聞けるようになりました。

このあいだも私達の目の前で柴田先生を突き飛ばす人がいましたが、その人も後でいろいろ私のような話をしていたので面白かったです。その人たちからみると今まではそのことだけで叱られたり、そのことだけで責められたり、そのことだけで判断されたりしていたので、ほとんど本当の自分を認められることがなかったはずなのですが、そういうふうになってきて、本当の自分はもっと別のところにあるということが伝わるようになりましたから、知的障害の人にとっては、この方法は私達以上に必要なんだと思います。なぜなら私達はわからないだけですんでいるのですが、その人たちはとても危険な人だと思われていたり、とても人間嫌いだと思われていたりするので、本当の姿とはかけ離れすぎているので、分かってもらえていないどころの騒ぎではなくて、他の分かり方をされていて、その分かり方から全く抜け出せないでいるのでつらいだろうなと思います。人を突き飛ばすぐらい当たり前だなと思います。

私も家ではけっこうお父さんやお母さんに当たりますが、それぐらい分かってもらえない人には辛いことなので、みなさんは当たることは少ないのかもしれませんが、私は家では当たりまくっています。今は隣でS.Kさんが口でといいますが、私達は身体が動くのであたることができて良かったなと思いますが、そんなことがいま私のまわりに起こっていることですが、J.Oさんこんなところでよろしいでしょうか。J.Oさんの司会はお母さんでも柴田先生でもどちらでもいいと思うのですが、なにかさっきいろいろ言ってましたが、お母さんよろしくお願いします。

J.O君
僕もみんなが言っているあいだにたくさんのことを言っています。読んでもいいですか。

柴田先生:
たぶんみんないいというと思います。

J.O君のお母さん
みんなが言っている意見に対して、ひとことふたこと言ったものです。

J.O君
それはお母さんがまとめてしゃべればいいのに。今は僕はいいですが、この感じでお母さんとやっていると少し違う方に走るので、僕は柴田先生に司会をお願いしてあとで質問のときにこれはお母さんといきたいと思います。

それはそれとして、さっきのY.Iさんの話がとても肝心な問題に答えていたので、その問題に関して話せる方はあとはいますでしょうか。一度H.Oさんにもう一度意見を聞いたらどうかと思うのでよろしくお願いします。

H.Oさん
H.Oですが、私は隣の人がそんなことを考えているなんて知らなかったので驚きました。車椅子の人だとばかり思っていたのですが、違っていたのですね。

私は今の話を聞いて驚くばかりです。そんな場所があるなんて信じられないからです。私の周りでは、私達のことを理解するなどということはまだ全くなくて、私達をていねいに扱おうとする人はたくさんいるので、いい世の中になったということなのでしょうが、私達の心が本当はもっと別のところにあるということなど全く理解されていないので、私は驚くばかりでしたが、そんなふうになるということが分かってもらって希望がわいてきました。

私達の話ばかりしていては申し訳ないのですが、たぶんこの話については隣の隣のS.K君が分かると思うので、彼の意見を聞いてもらっていいでしょうか。J.O君大丈夫ですよね。S.K君も勝手に身体が動くメンバーのひとりなのでお願いします。

S.K君
僕は学校が盲学校なので、じつはあまりそこまで大変ではないのですが、たしかに僕たちのような重複の子供たちは何も分からないと言われることが多いですが、最近は盲学校は重複の子供たちにもきっと分かっているはずだからということでむずかしい授業をやるようになってきましたが、それ以前は、僕達は何も分からないから楽しいことばかりさせられていましたが、最近は生活還元学習という昔ならお遊びや料理で終わっていた学習を毎回世界地理の学習などに変えてくれたのは、こうして僕達にも気持があるということを学校の先生が分かってくれたからです。

学校の先生の授業を見るとかえって親のほうがいろいろ言い始めてしまいます。あの内容は難しいのではないかとか、聞いてばかりいて子供は何もできないのでつまらないのではないかと言い始めるのですが、先生もときどき親から相談されて困ってるみたいですが、先生はたしかそういうときに今は一生懸命先生達がわかろうとしているので、このやりかたがなくなってしまったら、また昔の歌と遊びの時間に戻ってしまうので、ここで批判するのはあまりいいことではないと言っていると思いますが、僕もあまりうまくいっているとは思えなくても、僕達はちゃんと聞いているので、僕はたとえば新潟の話を聞いたら授業で聞いたときの新潟のことを思い浮かべることが出来ます。

そのぐらい学校の授業というものは大切なものなので、そういうことを本当は世の中の知的障害の学校の先生にも分かってもらいたいのですが、さすがにまだそのことも学校の先生はわかっているかどうかはあやしいところで、それでもなにかがあるはずだという感じでやってくれているので、なんとかなっているのですが、僕たちの仲間にも意思とは違う言葉を言う人たちがたくさんいます。

というよりは、盲学校の重複の子供と話している人は、みな意思とは別のことを言っています。その最たるものが僕ですが、学校で話している話だけ聞いていると僕達は、何も分かっていないどころかとんでもないことを考えている子供たちになってしまうのですが、とんでもないことを考えているのではなくて、とんでもないことを勝手に口が言ってしまうだけで、その奥でいつもさびしい思いをしているのが僕たちの仲間達です。

だから実はお互いそのことがわかっているので、変なことを言っていても、ああ、あんな変なことを言ってと思っている人は誰もいません。ああ、また勝手に口が動いているとは悲しいねと思っているので、僕たちがいろいろ口で言い出してもお互いに心が乱れることはないのですが、先生達はそのことをすぐ気にしますが、僕達は一番お互いがわかっているので、お互いのことをよく理解しあっているので、友だちのことでは気持が乱れることはありませんが、先生達の心無いひとことにはいつも気持ちは乱れますが、それは先生達に言っても始らないので、僕達はただ黙っているだけですが、そういうことも最近は減ってきているので、とてもいい学校になりました。

しかし、世の中ではまだ知的障害というのがきちんとは理解されていないので、こんなふうに盲学校が変わっていったのは、僕達にも点字を書く力があるということをなんとか伝えることができたからだと思いますが、まだ知的障害の学校ではそういうことも進んでいないのでしょう。たぶん遊びと歌や行事の時間が続いているのかと思うと悲しくなりますが、僕たちの力は本当の気持ちを分かる前に、本当の力があることがわかる順番でいけばわかりやすいと思うのですが、なかなかそのことだけでもむずかしいので、どこから話をしたらいいのかわからないのですが、さっき町田の青年学級の話が出ていたので、いろいろ言う前にやっぱりみんなの気持を聞き取ることをやったほうが早いのかと思いました。

僕の学校ではこのやり方は、さすがに先生が控えているのですが、それはこういうことをやり始めると、せっかく点字の学習のシステムができたのに先生たちがこれを放棄するのが恐いからですが、そういう恐さもあるけれど、本当は僕は先生に学校でやってほしいのですが、たぶん今言うと先生が学校に来れなくなるのは間違いないので、それも仕方がないのであきらめていますが、僕たちのような知的障害があるといわれている子どもたちの本当の障害は、言いたいことが言えないどころか、言いたくないことを言ってしまうことと、したくないことをしてしまうということが、いつか世間に理解されるとそのときが知的障害の人たちが変わるときだと思いますが、もうすでにそれは起こっていることなので、始っているこのことがどう伝わっていくかだと思いますが、町田の青年学級は実際、長い間柴田さんたちががんばってきただけのことはあるのでしょうね。

最初にこのやり方をやっても信じる人の方が多かったというのはとても信じられないので、そのへんがきっとむずかしいところなのだと思います。どこでもこのやり方をやったら信じる人がいるようになっていればいいのでしょうが、さっき埼玉の先生はすぐに信じてくださったと言ったのですが、そういうことのほうがまだ少ないということが問題だと思います。僕達が仮に口では言えなくても、ほんとうの気持があるということを分かる人が世の中にいるのだから、そういう人が見守ってほしいと思いますが、言葉を先に伝えるか、言葉よりも先に気持ちがあるということを伝えるか、どっちが先か分かりませんが、そんなことを今日はいろいろ考えることができたので、H.Oさんの話はとても面白かったです。でもこの話はこのへんで先に進んでいただいてけっこうです。

僕達は十分に僕たちの~になったので今日はとても満足しましたから。J.O君、あとはまたよろしくお願いします。

J.O君
そうです。僕は今の話がとても面白かったですが、さすがにそろそろ次の話に行かなければと思っていたので、S.K君ありがとうございます。

僕は今日はいろんな人が来ているので、僕たちの一番の願いである世の中で自立して生きていくということについて話をしてあげて、今日はS.Tさんが来られているので、S.Tさんに、またいつもと同じことになってしまうかもしれないけれど、わたしたちが、目指してもなかなか叶わない自立生活について聞かしてください。

自立生活については、僕達は何度も聞かせていただいて、圧倒的な驚き方をしているのですが、きっと伺うとみんな、圧倒的に驚かされると思うので、(柴田先生:少し軽く通訳しろということね)みなさん聞いてください。柴田先生はさっきから真面目なパターンでやっていたので、僕の本当の言い方が伝わっていなかったので、みなさん圧倒的に驚かされると思うので、ぜひS.Tさんの話を聞いてください。よろしくお願いします。S.Tさんの通訳は松田さんか、ななえさんか、柴田先生よろしくお願いします。

S.Tさん
私はカメラ苦手なのでよろしくお願いします。でも後で編集できるから大丈夫です。それほど気にしているわけではないけれど、女ですから。めんどくさいから(通訳は)もうあなたでいいです。(笑)

私の自立生活については何度も話してきましたが、私の自立生活は実はお母さんが、切羽詰った状況で起こったことだということは、あまり強調してこなかったので、私の自立生活の始まりの状況を説明します。お母さんは離婚したあと、私と暮らしながら自分も働いているので大変だったのですが、一度私を長期の宿泊にあずけなくてはいけなくなったときに、お母さんがとても悩んで、長期の宿泊と長期のアパート生活は、よくよく考えたら違わないじゃないかと言いだしたのです。

どうせ誰かに面倒をみてもらうんだったら、施設であろうと、アパートであろうと、どこが違うのだと真剣に迷ったお母さんはいろんな人に相談してまわって、自立している障害者がたくさんいるのは知っていたので、うちのSはただ話せないだけで身体の介助に関しては何も変わらないのだから、施設よりアパートのほうがいろいろいいこともあるかもしれないと思ってかなり無謀に決めたことでした。

私は心がはじけるぐらいうれしかったのですが、お母さんは私が大喜びしているのでとても安心して、アパート暮らしを選びました。アパート暮らしでは1分1秒も私のそばに人がいないのは危ないので、人を探すのが大変でしたが、幸い町田にはヒューマンネットワークという介助の集団があって、その人たちは、私の話を聞いて大いに喜んでくださって、なんとかSを一人暮らしさせられたら世の中が変わるはずだと言って、始めてくれましたが、長い間、このことは誰も気付かずに過ぎていきました。私の周りでは私を大切にしてくれる人がいたのですが、実は私のまわりの人たちもこれでいいのかといつも疑問に思っていたようです。

私が本当に意思があるのかどうかわからないのに、毎回私に意思を聞いていくるというのは、私にとってはとてもうれしかったことなのですが、聞いている人もこれで本当にいいのだろうかと迷っていましたし、私が夜ひとりさみしく寝るときもあるので、本当にさきよさんを夜一人で寝かしていていいのかと、そういう迷いがヒューマンの人たちにもあったので、じつはこれがいい生活だと言えずにいたのだと思いますが、このあいだ10周年記念パーティを町田の小さなスナックのようなところでやったときに、柴田さんが来てくれて、私の気持ちをスクリーンに映し出してくれたとき、ほんとうに介助者の人たちはよろこんでくれました。介助者の人たちは一度その答えがほしかったのをそのときに分かったからだと思います。私とすごした10年が間違っていなかったということをあの日知ったので、あれからヘルパーさんたちはとても明るく接してくれるようになりました。

いままでもとても素晴らしかったのですが、どっかにこれでいいのかという迷いがあったのですが、あれ以降はこれでよかったというか、私達は時代のさきがけだったのかというこという思いでみなさんがんばっています。本当に時代のさきがけだったと思います。私のような障害者が一人暮らしをしているという話は聞いた事がありませんから、私は今でもとても誇らしい気分でいますが、始まりを言うとそういうことだったのです。

みなさんは安定した家族があるから、そういう場所に立たされにくいのかもしれませんが、私の場合は相当せっぱつまっていたのですが、うちのお母さんは少し変わっているので、そういう大胆な選択をすることができて私は幸せだったと思います。変わっていても別におかしな人ではありませんから安心してください。

柴田さんとはおかしなことをよくしていて、一度ならず二度ほど、もうあんな人は放っておきなさいという知的障害者をふたりで一生懸命カバーして、そのあとでいろいろ言われていたのを私は知っていますが、たしかあの時柴田さんは自分のお金を出してアパートを借りたはずです。あの人も最近はおとなしくなりましたが、うちの母が一番心配していた人で、せっかく一人暮らしができたのに自立支援法のときにまたグループホームに戻されてしまい、そのグループホームが合わないからといって、家出をしたら、その家出の罰として施設に入れられてしまったのを柴田さんが怒って、みんなで連れ出しに行ったのが面白かったですが、みなさんは知らないかもしれませんが柴田さんはときどきそういう無謀なことをしているので、気をつけてください。(笑)

私の母も柴田さんと気が合うみたいで、ときどき会うと面白そうな話をしているみたいですが、あんまり会う機会は少ないようですが、とても気があうとお母さんは言っています。柴田さんもそう思っていると思います。あの場面であの人を支えようと言った人はほとんどいませんでしたから。ああいうときに私は、こういう会ができる根っこには、そういう気持ちが必要なんだということを思いました。

さっきこの言葉を見た瞬間に分かる人がいるといいましたが、うちの母やまだこのやり方がわからず、信じているというか、まだガリレオの会という言い方をやめませんが、私のお母さんはのことを心では信じているのですが、どうやって世の中に伝えていったらいいのと、いつも私に向かって泣いています。私の言葉をお母さんが分かっても他の人が分からないとだめなのよと言っていつも泣いていますが、そういうことがわかる土壌がなんなのかということも、とても大切なことなのかと思いました。

町田の青年学級は、私は普段は通っていませんが、話を聞くとだいたいわかるのですが、長い間、障害のある人の存在を大切にするとはなんなのかをみんなで考え合ってきた集団だと思うので、突然私達が話し出しても困らなかったのだと思いますが、そのことを考えていない人たちにとっては、私達の言葉は何かの迷いごとのようにしか見られないんだと思いますが、今日こうやっていろんな人が来てくださっているということは、たぶんその山元先生という人は言葉以上に大事なものがあることを言っていたから、柴田さんたちとつながったのだと思います。もし言葉だけのことを言っていたら、たぶんその人の方が先に有名になっていたはずですから、その人がその言葉の話を言う前から子どもたちの存在の大切さを言っていたから、言葉の問題がつながっていったはずなので、それはたぶん間違いがないというのが今のこの場の空気で分かります。そういうことの大切さはなかなか伝わらないので順番がどうしてもそのようにはいきませんが、せっかくこんなふうに言葉を伝える手段が見つかったのだから、そのことと併せて言っていけばいいと思います。

そのことと併せていかないとさっきY.Iさんが言ったように通訳者がいばることがありうるので、そのことがそういうことにならないように、存在の大切さと言葉の大切さを併せて語っていけばいいのかなと私は思いますが、さっきから私達の言葉について、なかなか悶々として理解できないという人もいるようなので、その人たちには申し訳ないのですが、まるで魔法のようなこのやり方なのですが、さっきからときどき止まるところで、確かめているみたいに、じつは相当瞬間的に私に言葉をかけた後に確かめているのが私は分かっていますし、私も無意識のなかで、あっているあっていないを返しているので、そのやりとりがそうとうなスピードでやられていると思ってください。

決して心を読んでいるわけではありませんし、何か特別なやり方というよりは、少し特別ですが、身体を触っているなかの情報にあっているあっていないとか、あかさたなで私達が返事をしたという情報が含まれているだけですので、どうぞそのへんはご理解いただけたらと思っています。柴田さんもこれだけ大勢の人の通訳なので、理解されるかされないかをそっちのけにして駆けていると思うので、そのへんは分かっていただけたらと思います。それではJ.Oさんよろしくお願いいたします。J.Oさんの通訳はお母さんと柴田さんは使い分けたほうがいいですね。私は母のことはあれだけ言ったので、J.O君は目の前にいると言いたいことが言えないと思うので、柴田さんが通訳してください。

J.O君
ありがとうございました。僕の母はまた別の母ですが、その話をしているときりがないので先に進みます。僕はいま司会者として何をしゃべればいいかわからないので、自分の意見を言わせてください。

僕は地域の学校で生きてきたことがあります。それは知的障害ではなくて、肢体不自由の特殊学級でしたが、そこでこの隣の先生が見てくださったのですが、地域の学校のよさは、僕たちのことを地域の健常児が知ることでしたが、養護学校に行ってからは全く社会と接点がなくなってしまったので困っていました。

ところがこうしてみなさんの話を聞いていると少しずつでも社会のなかにでているひとがいると僕はとてもうれしく思うとともに、僕も早く社会に出て行くのを増やしたいなと思っていますが、さっきから青年学級の話がでているので少し付け加えますと、青年学級には3つのグループがあって、柴田先生たちが関わっているグループと僕のグループと、あともうひとつあるのですが、じつはいまのようないい話がストレートに出来上がっているのは、ひとつのグループだけです。あとのふたつはまだまだ一生懸命やっているのですが、そこまではいきません。

それはやはりこれまでの長い伝統の重みの力があるからだと思いますが、そのぐらいむずかしいのですが、いずれにしても先へ進もうとしているのは事実ですが、話を元に戻しますと、地域の学校で話ができたということをもし、子ども達に伝えたら、子どもたちは喜んでくれたのではないかといつも思っています。僕の言葉を聞きたいといつも僕の回りには輪が出来ていたし、先生達は別にして、かわさき先生は先生ではなかったけど、かわさき先生と僕の周りに輪が出来て、子ども達は僕たちの言葉を聞こうとしました。先生が証人ですからこれは本当のことです。先生の周りには輪が出来なかった。これは職業的な先生のまわりには輪が出来なかったけれど、介助員のかわさき先生と僕の周りには輪が出来て、いろんな話を子ども達としました。だから、地域の学校でこの話をし始めれば、絶対に子ども達が先に気付くと思うのですが、誰かこのことについて意見のある人はいませんか。

その前にもう一つだけ言わせてください。僕は地域の学校を離れて中学校から養護学校に移りましたが、養護学校ではいい先生と悪い先生の差が激しすぎて、一番悲しかったのは、悪い先生のほうが力を持つことです。(笑)いい先生がほんとうはいるので、養護学校も捨てた場所じゃなかったのに、悪い先生の意見のほうが絶対に勝って、いい先生はその陰で悲しそうな顔をしていたのを僕達が一番見ていますから、いい先生がいない場所だとなると世間に誤解されてしまうので、本当はいい先生は世の中ではたくさんいる場所なのですが、その先生達の意見が主流を占めないからおかしなことになるだけなのですが、それでもこのやり方をわかるかどうかとなるといい先生かどうかだけでは決まらなくて、そのうえで何かもうひとつ要素が必要なようなのですが、それがさっき言った存在を大切にするということかなと思います。

さっき東松山の先生が見た瞬間に信じられたというのは、僕には驚くばかりの話なのですが、かわさき先生が信じたのは事実です。後で柴田先生が何度も言ってくれましたが、柴田先生はかわさき先生がこのボードを使うと言い始めたときに、それは無理だと心の中では思ったそうです。それは本にも書いてありますから間違いのないことですが、先生は学者なので、理屈から言ったら、僕に出来るのは、「はい」と「いいえ」ではなくて、二つのスイッチを行ったり来たりさせることだけだったので、そのふたつのスイッチしか動かせない少年がどうして、五十音のボードを指せるのかということで、先生は疑ったそうですが、そこが先生のだめなところで、(笑)そういうときに反論できないのが柴田先生の弱さなのですが、(笑)反論できずにやにや笑ってその場を過ごしたのはとてもよかったです。もしも反論していたら後で大恥をかいていたでしょう。

三週間後に僕はできるようになって、先生もそのときには目を丸くして「やった、すごい」と素直に喜んでくれたので、そのへんは別にいいのですが、三週間前に疑ったのは本当のことです。(笑)そのくらい、よくわかっていそうに見えても、なかなかわからないところがあるので、このやり方を越えて存在の大切さというのはとても大事な話だと思いました。僕も存在の大切さを分かってくれる人かどうかはあえてわかったですが、いい人を越えて存在を大事にする人にはなかなか会えないのは、存在を大切にするというのはやはりむずかしいことなのかなと思います。存在を大切にするということは世間の常識からは外れるということを意味しているので、存在を大切にする道を歩むとだいたい困難なことが待っているみたいですから、そのへんはぜひ東松山の彼に話を聞いてみたいところですが、よろしいでしょうか。さっき、そのへんの話をぜひしてくれと言ったように思ったので、僕も無茶振りとは思いましたが、振りましたので、きっと答えてくれると思うので、よろしくお願いします。先生のことも含めて話をしてください。

T.K君
ありがとうございました。僕もその話だけならできるので、ありがとうございます。

僕はいま隣にいる先生がとても悲しい顔をするのをよく見ています。なぜなら先生だけが僕の気持ちをわかろうとして、なんでそんなことをこの子が言っているのがわかるのよといつも言われています。先生は僕がそう言ったと代弁してしまうのですが、してしまうと言ったのは、僕はそれは言わないほうがいいのにと思うことまで代弁してしまうからなのですが、それをいうとまた言われてしまうのになと思って少し恐いのですが、先生はそんなときに勇気を出して言うのですが、それでまた、そんなことをこの子が言っているとどうしてわかるのですかといわれてしまいます。

僕はもう言わないほうがいいと思うぐらい、一度もその先生達はそのことを受け入れたことがありませんから、悲しいばかりですが、そういう人たちが悪い先生かというとそれほどでもなくて、とてもいい人たちなので、そのことがいつもわからなかったのですが、ようやく今日答えがわかりました。いい人と存在を大切にしてくれる人の違いがあるということが分かったので、僕はその区別ができたので今日は安心して家に帰れそうです。いい人を存在を大切にできる人にどう育てたらいいのかはわかりませんが、いい人が存在を大切にする人に変れば、もう少し世の中が良くなるのだということがわかりました。

それにしてもみなさんすごいなと思っていましたが、僕もなかなかしゃべれないだろうと思っていたのに、こうしてしゃべれているのが不思議ですが、それはやはりいつもいろいろなことをひとりで考えているからだなとつくづく思いました。僕達は身体が動かないので、ほかの子ども達が遊びまわっているときもいつもなにか考えるしかないので、いつも考えているので、こういうときにはいつも考えていることが次から次にあふれるようにわいてくるのだなと思います。けっして先生の言葉ではありませんから。先生の言葉のように見えるに違いないのですが、先生がこんなことをあわててというか、瞬時に考えだすことなどできるはずがありません。それは僕たちの学校のことも知らないし、僕の家のこともまるで知らないから、僕のことを全く知らない人が通訳しているので、今の話は先生には絶対に作れませんからご安心ください。それから先生はまだ僕の名前すら間違うぐらいなので、本当にあやしいくらい知らないと思ってくだされば安心して僕の通訳だけだと聞いてもらえるのではないでしょうか。

今のは半分冗談なんですが、少し真面目な声の調子だったので、なかなかうまく伝わらなかったかもしれませんが、(笑)さっきのJ.O先輩の話が面白かったので、僕も面白いことを言ってみました。こんなに楽しく話ができるとは思っていなかったのですが、僕はまだこういう場所に慣れていないので、これぐらいで終わりますが、確かに僕の学校の健常児達も僕に向かって、いつもやってきては話しかけようとしてくれますし、僕の目を見て、今笑ったとか、今返事をしたとかいう子はたくさんいますが、それをそうだといってくれるのはこのもりた先生だけで、あとの先生はそのことについてはとても冷ややかなまなざしをしています。冷ややかというのはちょっと言い過ぎかもしれないけれど、子ども達は無邪気だからいいわねと後で会話をしているのを聞いたことがあります。本当は何も分かっていないのにねと言っている先生もいますが、その先生ですらいい先生なので本当に悲しくなるのですが、これからはあの先生はいい先生だけど、存在の大切さがまだわからないんだなということを考えるようにしたいと思いますが、そんなふうに健常児のほうが僕たちのことを当たり前の人間としてみてくれるのは間違いがないので、本当は養護学校はもうなくなったほうがいいと思っています。

これは無謀な意見だということは知っていますが、僕の町では、例外的に地域の学校に行けた少年になっていますが、そのことは東松山市の大きな政治の方針のひとつだったのですが、残念ながらそれは間違いだったではないかという意見が周りでは多いです。それは僕のような障害の重い子どもは、設備の整った学校に行ったほうがいいからという考えですが、設備と言ってもまわりに今あるものだけがあれば十分な設備なのにそれ以上の設備はいりません。それ以上の設備があるということは、それ以外の人は近づけないといことになるので、僕の周りからあの健常児たちの純粋な眼差しが消えるのかと思うと、養護学校にはけっして行きたくありませんが、ここには養護学校を卒業した方ばかりなのだと思うので、先輩達には申し訳ないのですが、僕は養護学校よりは今の特殊学級であっても地域の学校で生きていられるほうが好きです。地域の学校には地域の純粋な子ども達の眼差しがあるので、僕はそのことをもっともっと訴えなければいけないというふうに思い始めました。僕は先輩達よりも若いので、次の僕たちの時代の使命はそういうことなのかなと気がつきました。

それからいま突然思いついたのですが、このあいだから僕の周りで、先生のことが少し話題になったときに、先生の話はどこかおかしいから注意するようにという話になっていました。そんなことを誰が言うのか知らないですが、そういうふうに言われているということは、じつは気がつかれ始めたということなので、僕は良かったなと思っていますが、普通はそういうのを聞くとよくないと思うのかもしれませんが、僕達みたいに忍耐を繰り返してきた・・・私達はそういうことが考えられるので、(ちょっと違っているのかな・・・言いまち・・・言いよどむ)そうです。言いにくいと思ったら、先生も言いにくくなるので面白いのですが、僕が言いにくいだけです。僕の周りではそういうことが起こっているのは間違いないのですが、そこから何か生まれればいいと思っています。マイナスに見えるところからプラスが生まれるというのが僕の小さいながらの哲学なのでよろしくお願いします。

それからあともうひとつ、先生がなにか僕に言わせたいと思ってるように思うのですが、(柴田先生:何なんだろう違うんだけど)さっき一瞬なにかがあるんじゃないかと思ったのが気になっているのですが(柴田先生:それが分かるんだ)わかります。先生が何か聞きたいというか、僕が言いたそうにしていると期待しているのが分かるのですが、(柴田先生:僕もわからないです。何か・・・)そうですか。何もありませんので安心してください。それでは次に代わります。

・・・わかった。分かったんでしょう。僕が分かったときに先生が分かったのはなぜなのか分かりませんが、僕が言いたかったことはいじめの(あってるんだよな)そうです。いじめについて言おうとしていたのですが、今僕がわかったと思った瞬間に先生が振り返ったのが不思議ですが、分かったという情報が伝わったのだと思いますが、いじめの話がいま世の中で伝わっていますが、僕の学校ではあからさまないじめは起こりません。なぜなら僕達のような存在がいるので、いじめるなら僕達をいじめればいいからです。変な言い方ですが、僕達みたいな存在がいるので、いじめるなら僕達をいじめればいいわけです。ところがそれはあまりにばかげていることが分かっているので、子ども達もあまりにはげしいいじめには走らずにすみます。僕達のことをいろいろと言う少年たちがいるのは当たり前のことです。それは小学校の高学年ぐらいになると、人のことを悪く言うくらい人間の話だから当たり前なのですが、だから僕たちのことを平気で指差したりする子ども達も出てきますが、その子ども達は僕達のことを指差すと、とたんに自分のやっていることの愚かさがわかるようなので、僕たちの顔をみて本当に指差せる人はいません。

だから僕達ぐらいいじめられてもなんともない少年が学校にいれば、あんなに陰湿ないじめは起こらないと思います。人間が人間をいじめるのは悲しいけれど、本質的なことなので、僕達みたいなどこから見てもいじめられてもおかしくない人たちがいたほうが、いじめのばかばかしさが分かると思うのですが、いまの学校はみんな同じ様な子ども達がぎゅうぎゅうに同じところに詰め込まれているのでいじめのことが陰湿になって分からなくなると思いますが、僕達が学校にいたら、いじめはきっと起こると思いますが、そのいじめのばかばかしさもすぐ分かるので、いじめは、いじめも、いじめの、ところではあると思います。いまのはいじめではなくてもう完全な犯罪ですが、犯罪になるようなことはなく、いじめのばかばかしさに気付くといういじめに終わると思うので、僕は障害のある子どもが地域の学校で暮らすということはとても大事なことだと思います。(今の違ったね)地域の学校で生活するというのはとても大事なことです。

違ったわけではありません。僕も暮らすがおかしいと思ったら、先生が暮らすを言い換えただけのことです。そういうふうに伝わっているのでご安心ください。さっきのいじめの話題が通じ合ったのが奇妙ですが、それが分かったのは事実でしたので、それは事実として報告しておきます。先生もそうだのでしょう。(そのことが一瞬ちょっとよぎって、なにか言うことがあるのかなとおもって)そうです。それでは僕の話はこれで終わります。ありがとうございます。

J.O君
司会としてですから安心してください。それでは次の話をお願いしたいのですが、まだ話をしてもらってない人がたくさんいるので、H.S君かいさか君かどちらか話がもうあるのではないですか。あるんだったらお願いします。

R.I君でけっこうです。

H.S君
R.I君お願い。僕は今日はおとなしく・・・

R.I君
今日のテーマは少しむずかしいです。僕はおとなしくしています。

J.O
そんなこというなよ。(笑)僕はきっと何か言えることがあるはずなので、お母さんに言いにくかったら、ここぞとばかりに柴田先生に言えばいいさ。柴田先生は何を言われても平気な人だから。このくらい言ったって大丈夫なんだから。だからなんか言ってくれよ。

R.I君のお母さん
柴田先生通訳をお願いします。本音が出ると思います。

R.I君
わかりました。僕はおとなしくしていようというのは本当なのですが、僕はJ.O君ほどユーモアもないし、真面目な母に育てられたので、(笑)心の底から真面目なのです。(笑)少し言いたいことがあるのできちんと言います。

僕は今日の話は驚いたのは、知的障害の人の悲しみやくやしさがそんなにあるということに気づかされてこなかったからです。それは僕が小さい頃から病院や養護学校の間を往復するばかりで、なかなか一般の社会にでることがなかったからだと思います。このあいだから僕はまた身体の具合が一段と思わしくなくなって、いよいよ僕も病院生活かというふうな感じなので、だんだん社会から遠ざかる一方なのですが、社会にもう少し出ていたらきっと、きっと今のような話にたくさん接していたのだなと思いました。

僕はずっと肢体不自由の学校や施設で生きてきたので、知的障害の人はあまり知りません。でも知的障害の人が僕の周りで飛び跳ねたりするときに、たしかに恐いと思ったことがあるのをとても悲しい気持ちで思い出しました。知的障害の人のなかには人に向かってくる人もいたので、僕は身体が動かないし、身体が細いので、何かあったら僕はいいのですが、大問題になるのが恐かったのです。その人がもし僕の骨を折りでもしたら、その子はこの学校にいられなくなるし、お母さんどうしは大騒ぎをするだろうし、だから僕は僕がやられること以上にそういう事件が起こることが恐くて恐くててしょうがなかったのが本当の事情です。でもその子達のことを悪く思ったわけではないのですが、まさかあの飛び跳ねている行動の向こう側にまさか別の気持ちがあるということは気づかなかったです。今の話を聞いてただただ驚くばかりです。でも僕達もそう思われてきたし、僕も簡単な言葉は話せるし、話している言葉は、半分ぐらい勝手に口から出てくるので、そのことに気がつかなかったことはおかしいくらいです。

柴田先生も一時期最初に会ったときは、一生懸命僕の口から出る言葉に集中していたので、僕がなかなかいろいろ語れなくて困っていたのを覚えていますが、途中から突然僕の言葉は全く気にとめなくなって、手から出てくる言葉しか聞き取らなくなったのを僕はとても面白かったですが、とても不思議な気持がしました。誰も声でしゃべるしかないと思っていたのに、言葉はもっと別の手段で伝えられるのが分かってうれしかったですが、さすがにこんなに早く話せるとはおもわなかったし、まさか母が通訳になれるとは思っていなかったので、これで僕も新しい段階に移ることが出来たので、とてもうれしいです。

僕は何も話さないとよく言いますが、特に知的障害の人に対しては申し訳ない気持ちをずっと持っていたので、このことは言わなければいけないと思っていたので、今日は言えてよかったです。知的障害という言葉もそろそろ終わりにしないければいけませんね。知的な障害というのはまだいいのですが、知的障害やよくないもっと表現あったけれど、僕は言いたくないので言いませんが、知的な障害と知的障害の違いを僕なりに説明すると、知的なというのは言いたくても言えないという頭の中のプロセスの障害ということが知的なという言葉に入れられれば、それでも少しはいいと思うのですが、知的なの意味が子どものような段階とかいうのは大間違いだと思います。僕もずっとそういわれてきたので、知的に遅れているという言われ方に何度傷ついてきたか分かりません。心は年代とともに成長しているのに言葉をしゃべる働きが成長していかないので、僕も知的な機能に問題があるのだというふうに思っていました。

なぜなら、僕にとって知的な機能という意味合いは例えば交通事故に会った人が突然しゃべれなくなったりするのと同じだと思っていたからです。だから知的なという意味を交通事故の人がしゃべれなくなるのと同じような障害というふうに変えてくれれば、僕は知的な障害という言葉の意味でうまく通じられるのではないかと思うのですが、そのあたりはまだ僕もよくわかりませんが、先生が今僕の顔をじっと見たのは、なんでそこまで考えていたのかという意味だと思うので、なんか先生とはいえ少し失礼ではありませんか。(笑)そのぐらい考えていますよ。

というのはJ.O君に教わった冗談ですが、(笑)そのぐらい今先生が驚いたのはわかります。そして松田さんの顔を見たのはそういう話をしているということですよね。そういう話をしているから、松田さんの顔を見たのだと思いますが、すでにそういうことは話あっているということですね。知的障害とはなんなのかというのがきっとこれから大きな課題なのではないでしょうか。僕達は身体が動かないだけでなく、勝手に身体が動いたり、勝手に言葉が出たりするので、知的障害の意味は自分なりには分かっていたので、今のは自分の実感に基づいた話ですが、幸い僕はしゃべれるようになったので、こんなふうにいえるようになりましたが、同じ状況でしゃべれないどころか、相変わらず児童の扱いをされている人がいっぱいいるので、何とかならないかなと思っています。

ちなみに僕のよいお母さんは、僕の障害のためにとても悲しい思いをたくさんしてきたので、これからはたくさん喜びの多い生活を過ごしてもらいたいと思うので、僕もあまり深刻な顔をするのはやめて、J.O君に習った楽しい会話の道を歩んで行きたいと思います。

太田君はどうしてあんなに不思議なのですか。どうしてあんなにふざけられるのか不思議なのですが、(笑)お母さんのことを見ているとやっぱり親と子は似るのかもしれません。(笑)それは失礼かもしれませんが、僕とお母さんはやっぱりそっくりだなと思ってしまうので、僕もがんばってふざけられるような少年・・・ではなく青年になろうと思います。今僕が言い間違えたらそういうふうに伝わるので、これは本当に正しく伝わっていますのでご安心ください。そうでないと、わざわざ先生が自分の悪口を通訳するはずはありませんが、この先生なら言いかねないからです。(先生苦笑)まあ、それはいいとしますが、それで・・・以上です。

J.O君よろしくお願いします。J.O君のボードの意味が分かりました。J.O君は、お母さんとでは何かをふたりだけの会話をしているので、それでは司会にならないので、(笑)言っている意味がよくわかりました。それではJ.O君よろしくお願いします。

J.O君
そういうところまで見られるところでは僕達のお互いのすごいところです。じつは僕達はみなさんよりも自由自在に目を見ていることが分かりました。先生達は自分がどこかを見たら相手から必ず見返されるので、けっこう窮屈なのだということが分かりました。また先生いま僕の顔を見ましたね。失礼ですね。(笑)僕達はそのぐらいなら分かります。というよりは何か別のことに気付いたのでしょうかそれはいいことにして、僕達は自由に見ても誰も何も反応しないので、じつはあらゆる人のあらゆるしぐさを自由に見ているのですが、最近それをT.Oさんがだんだん明かしてきたので、僕らも(苦笑)言いにくくなってきましたが、今気づいたのですが、T.Oさんがまだ話していないのと、さっき僕たちの仲間の中には地域の学校で暮らした人がいないというふうに、若いT.K君には見えたようなのですが、じつはこのなかには地域の学校で生きてきた人がいるので、彼の話をお願いします。

T.O君
T.Oです。よろしくお願いします。そろそろ来るのかなと思っていたのですが、さっきの視線の話はそのとおりです。僕達はじつは全部を見渡しても誰も反応しないのでじつはいろんな人のしぐさは全部みえているので、あの人は今なにを思っているかというようなのはすぐにわかります。最近柴田先生がそのことに気がついたのは、僕がいろいろ説明したからですが、それで最近は僕達がどこを見ているかも情報のなかに入れるようになってきましたね。さっきも・・・さっきも・・・ごめんね、名前とかになるとね・・・彼が・・・全然名前でなくなって・・・R.I君が、R.Iさんが目線の話をしたときに先生は目線のところで驚いた顔をしていたのはそのことですが、そのぐらい僕らは見ているのでお気をつけください。(笑)

僕の話ですが、僕の小学校時代の話は、ここでは何度かしましたが、せっかく若い後輩がいるので是非したいと思います。僕は中学まで地域の学校で過ごしました。僕のお母さんは、親のエゴだと思われただけなのですが、今振り返るとあれが正しかったのは火を見るよりも明らかです。なぜなら、僕はみんなと違って朝から夕方まで、同じ年齢の子供と同じ授業を受けて育ちましたから、いろんなことを聴くことが出来ました。むずかしかったのは体育ぐらいで、あとはすべて一緒の教室で勉強してきたので、例えば、言葉の数だけをとれば僕のほうが知っているかもしれません。もちろん考えの深さは同じなのですが、いろんな雑学に関しては僕のほうが圧倒的にあるはずです。それは威張っているわけではなくて、それがいまの学校の現実だからです。

このあいだこの大学でも話したのですが、養護学校の先生達は一生懸命やってくださるのですが、僕達に合わせようという気持ちが過ぎてまって、僕達に合わせるあまり年齢の低い内容を教育の内容に入れてしまうので、そこからどんどん間違いが始まってしまいます。僕達は心は同じ年齢の子ども達と同じなのだから、僕達に合わせてくれるのだったら安心して、同じ年齢の子どもの話をしてくれればいいし、そのほうが絶対に先生達だって楽なはずなのです。僕は先生達が日夜苦労して毎日の授業を作っているのは知っています。ひとつの劇遊びにしても、放課後に先生達が一生懸命努力して作っているのは、普通の学校の先生よりも大変なはずです。なぜなら普通の学校には教科書があって、教科書にのっとって授業をすればいいのですから。

例えば前の日に全く教科書を見なくても朝見れば間に合うと思うのですが、養護学校の先生は前の日に準備をしていないと絶対に授業は成り立ちませんから、養護学校の先生のほうが授業の準備が大変だっていうことはよくわかっていますが、その無駄な準備をもっと簡単なものにすればいいということになるので、教科書で授業すればよかったのですが、それをみると先生方には申し訳ないので、言いにくいのですが、僕はそういうふうな目で、養護学校に行ったときには見ることが出来ました。

僕の学校の先生達はいい人と悪い人というと語弊があるのですが、いい先生とそうでない人の差は大きかったですが、授業だけは全く均質な授業を受けることが出来ました。それは教科書が同じだからです。いい先生はその教科書で面白い話をしてくれますが、悪い先生もその教科書でちゃんと話をしてくれるので、授業内容はある水準を必ず超えていましたが、養護学校の場合はこれを言うと大変申し訳ないのですが、いい先生の授業と悪い先生の授業は雲泥どころか、楽しい時間、苦痛な時間の違いになるほどなのですが、それを言うと本当に申し訳ないのですが、養護学校はもっと楽な方向に変われるというのが僕の意見ですが、まだその時代ではないので、もう一度、僕が経験してきた小学校と中学校の話に戻しますが、さっき、T.K君が言っていたように、僕の周りにもいつも子ども達でいっぱいでした。

子どもたちはぼくのことを全く言葉が分かる子としてしかとらえていなかったし、そういうふうにかかわってくれば、そいういうふうに僕も答えられたので、子どもたちは幻を見ていたわけではなくて、本当に答える僕を見ていたので、僕の言葉を信じることが出来ていました。それなのに学校の先生はなかなかそのことが理解できなかったようですが、小学校の先生は専門家でないので、けっこういい加減に僕のことを理解してくれていたのがよかったです。いい加減というのは、むずかしいことはよくわからないから、君はきっとわかっているのだろうから、僕はそういうことで授業をさせてもらうし、そうでないと君にだけ特別なことをするわけにはいかないからと言って、僕は特別な授業を受けずにすみました。もし先生がしゃかりきになって一生懸命僕の授業を考えていたら、だんだんわからなくなって、幼児的な話に戻っていってしまったのではないかと思います。それは専門家の意見ですから。

いま一瞬でしたからと言いそうになってやめたのを、先生も言い直しましたが、でしたからではなく、今もですからです。だから簡単な内容を教えられるよりはむずかしい内容を教えられるほうが、よっぽど僕達はいいのですが、そのことがなかなかわからないのが今の時代の専門家の意見だと思います。

ところで、普通の学校もいいところがじつにたくさんあるのを世の中の人は逃げていると思います。なぜならさっきT.K君が言ったように、いじめの問題は僕のまわりでは、あからさまには絶対に起こりませんでした。それは、僕がいたからでです。僕のことを馬鹿にする子供はもちろんいましたが、僕のことを馬鹿にすると、馬鹿にしたほうが必ず、俺はなんと馬鹿なことをやっているんだと反省をすることができたので、僕たちのような存在がいると、いじめは絶対になくならない代わりに、いじめはばかばかしいことというのはすぐに分かるものでした。

なのに今はいじめのばかばかしさを分かる前に、いじめる側もいじめられる側も、心がどろどろになって、抜け出せなくなるような泥沼に落ち込んでいっているのが今のいじめの実情だと思います。

世間の人はいじめたやつが悪いといってますが、いじめたやつが悪いというのは大人が子どもをいじめているだけです。おとなは何も自分が傷つかない場所から、子どもや学校の先生を責めているだけですから、あれはまさにいじめの構図そのものではないですか。いじめの構図というのは、自分が傷つかないところで相手をいじめることなので、マスコミの人たちはみんないじめているとしか僕には見えません。

学校の先生はいいと言っているわけではありませんが、いじめたやつが悪いやつではないということをもっと誰かが言わないと、あれではいじめをした子供はもはや二度とこの世の中には戻って来れないのではないですか。そういうことを大人が子供にやっているわけですから、これは大人が寄ってたかって、ある一人の子供をいじめていることになります。

いじめられた子供がかわいそうなのは当たり前のことで、いじめられた子供の問題は誰がどう考えても当たり前のことですが、いじめている子供に対するまなざしが、まるで世の中からいじめがなくならないことの象徴になっていると思うので、僕はあの報道を見るたびに胸が悪くなります。そのぐらい僕達はいじめの問題とじつは深く関わってきたので、いじめのことがよくわかります。学校の子供達のいじめはそういう意味では、僕達といっしょにいれば、必ず起こるかわりに、必ずなくなるものです。障害者のいじめは最初必ず起こるけれども、必ずそれがなくなるという性格のものなので、障害者が学校にいれば、いじめはちがった方向になるのは間違いありません。

ところで学校生活のなかで、僕が一番悲しかったのは、中学校になったころに、ついに仲間達が僕は言葉がないというふうに感じ始めたときでした。なぜかわからないけれど、大人の意見にだんだん子供が変わっていくときが中学生なんだなと思いました。小学校までは大人がなんと言っても子供たちは自分達の感性を信じて、僕達のまわりに集まってきていたのに、中学校ぐらいから集まらなくなってきて、それはひとりひとりの子ども達に恨みがあるわけではなくて、みんなが必ずといっていいほど、悲しい顔をして、僕から遠ざかっていったからです。この子には本当は気持はなかったのかということを気付いて、ああ、俺はなんと悲しいことをしていたのかというふうな感じで去っていきました。

でもそれまでは、そこそこにきちんと話しかけてくれていたので、そのことを悔いて去っていくのが分かったのでとても悲しかったです。僕はおーいと叫びたい気持でしたが、なかなか声が届かないどころか、そういうときに限ってまた関係のない言葉を言ったりするので、友だちはやっぱりという顔をして去っていきましたが、そういうふうにして僕の中学校の生活は終わりを遂げました。

中学校の次に養護学校に行ったのですが、養護学校はとても快適な場所でしたが、僕達がなにもわからないことを前提としてそれでも大事にするというスタンスだったのですが、さっきも言ったように、そこに存在を大事にする先生とただのいい人の違いが現れていたと思います。

今日は来られていませんが、このあいだここに来られたうちうみ先生は、僕の通知表を返してくださいと言ってきました。あのときに書いた通知表はあなたの本当の姿ではないから書き直すと言って、もう10年もたつ通知表をもう一回書き直して送ってくれました。そのぐらいやれる人が存在を大事にする人だなということがよくわかっているのですが、そういう先生はあまりいないので、いまもこのなかに先生がいらっしゃったら大変言いにくいのですが、今日ここに来られている先生はそういうことがわかってくださる先生で、いい先生とは別次元で存在を大切にする先生もなかなか見つからないというのが実感ですが、T.K君はまだ若いので、そういう先生をひとりでも増やせると思うので、ぜひ頑張ってほしいと思うし、せっかく行政があなたを地域の学校に入れることを決めたのなら、その方針は覆さないでほしいです。

なぜならそれは次の時代を先取りする政策なのだから、いまだめになったら次の時代は拓けなくなるだろう。せっかくそういうふうに決まったのなら、そういうふうにそれを貫いていただかないと、次の時代はそこから生まれてきませんので、T.K君に頑張れというのは酷かもしれないけれど、ぜひそこは頑張ってほしいと思いますが、まあ、それは世の中の人が決めることなので、だめになったらだめになったときでそれはかまわないのですが、そのときはまたそのことを次の時代の戦いのための武器にすればいいいと思いますが、とりあえず以上が僕の普通学校での経験です。

隣に弟がいて、弟はいまびっくりして聞いているとは思うのですが、弟もそのことでじつはそうとう苦労しました。お兄ちゃんのことでいじめられたり、お兄ちゃんことでいろいろ言われたりしたのですが、それも含めてそれを言っている方がばかばかしくなるはずのことだったので、ああいう学校時代は弟には辛かったかもしれませんけど、弟のおかげでずいぶんいじめっこにならずにすんだ子ども達はいたはずですから、そのことも弟に今言えてよかったです。弟の苦労は必ずすでにその時にいじめっこたちの幸せの一助にはなっていたので、いじめっこにならずにすんだあの頃の子供たちは一度謝りに来たほうが(笑)いいと思うぐらいなのですが、そのこだってそのことに気がついていないと思うので、それはそれで仕方ないと思いますが、そんなふうにして子どもの関係とは成り立っているというのは今の大人たちには決して分からないのではないかと思います。以上です。少し話しすぎてしまって申し訳ありません。

J.O君
さすがT.O先輩ですね。今日はT.O先輩がいるから安心して最後の締めは任せようとおもっていたのですが、まだまだ時間はあるのかと思っていましたが、S.M君のことが今手があがったのでぜひお願いします。

S.M君のお母さん?
私が聞きとったものを発表したあとに先生に補足してほしいそうです。

経験が幼稚だからしかたないけど、おとなの冷静さで物事を見ています。だけどやっぱり良くも悪くも社会にもまれないと成長できないかな。居住地交流してたから、普通の小中学校に行ってたけど、学童でもまれた経験が一番よかった。

キャンプで二泊三日、普通の子と寝て食べて、いろいろありましたけど、車椅子で肝試ししたりおみこしみたいに車椅子持って川に行って、動くの大変なこと分かってもらえたし、お弁当隠されて、児童館に遊びに来たみんなが探してくれたり、いい子ばっかりじゃない経験が、今から思えば、世の中のしらけたところがわかってよかったし、大人になってみんながわかってくれたらそれでいいかな。

続きを先生、すいません。

柴田先生:居住地交流がんばったの?

S.M君
そうです。僕は居住地交流でがんばって、健常児とつき合って、健常児のよさとばかばかしさを両方知っているので、今の話はとても参考になりましたし、くやしいのは、僕もやっぱり普通学級に行けばよかったなということですが、それは言ってもしかたないので、T.Oさんのお母さんはすごかったですね。うちのお母さんも相当たたかれているほうのお母さんですが、T.Oさんのお母さんもそこのとではいろいろ言われたと思うのですが、僕は今の話を聞いていて、いじめについてとてもよくわかりました。

いじめのニュースを聞いていて、何が一番むかつくかというと、自分が傷つかない大人がえらそうな顔をするところだったので、さっきのT.Oさんの話がとても納得がいきました。先生もなぜかT.K君がそのことを言うと思ったのか面白かったです。なぜ思ったのかわからないけれど、障害のある子どもの存在で、いじめの問題が関わっているということに先生も気づいているからだと思いましたが、僕はあまりそのことに今日ここに来るまでは気づいていませんでしたが、自分の経験を振り返ったら、さっきの弁当の話とか出てきました。僕の弁当を隠した少年はすぐにばれて、あとでさんざんな目に合いましたが、そのことを彼は僕だから反省できたみたいです。僕でなければあとでまたぐずぐず言って、その子をいじめに行ったかもしれないのですが、僕みたいな少年をいじめるばかばかしさというか、愚かさがわかったので、その子は自分を成長させることができたのだということがよくそのときもわかったので、僕はそういうことが起こるのなら、やっぱり僕達は普通学校に行くべきだと思いました。

最近僕らの仲間のひとりが普通学校でいろいろがんばっているのですが、お母さんもめげそうになるのですが、今日のような話をまた聞かせてあげたいと思います。僕達はお荷物なのではなくて、僕たちのおかげでクラスが成り立っているというふうに言える時代はもうすぐそこなのかもしれません。なぜなら今のT.Oさんの意見はすでにそういう経験をしてきた人の意見だからです。そのぐらい僕たちの存在は学校や社会のお荷物ではなくて、本当のことを考えるための役割を負った存在なのではないでしょうか。

たぶん先生は今同じことを思い浮かべましたね。(なんでそういうことがわかるのかな?)先生と話をしていると、一瞬でも同じことを考えたときに伝わるのがあるからです。いまたぶん同じことを考えたのは、亡くなったうすだひかる君という少年のことです。彼はとてもいい養護学校を出ました。その学校は愛育養護学校という小学校で、小学部しかないので、中学部から僕らの学校に来ましたが、彼の学校は彼の存在を大事にするうえで、さらにその学校の中でも一番えらい先生が彼に、毎日かどうかは知りませんが、彼に向かって聖書を読み続けていたというのです。その話には僕も驚きましたが、一番驚いたのは柴田先生でしたね。そんな人が世の中にいるのかと先生は驚いていましたが、それは間違いのないことで、その学校は存在を大事にすることでは有名だったみたいですが、まさか存在だけではなくて、その子どもの認識に対してもきちんと働きかけていたというは僕も驚きでした。その子はそのおかげで、すごい言葉をたくさん残して亡くなっていきました。僕達と違うのはその子が哲学的な話を大人に何度もしてきたことです。僕達はまだ自分ひとりで考えるしか出来ないのですが、その子はひとりではなく大人とともに愛とか苦悩とかあきらめの意味について考えていて、そのことを立派な本にして残していきました。

最近その本が出版されたので、先生もきっと印象に残っているのでしょうが、その本のことを僕も思い浮かべていたので、先生と話が同じところに向いたのがわかったと思います。その本はまだ本屋では買える本ではないのですが、必ず本屋に並ぶようにしなければいけないと僕は思っています。僕たちの仲間が命がけでのこした言葉ですから、その言葉を残さなくてはいけないし、僕たちの仲間ですでに亡くなった子もいるので、そういう子ども達の言葉も命がけで残さなくてはいけないと思います。先生の本の中にはふたり亡くなった子どもの言葉が入っている、いえ、三人でしたか。そういう亡くなった子ども達の言葉を僕達もきちんと伝えていく役割があることを思い出して、付け加えました。その子どもの名前をもう一度言いますが、うすだひかる君といいます。どっかで必ずいつか本になると思うので、みなさん覚えておいてください。もう手に入るらしいのですが、僕は詳しいことはわからないのですが、まだ愛育養護でしか手に入らないそうなのですが、愛育養護でそのうち売り切れたらきっと本屋に並ぶと思うので、みんなで買ってあげてください。(愛育養護でそう言う人が・・・とにかく売ってしまわないとその先にすすめないから)そうですか。愛育養護の人にあったのですね。そういうふうにして僕たちも亡くなった人の分まで僕たちは頑張らなくてはいけないので、そのことも思い出しました。

少し話がそれましたが、愛育養護のような場所があるので、養護学校がすべて悪いとは言えないというのは僕もわかっていますが、愛育養護のような話はほかで聞いたことがないので、愛育養護のような学校が出来た時初めて、普通学校がいいのか、養護学校がいいのかの議論が成り立つと思います。今のままでは養護学校は、本当の養護学校になっていないので、比較することができないのではないでしょうか。養護学校に反対の人は今の養護学校を見れば批判することだらけなので、養護学校否定論者にとっては今は批判し放題だと思いますが、本当の養護学校があれば、もっと慎重にどっちがいいのかという話になると思いますが、養護学校を養護する人たちは、もはや内容では養護できないので、最近一番使われる言葉はさっきの医療的なケアができるのは養護学校だけですという話になって、教育の内容ではなくて、背後の内容で養護学校の存在意義を言い始めたので、養護学校を支持する側も情けないなと思っていますが、先生は確か養護学校を支持する側のほうなのですが、困ってませんか。(相当困ってます。)そうですね。養護学校を支持しようにも今のままだと養護学校は批判され尽くしてしまうしかないという感じです。

ところで養護学校よりも中学がいいかどうかは別にして、やはり僕は普通の学校で普通の学校の生徒ともっと議論をしたかったです。なぜなら同じ地域で、このあと生きていく少年たちと幼児期に会っていなくて、卒業してから初めて顔を合わせるようでは、もはやお互いに共通の経験がないわけですから、よそよそしさから抜け出せないと思うのですが、もし幼い時に同じ地域で会っていたら、同じ体験をもとにまた社会で再会できたかもしれないのですが、そのへんはまだまだこれから先の話でしょうが、少なくともT.Oさんは確か前にも聞きましたが、地域を歩けば必ず昔の友達が声をかけてくれると言っていたので、そういう社会の方が望ましいのは間違いないと思います。そのうえでやはり養護学校が必要なら、そういう養護学校の意義を問うべきだろうと思うので、医療的ケアなど関係ないと思います。医療的ケアは家でできることなのだから、普通の学校でできないはずがないのは火を見るよりも明らかなので、養護学校を医療ケアだけを存在意義にするというのは、養護学校の自殺行為だということを(先生苦笑)いつか先生どこかで言ってください。養護学校の存在意義は教育内容でしかないはずですから、養護学校の先生は教育の内容で、養護学校でしかこの子達を大切にできる場はないと言うべきだと思います。

その証拠としてさっき、H.U君という人がいたわけです。H.U君は愛育養護に行かなければ詩集を残すことはできませんでした。養護学校ではあの詩集を作ることは不可能だったどころか、普通学校に行っていたら、あの詩は残せなかったでしょう。だからどっちがいいという議論は、一回しかない人間の人生では虚しいものなのですが、それはそれとしてやはりどちらがいいかは大事な問題だと思うので、そのこともいつか話せたらと思いますが、今日はだいぶ時間が過ぎていると思うのですが、今日はひとりひとりの話が長いのは、きっとみんなこの通訳に慣れてきたからだと思います。先生は最初はもっとゆっくりとためらいがちでしたが、最近はためらわずにすごい勢いでしゃべるので、僕らも当たり前のように言いたいことを言っているのですが、このやり方を信じられない人もいると思うのですが、信じられないのは仕方ないのですが、僕たちはこのやり方を信じられないからといって、前のやり方に戻されると僕たちの言いたいことを言えなくなってしまうので、信じられない問題は、また先生とやってくれればいいと思います。僕たちは僕たちの会なので、僕たちのやり方で勝手にやるので、疑わしいことは全部先生にお任せします。僕らはそのことについては知りません。(先生苦笑 笑)あとは先生と勝手にやってくださいという感じで、方法について今日はあまり言わないことにしておきたいと思います。

H.Sくんが何かあるのでしょうか。(あります)

J.O君いいですか。

J.O君
H.S君がやっと意見を言う気になったのか。どんどん言えよ。(笑)

H.S君
わかりました。言いたいことはひとつだけです。僕も普通学校に行きたかったということです。去年ではなくて、このあいだ、この大学のこの隣の部屋で授業に参加して僕は、特別支援教育を受けた側の人間として証言をしました。そこで一番言いたかったのは、僕も普通の学校に行きたかったということです。

それからもうひとつ言いたかったのは、ともに社会を作っていきましょうというメッセージです。これはT.Oさんも言ったので、同じだなと思ったのですが、ともに生きていきましょうという言葉を実際に行うためには、ともに同じ場所にいないと始まりませんから、ともに生きていきましょうという言葉を実現するためには、何らかの形で同じ場所に僕たちと健常児がいなければいけないということで、そのことを言いたかったので今言いました。

それから、これも今先生と考えがあったのがわかったのですが、このことだったのですね。今考えがあったのは、このあいだ、ひがしだなおこさんとシンポジウムをやったときに、最後の最後に、ひがしだなおこさんがまとめた言葉がこれだったからです。僕も内容的にはあのぐらいひがしださんが言うというのは当たり前と思ったのですが、あのタイミングでみごとに締めるひとことが、ともに生きる社会を作っていきましょうだったので、本当にすごいなと思いました。

僕もいざとなったら言えたのでうれしかったですが、あのタイミングで、あの場所で最後のひとことで、やっぱり僕たちが一番言いたいことは、ともに生きる社会を作ろうということだなと思いましたので、共に生きる社会を作るという面からすると、いまの隔離的な養護学校制度はどこか問題があると思います。仮に養護学校がいいとしても、もう少し養護学校の壁を低くしたり、養護学校と養護学校の・・・間違いました。養護学校と普通学校のあいだを行き来できるようにしないと、共にいきる社会は永遠に来ないどころか、この間の授業でも言いましたが、今の学校制度では、共に生きる社会ではなくて、少しでも違う子どもは、違う学校に行きましょうの世の中になってしまったので、今の特別支援教育は大いに間違っているというのが先生の授業でしたが、今の特別支援教育のなかでは、共に生きる社会を作りましょうどころではなくて、少しでも違う人はどうぞあちらの学校に行ってくださいの世界になったので、おかしいと思います。

以上で言いたいことは終わります。言いたいことが言えてすっとしたので、これで今日は安心して帰れます。ありがとう、J.O君。

柴田:あ、もう少しふざけてたので、ふざけ方が足りない通訳でしたと言っています。(笑)

J.O君
そうですね。言いたいことは言い尽くしましたかといったときに、また僕は視線であそこにいる、D.S君が見つかりました。D.S君なにか言いたいことがあるはずですが、もういちど最後は今日は、S.Tさんで行きたいと思いますがいいですよね。その前にもう一度見渡して、あ、新潟の人に聞いて、D.S君に行って、S.Tさんで終わるといいでしょうか。僕の意見はあとお母さんが言うのでお母さんが言ってください。

M.W君
そうですか。僕も言わせていただけるなら言わせていただこうとと思います。僕はいま特別支援学校に通っているわけですが、今日のような話を聞くとは思いませんでした。

僕は普通の学校には行きたいけど、絶対に行けないと思っていたのに、まさか普通の学校に行っていたり、普通の学校の特殊学級に行けていたなんて信じられませんが、さすが東京は違いますね。東松山は埼玉だと思いますが、関東はやはり進んでいますね。僕らのほうでは地域の学校に行くなんて夢のまた夢です。

地域の学校に行っている障害児というのは、とても軽度の障害児で、僕たちのような存在は最初から相手にもされないかもしれないし、お母さんもそんなことはもはや無理だと思っていたに違いないと思います。うちのお母さんもその夢があったのを知っていますが、それはあまりにも難しいことと思っていましたが、そのことを聞いて、もう僕はそれぐらい頑張らなくてもいいと、さっきS.M先輩が人の人生は一回きりだからどっちという話は少し違うこともわかっていて、養護学校に行かなかったからといって、別に自分の人生が間違っていたとは思わないし、養護学校でよかったと思いますが、いろんな可能性を探るべきだというのはその通りだと思いますし、そのことを踏まえてこれからは議論すべきだというのもその通りだと思います。

それはこれから生きていくT.K君たちのために必要なことですが、これからもすぐそこに社会が待っている僕は特別に学校のことは気になりませんが、今日一番ショックを受けたというか、衝撃を受けたのは、S.Tさんという方がすでに自立生活をしてるということです。そういうことが起こりうるというのは、僕はずっと死んでからあとぐらい先の話だと思っていましたが、目の前にそういう人がいるのを聞いて、これはもう少しの辛抱だなという気がしています。

別に親から離れたいわけでもなんでもないのですが、いつか僕も親から独立したいだけです。仮に親の家にいて、暮らし続けたとしても、例えば、朝から夜まで僕が施設に通い、お母さんが好きなことをするとか、そういうふうにお母さんと僕の生活が分かれて、そういうふうに成り立つ社会が本当に必要だと思います。今はお母さんの人生は僕に塗りつぶされていて、お母さんの幸せは、僕の幸せしかなくなってしまっている。お母さんはお母さんで、お母さんの幸せを追求するべきだと思いますが、そのことはお母さんに言っても無理だと思います。お母さんは僕ともはや一体なので、お母さんの幸せは僕が幸せになることによってしか得られないと僕も荷が重いのですが、お母さんのためにも僕は頑張ろうと思っていますが、お母さんにとって僕は、お母さんの幸せになるための道具でもないのですが、お母さんはお母さんの幸せのためにも僕も頑張っているということで、頑張ってくれればいいと思っています。

僕のお母さんは、朝早くから車を運転してこんなとこまで来るくらいパワフルなお母さんなのですが、本当はお母さんもひとりの弱い女性であるのを知っているのも僕ですが、お母さんはひとりでいつもは悩んでいますので、こんなふうにたくさんの人と話ができると、お母さんもきっとすっきりしたのではないかと思います。お母さん達の話し合いでないことが今日はとても面白いです。普通僕たちがあつまった会は、だいたいお母さん達の会になるので、(笑)深く話してばかりいたのですが、今日はお母さんたちは何も話さないでいるので、これでいいのかと逆に心配になりますが、これでいいのですね。お母さんたちは何も言えなくてきっとストレスがたまると思うのですが(笑)今日はあきらめてください。(だって笑うしかないですね。たしかに)

僕はあまり冗談は好きではないのですが、こんな会話でみんなが笑ってくれるのは不思議な気がします。このぐらい今日は気持ちがリラックスできていてうれしいのですが、本当に今日は初めて会った先生が僕の気持ちをすらすらと言葉に通訳しているので不思議な気持ちです。さっきから話を聞いていても僕には、どこがどうやって伝わっているのかよくわからないのですが、確かに僕は先生に向かってあかさたなを言っているのは僕だという気持ちを返しているし、いまみたいなときはそのとおりという気持ちを返しているだけなのに、なんで伝わるのかとても不思議なのですが、手をさわっているところから伝わっているのは明らかなのですが、そんなに人間って伝わるものなのか、もっともっと可能性が広がるということですね。

先生のやり方もあるし、手に書くやり方もあるし、ポインティングのやり方もあると聞いたので、もっともっと世の中が変わっていくのだなということが分かりました。今のは間違いのまま先生が訳しました。世の中は変わっていくをがと訳しました。そんなふうにうまく伝わるのがわかったし、今日はみなさんの意見を聞いて僕がひとりで密かに考えていたことが、こんなにあからさまに、おおっぴろげにはなされたので、僕もとても嬉しいです。

僕たちは言葉は通じあえなくても、みんな気持ちが通じ合っていると思っていましたが、やはりみんな同じことを考えていたのですね。僕たちは言葉がない代わりに目でお互いの気持ちをいつも伝え合っていたのですが、今日は盲学校のお友達もいるので申し訳ないのですが、僕たちは目で言葉を通じ合わせたので、だいたい気持ちは同じだと思っているのですが、これだけみんなと話をしてみたら、おんなじことを考えていたので、今までの僕も気持ちの伝え合いは間違っていなかったのだとわかりました。

本当に今日はありがとうございました。初めての僕にも話をさせてもらえたし、いろいろとこれまで考えてきても解けなかったことも解けてきたし、新しい問題も見えてきたし、お母さんとまたいろいろ話せそうだし、こんなにいい会に出れてよかったです。お母さんはほんとうに今日頑張って来たので、お母さんに感謝の言葉はあとで言えないので、いま言っておきたいと思います。

お母さんの運転がなければここまで来れなかったし、先生のこころよいご招待がなければここに来れなかったし、もしかしたら先生は来る人は拒まないと普段言っているのでしょうね。そうでないとこんなにたくさんの人が一緒に来れるはずもないので、みんな来ていいという会だったらいつかこの部屋があふれるほどになったらいいですね。そのときはひとり一分もしゃべれなくなっても、そんなふうになってもいいなと思いました。

僕みたいにお母さんが運転できれば来れる人というのはむしろ希なはずで、僕みたいな遠くに住んでいる子供たちも世の中にたくさんいるので、本当にこういう会が地元で開かれるのが僕の夢になりました。これから僕も新潟でできることを考えたいと思うのですが、みなさんとまたお話ができればと思います。よろしくお願いします。今日は二回も話させていただいてありがとうございました。僕にとって生まれて初めての言葉はみなさんとの会話だったということは記念すべきことになりました。きっとこんな経験をしたのは僕だけかもしれません。最初出会った会がこの会だったというのは、みなさん最初に柴田先生と話してから、そのあとで会を開くのかもしれませんが、今度新しく出会う人たちはこの場が最初の出会いになるのかもしれないので、本当に新しい自分を確立させられて嬉しかったです。今日は本当にありがとうございました。

僕は話をする習慣がなかったし、こんなに広い場で意見をしたこともないのに、こんなにいろいろ言えてとても嬉しかったです。ありがとうございました。それではこれで終わります。ありがとうございました。

D.S君(松田さんがスイッチを使って聞き取りした内容)
わかってもらえる方法が見つかると、いままでそっちで話したことと関係ないんですけども、わかってもらえる方法が見つかると、願いがかないそうで、希望が持てています。手を使うやり方のほうが、~使えたのでので、手を使うやり方のほうがわかりやすいですね。さっきから体が語って 事情はよくわかりません。歌を歌うのが好きですが、それもうまくいきません。僕もみんなと同じようにうまく歌いたいのですけど。好きな歌は上をむいて歩こうです。見たとおり歌いやすいので津波の被害にあった人たちが歌うように勇気を持って歌ったり生きていきたいと思います。もう疲れました。

(柴田先生が通訳)
ありがとうございました。今のはここで少し聞いてもらったのですが、心配なさらなくてけっこうです。両方の話を聞けていますから。そのぐらい僕達は耳がきちっとしていますので、さっきJ.O君が両方の話を話し分けられていることがよくわかりました。僕達はたくさんの話が聞こえてきても整理できるくらいいつも耳をすましていますので、大丈夫ですが、今日はとてもいい話合いに参加できてうれしかったです。このあいだ来たときもとても感激しましたが、また今日はあらためて違う自分に~られます。

このあいだ話したことで変わったことというのは、もう人を叩くのはやめようと思いました。このあいだ人を叩く手段でしか自分を伝えられなくなったので、最後の手段として・・・最終手段として僕は人を叩いていると言いましたが、あれもばかばかしくなったのでやめましたが、そうするとまた突然人はどうして叩かなくなったのと(笑)いろいろ言い出したので(笑)おかしかったですが、そんな簡単に人は叩いたり、叩かなくなったりしません。僕はある決意を持って叩き始めたし、ある決意を持って叩くのをやめたので、そのへんを伝えられなかったのでくやしかったですが、突然叩かなくなったのでみんな驚いていましたが、それは僕がそういうふうに考えを変えたからです。

なぜ変えたかというとせっかく言葉があるなら言葉を伝えるやり方をもう一度探ろうと思いました。しかも柴田先生にあったとき、それを希望に持ったのですが、それがほとんど無理だということがわかってあきらめていたのですが、さすがに今日のこの会に前回参加したときに、僕もあきらめていてはいけないと思いました。なぜなら、柴田先生の通訳が速くなってきたし、ほかに通訳が出来る人が山ほどいるので、僕の周りにもそういう人が必ずいるはずなので、見つけなくてはと思いました。このやり方は、柴田先生のやり方はけっこうむずかしいのでしょうが、例えばいま隣にいる松田さんはスイッチですらすら聞いてくれましたし、柴田先生以外の人もちゃんと通訳していたので、柴田先生のこのやり方だけは、まだまだむずかしいのかもしれませんが、それは速さのことだけです。速さはむずかしいのかもしれませんが、すでに通訳の方法は複数の人ができているのだから、疑う人が出てきたら、みんなでそのことを言えば多数決で勝てるのではないでしょうか。(笑)

僕たちの手段をできる人は複数いるのだから、それをひとりの言葉だとかいうのはもはや言っている人のほうが支離滅裂なのではないでしょうか。先生がまだ言われているとしたら、先生はみんなを連れてそこに行けばいいことだと思いますが、いかがでしょうか。

それはまあいいとして、僕の周りに通訳できる人を早く増やさなければなりません。そうすればもはや僕は言葉のない青年ではなくなりますから。言葉のある青年として、いつかきちんと世の中にものを言いたいと思っていたので、今日もまた勇気が出たので、今度も目標は誰が通訳になれるかという人を探すことです。すぐになれなくてもいいけど、こいつはというやつを(笑)めぼしをつけておけばいいと思いました。いまのはそのとおりです。「やつ」というのは僕は嫌いではありませんから。そういうやつを見つけておいて、いつかこの会に騙して連れてきて(笑)その人をその気にすればいいなと思いました。

僕は少し言葉が乱暴ですが、それは僕がけっこう乱暴な言葉を使うからです。でもそれは気持が乱暴だからではなくて、体育会系(笑)ということです。今日は体育会系の人はあまりいないかもしれませんが、僕はそちらのほうが好きなので、そういうやつという言い方をしましたが、僕の言いたいことはだいたい尽きましたが、今度は確かに誰かを連れてくるのを僕の目標にしたいというふうに思っていますが、なんとかならないかなと今一生懸命いろんな人の顔を思い浮かべていますが、残念ながらまだ出てきません。でもそのなかにきっといると思うので、いい人をさがして、さっきの存在を大事に出来る人というをキーワードにして、そういう人がどの人なのかを見つけ出したいと思います。以上です。

今日は、来れてとてもうれしかったですし、最近は先生のことをいろいろ言う人がいっぱいいるのは知っていますが、そのことではなくて、先生のことを知っている人が増えたのがよかったです。先生のことをいろいろ言う人というのは、~学校時代先生のことをいろいろあったのをお母さんは黙っていました。先生はうすうす感づいていましたね。だから先生との関係がうまくいかなくなっていきましたが、学校では先生の考えは完全に否定されていたので、お母さん方もそれ以上、先生に近づくことができなくなっていたので、僕達の関係は絶えてしまいましたが、学校の先生達にこういう場所を見せてあげたいと思います。

あのとき僕の学校の子どもたちはせっかく言葉を得たのに、先生達のおかげで完全に道を絶たれてしまって、今また暗闇の中で生きているので、あのことは僕は永遠に忘れるつもりはありません。うらみではないけれど、あのくやしい感情はいつか必ず言葉で表現したいと思いますし、先生がそのことでそうとうに苦しんでいたりくやしがっていたのを僕は知っています。ふたりで話したことがありません。でもそれは残念ながら今はなんともなりませんが、こういう会があるのだからもっと違うやり方で迫っていけばいいと思います。今日はありがとうございました。

特にこの会に連れてきてくれたS.M君ありがとうございます。今日はまた僕は新しい自分を発見できたのでとてもよかったです。僕達はやはりひとりで悶々としていると、新しい自分を見つけられないかもしれないので、新しい自分を見つけるためにもこういう会でみんなと語り合うことがとても大事なのだと思いました。今日はとてもありがとうございました。

(とてもありがとうございますは、ちょっと変だね)

とてもいい感じに参加させていただいてありがとうございました。本当にうれしかったです。今日はまた新しい自分をかかえて帰りたいと思います。ありがとうございます。

(じゃ、J.O君、そのまま)

F.Cさん
私の声は関係ないので無視して聞いてください。今これは興奮した声です。私の声は興奮したときに出るのでお許しください。今日、とてもいい会に参加できてうれしかったんですが、私が一番言いたいのは、私達のような障害のある子どもをもっと世の中は受け入れてほしいということですが、さっきの存在を大事にしてほしいというのが一番納得できた
答えだったので、これからは存在を大事にしてほしいということを思い続けていきたいと思います。いい人はたくさんいてもなかなか私達の言葉を信じてくれないのが、説明がなかなか難しかったのですが、私達の存在を大切にしてくれる人たちが、私達の言葉を素直に聞いてくれるということがわかったので、そういうことを大切にしていきたいと思いました。

今日は私はたくさん話をするつもりはなかったですが、一度話したかったので当ててもらいました。特に普通の学校に行きたかったという気持ちは私は強かったので、私は残念ながらもう無理なのであきらめていますが、普通の学校には行きたかったです。なぜならいろんな人とふれあいたかったからです。今私の家に国学院の学生が来ていますが、それだけでもとてもうれしいです。

なぜなら、先生と話をしているのではできない女の子どうしの会話ができるからです。(!)年齢はだいぶ違うのですが、まだ学生ですから、ふたりで女の子どうしの会話ができるのでとてもうれしいです。そういう会話をした経験すらない私達に、さっきの私達のまわりに子どもたちの輪が出来て話しかけてくれたというのは、うらやましいかぎりでした。私も自分の周りに輪が出来る日を待ち望んでいます。この大学に来た時は、けっこうまわりにたくさん近寄ってくるので、その時間はとても楽しかったです。

今日はあまり学生がいないので、さっき先生が話しているのを聞くと、先生は学生に来ることを強制しないからだそうですが、学生達は土曜日は遊びに行っているのでしょうから。でも本当はこういうところに来て勉強したほうがいいのに。(笑)学生達と違う日に私は会ってもらえたのでよかったです。

いろいろ面白い子たちがいたので、その場はそういう子たちといろいろ話したいと思ったし、皆さんもまた別の機会に学生達と出会う機会を作るのもいいですね。学生達は私達にとっては、普通の学校で出会えなかった仲間に会うようなものなので、そういう意味でまた若者と付き合う時間を作ってたらいいのではないかというのが、今日私が考えたことでした。だから、あえて手を挙げさせてもらいました。それでは私の意見は終わります。

こうやって声が出ると普通は、心配して続けないのに、こうやって柴田先生は残酷に続けるように見えるかもしれませんが、それは私の声が勝手に出ているということを知っているからです。

それにしても今日は、たくさんの人の前で私も気持ちが高ぶって、しゃべれないかと思ったのですが、しゃべれてよかったです。今日はみなさんとても一生懸命聞いてもらってありがとうございました。私達にとっては理解してくれる人がひとりでも増えることが、世の中が変わっていくことなので、こうして大勢の人に聞いてもらえてよかったです。私達ももう少しきちんと世の中の人に気持ちを伝えていこうと思うのでよろしくお願いします。以上です。

S.Tさん
私がまとめるのは失礼かもしれませんけど、歳が上なのでしかたないとして諦めてしゃべらせていただけますか。私にとって、こういう会ができたことは、とてもうれしかったことです。それは私がひとりでずっと自立生活していることを誰にも知られなかったし、そのことの意義を感じてくれる人が周りには出てこなかったけれど、こんなふうに私ががんばってきたことを評価する仲間が現れたということは、私の人生がとても間違っていないことの証明になったからとてもうれしかったです。いま先生は語尾の部分で迷っていますね。語尾を女の言葉しようかどうか迷っています。それは私が決めることなので安心してください。(笑)(迷ってるわけじゃない。)そうですね。来るかどうか迷ってたんですね。そうですね。決めるわけじゃないのでしょうが、迷っているのがよく伝わってきました。

ところで、このあいだ私達の仲間のI.Sさんが、女の言葉でしゃべったとき先生が、少し女っぽい声を出したのがおかしかったから、少しやってみますか。(笑)そうですか。あえて言うとできませんね。さっきひっかかったとこでやめておきますか。それではこのまま続けます。

先生というよりは柴田さんが、私のお母さんと話をして楽しそうにしているのがわかりましたから、こんなふうにみんなと楽しそうに会話出来る会ができてよかったです。私のお母さんは~思っていますが、今日のお母さん方を見ていると、我慢していられるので、~だと思います。母も我慢できると思いました。

私にとって、私の10年間の自立生活をこうして受け止めてくれる仲間に出会えたことがみなさんと出会えたことの

最大のお手柄でした・・・(違うかな)あってるけど私が間違いました。私にとって最高のプレゼントになりました。私の自由生活はこのまま誰も評価しないまま過ぎていくのかと思っていたのですが、このことが評価されて、いつか私の通った道のあとを誰かが歩くのかと思うと、明日からの自分の自立生活がまた豊かなものになってきます。私一人でこの道は消えてしまって、またあとに森が残るのかと思うと、とても辛かったのですが、私が切り拓いたあとに道が出来て、またそこを誰かが歩くのかと思うと、とても心が熱くなります。そんなふうにして人と人はつながっていくと思っていたので、私は私の前を歩いてきた人たちに感謝しましたが、私の前を歩いた人たちは、曲がりなりにも言葉が使える人たちでしたが、私が最後に言葉のない人間としてその後をついていったのですが、それで道が閉ざされるかと思っていたのですが、こうしてなんとか後輩につなぐことが出来て、私はとても満足しています。これは自立生活ができる、できないという問題ではなくて、自立生活ができるという可能性があるという問題です。可能性さえあれば、あとはいつか誰かがやれる条件がそろえばやるだけのことです。可能性さえなければ、やりたい人もできないので、ともかく可能性があるということを私が示したのを、可能性として受け継いでくれれば十分です。できるかできないかはその人の家の条件によって決まるので、できなくてもいいし、できてもいいのですが、その可能性を受け止めてくれればうれしいです。

来月12日にH.Sさんたちのグループで私が話をすることになっていますが、テーマはこの話です。私もそのときに向けて、もっと細かなところまで思い出して何が大変だったか、何が苦しかったかをまとめてていきたいと思いますが、なんとかしてこの可能性を伝えられたらと思っています。そのことができてとてもうれしかったです。

それから後輩達は私よりも先に柴田さんに会ってよかったですね。私は青年期は、言葉のない人間として過ごしましたので、今私は青年期から次の時期にさしかかろうとしていますが、青年期に会えていたら、もう少し違うことが出来ていただろうと思っています。

特に私は恋愛については、もう遅いと思っているので、柴田さん笑わないでください。恋愛についてはもう遅いと思っているので、そのことは残念ですが、これから若い人たちは恋愛のことは大事にしてください。恋についてもいろいろ言われていますが、私は恋愛についても当たり前にできるのは、私達の人生だと思っているので、それもきちんとみなさん可能性として考えておいてください。可能性ですから失恋していいわけです。でも失恋する可能性さえ閉ざされているのが私達の人生ですから、失恋できたときにみんなでお祝いの杯を挙げましょう。失恋できたということは、恋をしたということだし、失恋したということは、恋を表現できたいということなので、失恋ができたときが最高の私達のお祝いの日だと思います。

うまくいった人は相手にしないでけっこうです。(笑)

私達はうまくいった人は、後ろであいつうまくやりやがってと(笑)言えばいいと思うので、失恋したときは、みんなで杯を挙げましょう。それはお祝いの杯です。ついに私達は当たり前に恋をしたぞということなので、まだ小さい人にはわかりにくいかもしれませんが、これはけっこう今日来ている人たちのおおぜいに役に立つ話なので、ぜひ恋をしましょう。私はそのことでちょっと辛い思い出があるのですが、それは今度話すかどうかはゆっくり考えます。

ところで今日はこんなにたくさんの人がいらっしゃったので、本当は感想をうかがわなきゃいけないところですが、私達は、私達の会であることをはっきりと宣言してやっているので、大変申し訳ありませんが、私達の会の段階で一回会は閉じさせていただいたほうがいいとたぶんJ.O君は思っていると思うので、このあとまだ時間があるので、いろいろ話が展開するならいいのですが、きんこんの会はこれで終わったほうがいいと思います。それでいいのではないでしょうか。

最後にお母さんがJ.O君と司会をしたらどうなるのか聞きたいので、どうぞお母さんにお渡しします。

J.O
僕はいままでみんなが言ってきた言葉のたびに茶々を入れていました。書いてもらっています。読んでもいいですか。

僕の話よろしくお願いします。恩師が来てくれました。

新潟県って遠いところですか。なぜここに来たの。僕らのことをどうやって知ったの。

(S.K君がしゃべっているときに、)

かわさき先生がいてびっくりしています。
だってさ、僕の横にいるんだよ。すげえうれしいです。

みんなに聞きたいことがあります。みんなはここにきて何をしたいですか。
僕はこんなにたくさんの人がいてびっくりですが、せっかくこんなに集まったのだから一テーマを決めて話しませんか。僕は信じる人と信じない人の違いを考えていきたいです。

あのね、みんなはどうして素敵な文章が書けるの。

みんな知らないじゃんかよ。
新潟ってどこか説明してもらおうよ。

かわさき先生、先生になっちゃったね。

たくさんの人がいるから、みんなの熱い思いとで心熱いです。
けちらないで冷房を入れてくれよ(笑)

H.S、いつもの調子で言ってんじゃねえよ。(笑)

さあ、飲みに行こうよ。先生も行こうよ。ビールの泡で僕はいいですよ。

あのさ、S.M君がなぜもっと話さないのさ。

かわさき先生ボードちょっとやってみよう。

ねえ手をつないで、僕もっと話したいよ。(かわさき先生に話してたことです。)

話してるじゃんよ。でも話せれば僕達はそれでよしとしなくてはならない現実があります。

先生、僕は途中で言っている言葉を読んでもいいですか。

たくさんの意見を聞かないと、僕もみんなが言っている間にたくさんのことを言っていますよ。読んでもいいですか。

S.Tさんは、ひとりで暮らしてさみしくないんですか。

(T.O君の言葉に対して)違うよ。イタリアでは養護学校さえない国です。

地域の学校で学べるシステムがあるのに、これを勉強しようともしない教育現場が悪い。
(これは養護学校の先生方に言った言葉です。)

(柴田先生:今の政府に言うしかないね)

みんな事実を知ったほうがいいです。ここには学校の先生は一度イタリアの教育について調べてみることをおすすめします。

(今度はいじめの問題で)(柴田先生:あんなことを横で書いてたんだ)
いじめがあるから僕はまた~。同じだから比べられるのさ。そこから少しの違いを見つけて仲間はずれにすることにより、自己の防衛をして守りの態勢を作るためにいじめがはびこるのだと思うから、僕らなんかはしょうがないさ。(いじめの相手にもされない)

かわさき先生のクラスにもいじめがあるの。

(かわさき先生の学校でアンケートを取ったら、クラスでも出てきたが、子供達はいじめと感じていたが、よく聞いてみると意見のすれ違いだとういうことがわかったetc.)

距離感が大事ですか。

相手によって違うということを先生と話をしてて、そうして(距離感を勉強しながら)僕らは大人になるよということで

知らねえな。僕はかなりネガティブな部分があるぜ。(J.O君とお母さんがいい加減に明るいということに対して)

僕はたくさんの人の意見を聞きましたが、みんないい人、悪い人がいて、その人と関わり方によって、僕らは勉強できるか、できなかったり、実に過激だったと思います。

T.O君すげえ。すげえところを指摘したね。僕も心配だったです。(T.O君がいじめた方を心配だと言ったことに対して)名前でなくても、この先地域では生きられないのではないかと心配でした。

快適かよ。完璧な時なんてほんの数時間でした。6年間のあいだにほんの数時間だよ。(これは養護学校のことに対してです。)

イタリアのことを話してえよ、先生。(笑)

H.S、やっと意見を言う気になったか。どんどん言えよ。

どうやったら地域の学校にいけるのか、そこ(イタリア)にヒントがあるよ。

みんなが言いたいことを言い尽くしましたか。僕は司会者だから、僕の意見を言う機会がなかった。僕はひとりなってくるんです。僕は意見を言えてないもん。

もう終わりかな。僕の言葉がなくて終わりますが、かわさき先生、司会者ってつらいね。僕はしゃべり好きなのでしょうか。

(S.Tさんがひとりで生活していることに対して、自分が医療ケアが必要なんだけども)医ケアはどうなのさ。僕は医ケアがあるけど、自立できますか。

僕はみんなが言ってきた言葉のたびにに茶々を入れました。書いてもらっていますが読んでもらってもいいですか。

以上僕は勝手なことを言いながら司会をしていましたので、みんな驚いたことでしょう。(笑)僕達は平気でこのぐらい使い分けられるので、べつに僕がみんなの意見を聞いていなかったわけではありません。特に声を出さないということはこういうことです。先生達は声を出したので、きっと人の意見を聴けないでしょうけど、僕たちは声を出さずに話しているので、みんなの話を聞きながら、自分の意見を指で指すことぐらい簡単ですが、先生とお母さんの違いは実はここにあるのです。もう少し微妙なので今日は伏せておきますが、確かにこうやって先生の司会のほうがどんどん進めやすいのは、お母さんとはお母さんとの会話はすぐ間に入ってしまうからです。だから、先生とだと自分の意見だけでいけるのでそれでやりやすいのですが、(今違うと言っているのは)違うではなくてそのへんがうまくいかないんだという思いです。
そして今日はいろいろ話をさせていただきたかった分もありますが、じつは今言わせていただいたので、これ以上言ったら言い過ぎというぐらい今言ってしまいました。

ところで今いくつか聞きたいこともあったので、それはまた今度でけっこうですのでまたいろいろいっしょに考えていただければと思います。さっきS.Tさんがおっしゃったようにこのは、当事者の会なのでこのへんでいったん終わって、もうそうとう時間も遅くなったので、きんこんの会はこれで終わりにしたいと思います。今日もありがとうございます。今日は僕のふざけた司会で申し訳ありませんでしたが、僕が司会をするとふざけた司会になるので、また今度僕がするときは、楽しくなるでしょうし、たぶん今日いないT.I君が司会をしてもふざけた会になると思うので、僕たちが司会をするときはそうなると思いますが、今度真面目なR.I君とかが司会をすると、もっと真面目な会になるかもしれませんので、その司会の違いも楽しんでいただけたらと思います。今日はこれで終わりにしたいと思います。それではどうもありがとうございました。これで終わりにしたいと思います。

ところで今先生が気がついたやつを僕も気がつきました。あとでこられた方でご紹介をしそこなっている人がいますよね。その方お願いしたいと思います。

こばやしさん
すいません、ちょっと迷っちゃって一時間くらい遅れちゃってここに着きました。八王子盲学校の小林と申します。
S.Kさんと同じ学校です。どうぞよろしくお願いします。

たかぎさん
松田さんの方に誘われて、町田の方からきました。ちょっと1時半まで仕事だったので、ちょっと1時間ぐらい遅れてしまったんですけども、とても勉強になりました。ありがとうございました。たかぎと申します。

J.O君
どうもありがとうございました。ほかに紹介しそこなっている人はいらっしゃらないでしょうか。今日は大勢の人がいらっしゃったので、そのまま僕たちがしゃべり続けてしまいましたが、本当にこういう会に来てくださってありがとうございまいた。こういう会が世界中のあちこちではじまるといいと思うので、そういう始まりのいいきっかけの会にしたいと思います。きんこんの会の響きはまだきーんとなっただけで、まだこーんと響くところは出ていませんが、新潟や東松山のような離れたところからも来られているので、響きは相当に伝わっていると思うのですが、あっちにもできたぞということになったら、こーんということにしたいと思います。(笑)それではこれで終わりにしたいと思います。

柴田先生
じゃ、すいません。きんこんの会はこれで終わりにさせていただきたいと思います。どうもありがとうございました。

(拍手)